大学教員の「機能分化」は、誰が推し進めているのか。


 前回の記事「ポスドク問題の次は『特任教員問題』が発生か」では、この10年あまり、日本の大学において任期付の特任教員が増え続けてきた理由として、財政難を背景とする人件費の抑制策としての側面が大きかったこと、そうして雇われた特任教員には、任期の終了後のキャリアラダーが未構築であること、とりわけアカデミック・バックグラウンドを有しない社会人出身の特任教員の場合には、任期終了後のキャリアパスがつながらないなどの困難が生じてくる可能性があることについて触れた。

 今回は、見てきたような大学教員の多様化が、今日の、そして今後の日本の大学にいかなる影響を及ぼすのかについて考えてみたい。

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大学教員の任務に起きている変化

 大学の財政難の話はひとまず脇において、まずは、大学教員という職業世界に何が起きているのかを整理してみたい。

 20数年前、筆者が大学の教員になった頃の「業界」の常識では、大学教員の任務は、「研究」「教育」「種々の学内業務」の3つを柱としていた。その後もしばらくの期間は、この常識が通用していたはずである。

 しかし、現在では、それが崩れはじめている。1つには、任期付の特任教員の中には、最初から「研究」を期待されていない者が存在している。(なぜなら、そうした教員枠の採用に際しては、研究業績が優先的に問われたりはしていないのだから)

 また、かつての大学教員の任務としての「教育」とは、基本的には学部などでのアカデミックな専門教育を意味していたが、特任教員が担う「教育」は、学習支援、レポート・論文執筆支援、留学生向けの日本語教育、キャリア教育・支援などへと大きく広がっている。

 さらに、大学教員は、もともと異動が少なくはない職業であった。専門職であるがゆえに、他大学への異動に障壁が少なく、また、昇格のために、あるいは格上の大学に移りたいがゆえに、そうする者も少なくはなかったからである。

 しかし、現在では、大学教員の労働市場は、以前にも増して流動化している。それは、本人の希望によって大学間を異動する教員がいるだけではなく、任期付の特任教員の過半は、任期終了後には更新の機会がなく、他大学への異動を模索せざるをえない(もし異動先がなければ、大学教員市場から退出せざるをえない)からである。

多様化の諸相:「格差化」と「種別化」

 以上のような事態をひと言で表現するならば、それは、大学教員が「多様化」したとしか言いようがない。しかし、注意したいのは、その多様化の内実は、タテ軸での「格差化」とヨコ軸での「種別化」が織り合わさることで成り立っているという点にある。

 アカデミックなバックグラウンドを持ち、研究と教育の双方を期待される教員の内部には、任期の定めのない専任教員と任期付の特任教員という分断(=格差化)がある。他方で、特任教員の内部にもまた、大学が伝統的に提供してきた学部などの専門教育を担う特任教員と、大衆化段階を迎えた大学が新たに担うことになった教育や支援の業務を担う特任教員とに種別化されている。

 同時に、この種別化には、前者が、研究と教育の双方を期待され、専任教育への移行も可能な教員であるのに対し、後者は、専ら教育・支援の任務を期待され、専任教員への移行も原則的にはできないという意味で、格差化のベクトルが埋め込まれてもいる。

大学教員の「機能分化」の表れなのか?

 格差化と種別化が絡まりながら進むこうした事態を、どう評価すればよいのか。

 大学教員と言えば、専任教員と非常勤講師しかいなかった従来の大学を基準に考えれば、とんでもない変化が生じていると見えるかもしれない。しかし、大学数の上昇とともに、大学教員数も増加の一途を辿り、進学率の上昇によって「大衆化の衝撃」を受けた今日の大学を前提に考えれば、大学が、新たな教育・支援の業務に乗り出す以上は、そこに新たな種別の教員を抱え込むことも必然であり、また、増加した大学教員を処遇する際には、ある程度の雇用上の格差を付けていくことも必要であったと言えなくもない。

 いや、それでだけではなく、現在の事態は、大衆化の段階にある大学において、教員の「機能分化」が進んでいることを意味するのだと、積極的に評価することも可能なのかもしれない。

 よく引き合いに出されるが、アメリカの大学などを見れば、そもそも大学自体が、研究中心の大学と教育中心の大学へと機能分化しているし、大学教員も、専ら研究の役割を担う教授(Professor)やそれに準ずる職位から、教育中心の役割を期待される講師(Lecturer)に至るまで階層的に分化している。

 また、テニュア(終身雇用資格)を付与されている者もいれば、そうでない者もいる。任期中の業績審査によってテニュア資格を得るためのテニュア・トラック制度に乗っている者もいる。

 アメリカの大学の場合には、こうした多様な教員の存在と機能分化によって、全体としては「大学教員」としてのスタッフ機能を十全に果たしているではないかというわけである。

日本的「機能分化」の出自

 確かに、目に見えている現象だけから判断すれば、日本の大学教員の世界も、専任教員と非常勤講師しかいない従来のフラットな構造から、アメリカ流の多様性と機能分化の世界へと転換しつつあるのだと見えなくもない。しかし、本当にそうなのだろか。

 筆者が少なくない疑問を感じてしまう最大の理由は、以下にある。

 要するに、現在の日本の大学教員の「多様化」した状況は、大学自らが将来像を考えて、自主的・自律的につくってきたものとは思えないのである。

 そうではなくて、大学財政の逼迫がまず与件として存在し、人件費コストが負担となってきたこと、にもかかわらず他方で、大衆化した大学には新たに求められる教育・支援ニーズが増大したこと、そこを見透かした文科省の高等教育政策による補助金誘導が存在し、多くの大学がそこに乗ったことが、今日のような任期付特任教員の増加を生んできたのではないのか。端的に言って、事態は、なし崩し的に進んできただけのように見えるのである。

 そうだとすれば、そこには、日本の大学自身による、大学教員のスタッフィングについての明確なグランドデザインは不在であると言わざるをえない。

脆弱な機能分化のゆくえ

 通常、「機能分化」というからには、ある機能と別の機能の間には明瞭な区分けがなされたうえで、相互の役割分担と連携の関係が明確にされている必要がある。しかし、現在の大学教員の「機能分化」に見えなくもない現象には、こうした機能分化の強みを発揮するための条件が整えられてはいない。多様化だけが進んで、相互の関係や連携は曖昧なままなのである。

 なぜそうなるのかと言えば、それは、大学が有してきた従来の組織文化とは明らかに異なる存在(任期付の特任教員)を、何の環境整備もなしに、何の将来展望もなしに、ただ流れに任せるままに、短期間のうちに急増させてきたからに他ならない。

 同じ学部・学科に所属する専任教員と特任教員であれば、アカデミック・バックグラウンドを共有しているがゆえに、まだ協働や連携もしやすいかもしれない。しかし、キャリアセンターなどの学部外の機関に所属する特任教育と学部・学科に所属する専任教員との連携となると、少なくとも現状では、ほとんどお手上げの状況なのではないだろうか。

 確かに、現在は「過渡期」であるがゆえに、種々の困難や矛盾が目立つのだという見方もできなくはないかもしれない。しかし、現状を出発点と考えた場合、事態が改善していく見込みは、はたしてあるのだろうか。危惧されるのは、こんな状況が続くことが、日本の大学の研究や教育に悪影響を及ぼすことにならないのかという点にある。

 研究機能については、すでに理系の分野などでは、ポスドク問題の深刻さの影響を含めて、研究機能の低下への懸念が表明されはじめている。教育機能については、現時点で明確な問題が生じているといったエビデンスはないかもしれないが、逆に、懸念は払拭できるという確証もない。懸念が杞憂に終わることを願うばかりであるのだが。

筆者:児美川 孝一郎