キャリアにおいて重要な時期に、治療やリハビリに大事な時間を費やさなければならないもどかしさと悔しさは相当なものだろう。この試練を乗り越え、宮市がさらに大きな成長を遂げることに期待したい。 (C) Getty Images

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 6月28日、ブンデスリーガ2部のザンクト・パウリは、所属する元日本代表FWの宮市亮が右膝前十字靱帯断裂で戦線離脱したことを発表した。

 宮市は、2015年7月に左膝前十字靱帯断裂という全治約9か月の重傷を負い、長い時間を治療とリハビリに費やし、ようやく復帰して軌道に乗ったところだった。まさに、これからというところで、再び大怪我に見舞われることに……。
 
 その絶望感は、本人にしか分からないだろう。
 
 サッカー選手にとって、怪我はほとんどの場合、唐突に訪れ、そして容赦がない。
 
 とりわけ膝の怪我は、多くの選手生命を奪ってきた。たとえ復活できたとしても、再び同じ状況に追い込まれるケースが少なくない。それは、心をへし折られるほどの衝撃だという。
 
 拙著『アンチ・ドロップアウト』(集英社)で、天才といわれた財前宣之のノンフィクションを書いた。彼は、1年間に2度の左膝十字靱帯断裂を経験し、復活しかけた3年後、今度は右膝前十字靱帯を断裂している。その時を振り返って財前が語った言葉が、忘れられない。
 
「本当にやめようと思いました、サッカーを。やりたくても、サッカーをやれないわけじゃないですか? 靱帯(損傷)は、復帰までに半年以上、約1年ですから。牢屋に入っているようなもんですよ」
 
「靱帯を切ると、信じられない痛みで、もんどり打って倒れるんですけど、3分もすると激痛はやむんです。でも、ドクターから注射針を幹部に差し込まれ、血が出るとアウト。靱帯が切れているというサインなんです」
 
 痛み以上の絶望が襲うのだ。
 
 前十字靱帯断裂は、長いリハビリを強いられ、辛い日々が続くが、実は後遺症も酷い。膝に靱帯を補強するためのビスが入り続けるため、私生活では正座もままならず、冬にはぎしぎしとビスが音を立てる。冬はいきなり身体を動かすと、膝が抜けた感覚になる。
 
 サッカー選手は大きなリスクを抱え、日々の戦いに挑んでいる。そして、そこで屈しない姿が、周りに勇気を与える。
 グラン・カナリア島の英雄で、「スペインのジダン」といわれたファン・カルロス・バレロンの生き方は、ひとつの模範的だ。
 
 彼はどんな人間とも真摯に接し、いつも笑顔で表情を輝かせ、人との交流を断たなかった。兄、父を幼くして立て続けに事故で失い、もうひとりの兄はサッカー選手だったが、暴力的なタックルで選手生命を奪われた。そして、自身も3度、膝靱帯を断裂することになった。
 
 06年、30歳の時に最初の断裂。半年後に復帰したが、再び半月板を損傷し、靱帯も切れてしまう。そして翌年、復帰したのも束の間、またしても靱帯断裂を負い、半年近く戦線を離れることになった。
 
 とてつもない苦しみだったことだろう。ここでサッカーをやめても、誰も責めることはなかったはずだ。明日が見えない、という怖さもあったに違いない。しかしバレロンは、そんな不幸な面影を一切見せず、誰にでも笑顔をこぼし、ピッチに立つことを願い続けた。
 
 彼は37才の時、地元ラス・パルマスに戻り、1部昇格を目指して戦った。プレーオフでアディショナルタイムに失点を喫し、その機会を逃したものの、不屈の男は現役を続行し、翌年、1部昇格を成し遂げた。そして41才で1部リーグの舞台に立ち、そのシーズンでキャリアの幕を閉じたのだ。
 
「切実さを内に秘め、外には爛漫の笑みをこぼす。そこに、グラン・カナリアの男の気概がある」
 
 誰にでもできることではない。
 
 ひとつ言えるのは、試練に直面し、これに真摯に向き合った選手は、人間として逞しくなる。選手として成功しようとしまいと、尊敬に値する人物になる。何より、人に優しくなれる。
 
「俺は、前十字を3回切ってもサッカーをやれている幸せを、すごく感じている」
 
 当時、穏やかに話していた財前の笑顔は、勝利者そのものだった。
 
  そして今、復活を期す宮市に、エールを送りたい。
 
文:小宮 良之
 
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、今年3月にはヘスス・スアレス氏との共著『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』(東邦出版)を上梓した。