コンフェデレーションズカップでもVAR方式による判定がたびたび見られた。未来のサッカーの在り方はさらに大きく変わるのか。(C) Getty Images

写真拡大 (全2枚)

 前回のコラムでは、世の中のスタンダードから独自なモノを生み出すことの難しさをテーマにしたが、スタンダードから外れる、他とは異なる志向を目指すとなると、少し違う方向へ進みがちになる。それは心配だ。
 
 例えば、新しいトライで頻繁にレギュレーションを変える。2ステージ制だったリーグ戦を通年制に戻す。さらにまた、2ステージ制に戻して、また通年制に……。
 
 J1・J2の昇降格も入れ替え戦から自動昇降格にしたかと思えば、またその逆を……。これはまだ良い。新しいことへのトライというか、試行錯誤なのだろう。
 
 その時代、その時代に求めることへのチャレンジであり、決して新しいことではない。何も変わっていないのかもしれないし、大きな問題ではないのかもしれない。
 
 それよりも最近で言えば、ビデオ判定などのテクノロジー化が大きな衝撃と言える。
 
 昔、オシムさんがサッカーでフリーになれるのはGKだけになって来ると言っていた。それだけ守備が組織的かつスピーディーに構築され、余裕を持ってプレーできるスペースがなくなるという意味なのか。ただ、間違いなくサッカーはスピード化されてきている。
 
 最近では「メッシとマラドーナ、ペレとネイマールはどちらが上手い?」なんて一見幼稚に思える質問を受けるが、幼稚どころかこうした素朴な疑問こそ、本質を突いていたりするし、少なくとも僕にとっては本当に興味のある疑問だ。
 
 果たしてどちらがサッカー選手として良い選手なんであろうか? もちろん、現在の選手と過去の選手を並べて比較することなどできないが、まず前提として明らかにサッカーは以前より格段にスピーディーになっている。
 
 そうなると、時代によって良い選手の基準も変わってくる。スピードが上がれば上がるほど、運動量が多くなればなるほど、フィジカル的な要素も多く入り込んでくるからだ。
 
当然、裁くレフェリーにも相応の体力が求められるだろうし、判定も高度なものが求められることになるだろう。
 
 こうした流れのなかで新しいことへのトライ・チャレンジとして、ビデオ判定が導入されたのである。
 
 ゴールのみならまだしも、オフサイドやファウル、ライン際のイン・アウトまで……となれば、サッカーというスポーツが変わってしまうのであろう。
 
 いや、それでも変わらないのがサッカーというスポーツなのだろうか?
 例えば、将棋はルールが変わらないのであれば、ゲームソフトのテレビ画面でコントローラーのボタンを押しながら指しても、魅力は保てるだろうか。木の板に木で作った駒を人の手で指して勝負を決める、というところに魅力はないのだろうか?
 
 サッカーはすべてを人の目で見てジャッジし、結果が決まってきたスポーツである。だからこそ、世界じゅうの人々から愛される世界一の競技なのではないか?
 
 その人の目で見て世界一を逃した国も、チームも、人もたくさんいて、人生が変わってしまった人もいる。
 
 もし、当時テクノロジーがあったのなら、その人たちは世界一になれなかったかもしれない。
 
 極端なことを言えば、未来のサッカーでは、ロボットがレフェリーをやる試合でこそ真の世界一が決められると、定義される時代が来てしまうのであろうか?
 
 話は変わるが、15年前に福岡でゼンリンの方に「ロボットを見に行こう」と誘われ、福岡ドームへ連れて行かれたことがあった。僕はまだ当時、現役選手で「連れて行かれた」という形だ。
 
 そこで僕が見たロボットで目指していたのは、人を救助する際に人間が入れない場所に(火災や地震)入れるようにする、という意味でのテクノロジー化。そしてロボットがサッカーをやっているコーナーでは50年後、「人間に勝つ!」を目標にしていると言っていた。