東京は好きだけど、人も情報も多すぎてなんだか毎日振り回されているような気がする……。「時間や場所に縛られずに生活してみたい」「自然がいっぱいの地方でゆったり暮らしてみたい」。

とはいえ、地方完全な移住はハードルが高め。 ならば、今の居場所を保ったまま都会と地方のメリットを両方楽しめる「多拠点生活」を考えてみるのはいかがでしょうか。

2011年から、東京・軽井沢・福井で多拠点生活をしているのは、イラストレーターの松尾たいこ(まつお・たいこ)さん。「32歳で上京して以来、ずっと東京が好き。他の場所で暮らそうなんて、考えたこともありませんでした」と話す彼女が実際に多拠点生活をはじめるまでの経緯や、新しい生活を通して見つけた自分自身の変化について聞いてみました。

多拠点生活のきっかけはリスクヘッジ

--東日本大震災が、他拠点生活のきっかけになったそうですね。

松尾たいこさん(以下、松尾):はい。あの震災をきっかけに、私のメンタルが弱ってしまったんです。もし東京で何か起きたら、家と仕事を同時に失ってしまうんだなって。当時は大型犬もいたから、避難所にも入れないだろうと感じました。この不安を解消するには、東京以外にも拠点を構えたほうがいいと思ったんです。

--なぜ、地方拠点として軽井沢と福井を選んだのでしょうか。

松尾:軽井沢にはよく遊びに行っていたので、雰囲気もわかっているし、犬を連れて車移動しやすい距離だということも決め手になりました。軽井沢は東京から車で2時間半、新幹線なら約1時間。東京での仕事が多い夫(ジャーナリストの佐々木俊尚さん)にとっても、日帰りできる距離は便利。ここだと思って、すぐに軽井沢の物件を借りました。

福井も賃貸。ここは、私が陶芸を行うための拠点として選びました。陶芸を始めた時、現地に住んでいる友人の窯を借りて作っていたのですが、毎回ホテルをとるのもお金がかかる。ならば、腰を据えてアトリエを持つのもいいんじゃないかなと思って。

今は、冬を除いて、だいたい月に東京2週間・軽井沢1週間弱・福井1週間強という割合で生活しています。福井は私の陶芸制作の拠点なので、夫は月に数日来られるかどうかぐらいですが。

持たない暮らしの快適さを実感

--移動は大変ではありませんか?

松尾:いえ、意外と身軽で快適ですよ。荷物は小さなスーツケースあるいはリュックサックだけです。準備は30分もかかりません。どの家も賃貸物件ですが、必要最低限のものは置いているから。

--なぜ賃貸なのですか?

松尾:いろんなところに住んでみたかったし、年々価値観も変わっていくから。軽井沢の家を借りる時は、急いでスタートさせた生活だから、家財道具も最低限。不安はあったものの、いざ暮らしてみると家に物が少ないと落ち着くし「これで充分だな」と思えるようになりました。

すっきりした暮らしに心地良さを覚えてから、ミニマルライフを意識するようになりましたね。以前東京で住んでいた家は、部屋がたくさんあって。物は増えるし、掃除も面倒。拠点を増やしたことで、東京で過ごす期間が短くなり、広さも必要なくなったので、コンパクトな物件に引っ越しました。物が少ない軽やかな暮らしに満足しています。

--仕事には、どんなメリットがありましたか?

松尾:東京にいると、打ち合わせやランチミーティングなど、人と会う予定が多くなりますよね。夜急に食事に誘われることも。でも、東京にいなければ物理的に参加できないので、自分のペースで、じっくり仕事に集中できるのは好都合でした。

都会より1日の流れがゆったりとしているように感じます。特に軽井沢では、夫とテラスでBBQをしたり、朝食を食べたり。合間に温泉に行ってみようかとか、気持ちにゆとりが持てるようになりましたね。

夫と離れて単独行動してみたら 自信がついた

--多拠点生活をきっかけに、単独行動も増えたのだとか。

松尾:はい。福井のアトリエを借りる前に、お試し期間を設けようと思い、移住体験施設で約3週間、ひとりで暮らしてみたんです。結婚して以来、夫と長期間離れるのは初めてでした。

私は昔から体が丈夫じゃなくて、とても疲れやすい体質だったし、絵を描くことに集中したいから、ずっと掃除も洗濯も外注していました。でも、福井での暮らしをきっかけに、家事や車の運転をやってみたら「私も結構、出来るじゃん!」と思えました。

--自分の新たな可能性にも気がつくことができたんですね。

松尾:絵や作品を作るのは得意だけれど、それ以外のことは何も自信がなかったんです。夫と離れて生活してみたことで「一人でもいろんなことができるんだ」という自信が出てきました。

「夫婦は、ずっとふたりで一緒にいるものだ」と思っていたけど、意外と離れてみても平気だった。去年、初めて海外一人旅にも挑戦したんですよ。数年前までは、国内旅行にも一人で行ったことがなかったんです。夜にふらりと食事に出るなど、単独行動を楽しめるようになりました。他拠点生活をしてみて、新しい自分に出会えたのは嬉しい発見でした。

(写真:青木勇太)

小沢あや