出世したい―。

サラリーマンである以上、組織の上層部を狙うのは当然のこと。

だが、仕事で結果をだすことと、出世することは、イコールではない。

そんな理不尽がまかり通るのが、この世の中だ。

出世競争に翻弄される、大手出版社同期の2人。

果たして、サラリーマンとして恵まれているのは、どちらだろうか。




秋吉直樹は、デスクにかかってきた内線電話の表示を見てため息をついた。

6月第2週の今日は、人事異動が内示される日。

この日は皆、内線電話が鳴る度にびくりと肩を動かす。

普段は淡々と仕事をこなす直樹も、今日に限ってはやはり落ち着かない。

だが、自分に限って異動はない。そう思いこんでいた。だから余計に、内線電話を受けて落胆した。

「はい、秋吉です」

いつも通り電話を受けると、相手は部長だった。

これでもう、確定だ。

「おー、秋吉だったか」

受話器を置くと、3つ上の先輩がニヤケ顔で言ってきた。

正式な辞令が出されるのはまだ数日先だが、内示の日に内線電話を受けていそいそと席を立てば、「それ」がきたのだということは一目瞭然だ。

内示が出たことも本来であれば口外してはならない決まりだが、それを堅く守っている者などいない。よく言えばオープンな社風なのだ。

こうして7月から直樹は、希望していなかった部署での新生活が始まるのだった。


不本意な人事異動の詳細が明らかになる。


秋吉直樹は、老舗大手出版社で編集者をしている34歳。

上智大学文学部から新卒で入社以来、最初の数年間は営業部や販売部に配属されたものの、その後は希望していた通りビジネス書の編集部で、編集者としてのキャリアを積んでいた。

最初のヒット作は、「正しい日本語」をテーマにした本だった。

気鋭の若手コピーライターに目を付け、口説き落とした。

まずは自社のビジネス雑誌でコラム連載を持たせ、連載をまとめたものに加筆してもらい出版した。

最初はなかなか売れなかったが、著名な起業家がSNSで紹介してくれたのを機に、3度の増刷を繰り返した。

その後も同じように、何冊ものビジネス書を手掛けヒット作を生み出した。

もちろん、不発の作品だってヒット作以上にある。それでも、「文芸作品は強いが、ビジネス書は弱い」と言われていた会社のイメージを覆せる程度の実績は出したという自負はある。

だから、そんな自分が文芸誌編集部に異動するなんて、直樹は想像さえしていなかった。

ましてや、他ならぬ武田壮介の後任だなんて、屈辱のようにさえ思えた。


入社当時から相性が悪いと思った男


武田壮介は、直樹の同期。早稲田大学政治経済学部出身の34歳。

入社式の日、直樹が初めて言葉を交わしたのが武田だった。

あまり自分から声をかけない直樹とは対照的に、武田は体育会系の雰囲気丸出しで、誰とでも笑顔で話していた。

新入社員は大抵、入社直後は営業部や販売部に回される。最初から編集部に入れる者はほとんどいない。

直樹もまずは営業部に配属されて、苦手な書店営業に走り回った。

武田も同じ営業部だったため、彼との接点が多かったが、直樹はいつまで経っても武田のことが苦手だった。

武田から飲みに誘われても平気で断っているうちに、誘われることはほとんどなくなった。

同期だからと言って、会社の人間と仲良くするつもりはない。ここは大学の仲良しサークルではないのだ。

それが直樹のスタンスだった。


直樹を苛立たせる、武田のちょっとした一言。




「秋吉です、よろしくお願いします」

7月3日。新しいデスクに行き、その場にいた部署の面々に簡単な挨拶を済ませて荷ほどきを始める。

デスクのものが定位置についた頃、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り向くとそこには、武田がいた。

「おう、久しぶり。俺の後任がまさか秋吉だとはな。びっくりしたよ。で、引き継ぎいつが都合いい?できれば早めがいいんだけど」

久しぶりに見た武田は、やはり感じの良い笑顔を浮かべている。

「おい秋吉、お前相変わらず愛想ないな。そんなんじゃ先生方を怒らせるから、気をつけろよ」

先輩のような口調で言われてムッとする。その感情を隠すこともなく思いきり表情にだした。

「だからさ、そのあからさまに不機嫌な態度やめろよ」

呆れたように薄く笑いながら言うその態度が、余計に直樹の癪に触った。

武田が言った「先生方」という言葉も、直樹には気にくわなかった。

直樹が今回配属されたのは文芸誌の編集部。今まで直樹が執筆を依頼していたのは、起業家、大学教授、コンサルタントなど、本職を別に持っている人たちだった。

対して、今回配属された編集部では、執筆を依頼し、編集を担当する相手はプロの作家だ。程度はどうであれ、筆1本で生きているような人たちだ。

大御所と言われる大先生たちの担当をしている者も多い。

だが、今回直樹が引き継ぐことになっている作家は、大先生どころかはっきり言って落ち目の女性作家だ。

その作家は、会社が主催している新人賞に応募して、佳作でどうにか入賞した。

武田は彼女に何か光るものを感じたらしく、担当を熱望して彼が編集者として3作を出版した。そして、見事にすべてが売れなかった。

会社はテコ入れとして、担当を変えることにした。武田は数年振りに営業部に戻ることになり、女性作家の担当にはビジネス書で結果を出した直樹が抜擢された。

「お前さ、ちゃんと本読んでるか?」

武田が茶化すように言ってくる。

―たぶん、お前よりは読んでるぞ。

口にはしなかったが、その自信はある。だからわざわざ反論するのも面倒で、話を逸らすように言った。

「じゃあ、引き継ぎは明日の午後でいいか?」

時間を決めると武田はまわりの同僚たちに、大げさな挨拶をしながら編集部を後にした。

武田の、愛想が良すぎるほどの態度が、昔からどうにも鼻につく。

―よりによってあいつの後任かよ……。

ビジネス書の編集部で、やりたいことはまだまだ沢山あった。

構想中の企画や、密かにコンタクトを取っていた若手の敏腕経営者だっていたのだ。

だが、会社からの辞令には逆らえないのがサラリーマンの宿命。

2年を目処にビジネス書編集部に戻るつもりで、黙々と荷物を整理した。

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無愛想な直樹。女性作家と対面し、さっそく問題勃発。