港区であれば東京の頂点であるという発想は、正しいようで正しくはない。

人口約25万人が生息するこの狭い街の中にも、愕然たる格差が存在する。

港区外の東京都民から見ると一見理解できない世界が、そこでは繰り広げられる。

これはそんな“港区内格差”を、凛子という32歳・港区歴10年の女性の視点から光を当て、その暗部をも浮き立たせる物語である。

港区タワマン・オワコン説に異論を唱え、麻布十番在住なのに三田と言うCAに違和感を覚えた凛子だった。




東京で生きていると、突然息苦しくなることがある。

自分の足で歩いているはずなのに、その足元がぐらついて見え、どこへ向かえば良いのか分からなくなる。

息を大きく吸い込もうと思って空を見上げても、建物で囲われている空は暗くて、狭い。

人も物も人工的な香りのする港区。

港区にいるとたまに“ここではない何処か”へ逃げ出したくなる衝動に駆られる。

「あぁ、ハワイに行きたい。」

アンダーズ東京のラウンジ、『アンダーズタヴァン』で美奈子とお茶をしていると、とっさに口から出てしまっていた。

「出た、ハワイ大好き港区民!」

美奈子がケラケラと笑っている。そう言う美奈子の方がはるかにハワイ好きだと思うけど、と言いたくなる気持ちをぐっとこらえる。

「何かさぁ...港区にいると、必ずいるよね。二言目には“ハワイ”って言う人。」

美奈子の発言に、思わず笑ってしまった。

たしかに、そう言う人が多いからだ。


港区ハワイ党の中で、今最もトレンドなのはあのお店


港区外でも結託力を強める港区・ハワイ党の人々


「いるよね、そういう人。」

美奈子の発言に大きく頷く。パッと思い浮かべただけでも、数人の顔がすぐに浮かぶ。ほとんどが経営者か投資家で、時間に余裕のある人たちだ。

「港区にいると、ハワイのような大自然の澄んだ空気を吸いたくなるのはわかるけど。」

アイスティーのグラスについた水滴を拭いながら美奈子が続ける。今日はうだるような暑さで、室内にいてもまだ体は火照っている。

「でもさ、たまに港区とハワイを同じように捉えている人がいるから驚きよね。」

なぜか港区民は、せっかく行ったハワイでも、東京で遊んでいるのと変わらぬメンバーで集おうとする。

凛子からすると、同じような顔ぶれで遊ぶならわざわざハワイでなくても良いのでは?と思うが、彼らからするとそこにステータスがあるらしい。

彼らにとって、“ハワイで集う”ということが大きな意味をなす。

同じ人たちと飲んでいても、港区よりハワイで飲んでいるという事実に、少しだけ特別感を感じるようなのだ。

「最近の港区ハワイ党の人たちの話題は『すし匠』ですかね。」

聞き慣れた声に一瞬ドキリとする。振り返るとそこには、市原が立っていた。




彼らのもっぱらの話題は、『ザ・リッツ・カールトン・レジデンス、ワイキキ・ビーチ』に昨年できた『すし匠 ワイキキ』である。

「港区ハワイ党の人たちは、行けば必ずInstagramなどに投稿してますよね。」

そこに行ったかどうかが彼らのステータスの判断基準となっているのは、凛子も感じていた。

「市原さんも、ハワイへはよく行かれますか?」

いつの間にか隣に座っている市原に、美奈子が尋ねる。

「前は別荘も持ってたのでよく行きましたが、最近はあまり行かなくなりました。たとえ行ったとしても、ワイキキには行きません。」

ハワイ好きの港区民の中でも確固たる派閥、そしてランクが存在する。

観光客が多いワイキキではなく、違う島やエリアに行くことが彼らにとっては“ハワイ通”であり、その辺りの旅行者とは違うという証になるのだ。

「どこに行っても知り合いばかり。海外にいるのにまるで港区と変わらないので、別荘はもう売ってしまいました。」

そう言って肩をすくめる市原とは、本当に不思議な男である。

港区の中心に住みながら、決して染まっていない。妙に斜に構えて見ているのだ。

「どこもかしこも知り合いだらけ。そんな環境、疲れませんか?」

市原が続けた言葉に、凛子と美奈子は大きく頷いた。


彼らが港区に求めるもの、ハワイに求めるもの


港区でもハワイでも、狭いコミュニティーで生きる港区民


港区は狭い。どこに行っても知り合いだらけで、会いたくないと思っている日に限って誰かと会う。

広尾にある『明治屋』に食料品の買い出しに行けば、ママになった子連れの友達に必ず会う。

最近は出歩かなくなったため遭遇率は低くなったが、週末の西麻布・六本木なんて最低だ。

道を歩けば5分に1人の確率で知り合いに遭遇する。

「あれ、凛子さん。今日は誰といるんですか?」
「今日は、佐藤さんと一緒じゃないんですか?」
「そう言えばこの前、車に乗っている凛子さん見かけたんですよ。」

こんな会話ばかり。

パーティーに行けば必ず一人は知り合いがおり、全く知らない人同士のお食事会や集いだと思って参加しても、その中に一人は“友達の友達”がいる。

「本当に、なんでこう世間って狭いのかしら...」

港区民は、何故か“知り合いが多い”ことを自慢したがる。

“あの人知ってる?”とか、“あの社長は、昔からの友人で”とか、自分ではなく他人自慢をする傾向が強い。

ハワイに知り合いが多いというのも彼らにとってはステータスとなり、自分のバリューが上がると思っているのだろう。

「そうやって他人の自慢をする人に限って、本人は何もない、中身が空っぽの人が多いのよね。」

美奈子の話を聞きながら、凛子は『アンダーズタヴァン』の大きな窓から見える、東京のビル群を見下ろした。




ハワイに行かずとも満ち足りることのできる港区だけど


二人と別れた後、久しぶりに電車に乗って広尾駅から歩くことにした。

駅から自宅へ向かう途中に、有栖川公園がある。港区内にも、癒される場所はある。

公園の入り口で立ち止まり、大きく息を吸い込むと、梅雨明けで水分をたっぷり吸収した木々たちの香りと湿気が肺に染み込み、植物たちの呼気を感じる。

港区に住んでいると、ふと人生で何が一番大切なのか、分からなくなることがある。人の欲望と嫉妬、見栄がこの街を作っているから。

狭くて、窮屈な港区。

だからこそ、港区民は広いようで狭いハワイという南国の土地に、癒しを求めて向かう。

そして港区から離れた場所で、分かりやすいイメージがあるハワイという土地で、自己の権力を再確認したいのかもしれない。

「やっぱり、ハワイの大きな空を仰ぎに行きたいな...」

有栖川公園の木々たちは今日も、燦々と太陽光を浴び、光輝いていた。

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