真険な表情でトラックマスターを設置するミャンマー人技術者たち


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線路のゆがみを測る

 朝8時半過ぎ、ダウンタウンにほど近いシャンラン駅からヤンゴン中央駅方面に向かう環状鉄道のレールの上を、白とピンクに塗られた機械が滑るように動き始めた。手押し棒をそっと押す男性を取り囲むように、数人が歩調を合わせてゆっくりと歩く。

 そんな彼らの後ろについて歩き始めて間もなく、隣のピーラン駅が見えてきた。ホームの前まで進むと、上りと下り、両方のホームから列車を待つ人々の好奇のまなざしを一斉に浴び、気恥ずかしさから自然に歩みが速くなる。

 しかし、バラストと呼ばれる砕石がなくなり枕木がむき出しになっているかと思えば、極端なほど砕石が盛られ枕木がほぼ見えなくなっている箇所もある様子を確認したり、ロンジーと呼ばれるオレンジやピンクのカラフルな巻きスカートが干されていたりしているのを横目で眺めたりしながら、前へ前へと続く線路の上を歩いているうちに、だんだん気分が高揚してきた。

 頭の中で、映画「スタンド・バイ・ミー」の音楽が流れ始める。線路技術者でもない普通の人が線路の上を歩くなんて、日本でやったら間違いなく大騒ぎになってしまうだろうけれど。

 と、数十メートルほど先を歩いていた男性の合図に合わせて、皆が慌ただしく動き始めた。作業員の安全を確認するという重要任務を負った彼が、前方から列車が接近していることを知らせてきたのだ。

 機械に取り付けられたモニターを1人が手早く取り外すと、残りのメンバーが声を掛け合って本体部分を持ち上げ、隣のレールへと足早に運ぶ。

 いささか間延びした汽笛を響かせながら列車が通り過ぎるのを手を振りながら見送った一行は、また、何もなかったように元のレールに機械を戻し、再びゆっくりと歩き始めた。

 時折、心配そうに腰をかがめてモニターをのぞき込む男性は、機械が問題なく作動しているか確認でもしているのだろうとこの時は思っていたが、橋梁や跨線橋などの構造物がある地点をデータ上に記録していたのだと後で聞いた。

 列車が来るたびにそんなことを繰り返しながら歩くこと2時間半で、ヤンゴン中央駅に到着した。

 ホームに野菜市場が広がっていることで知られる北側のダニンゴン駅からスタートし、毎朝、機械を押しながら反時計回りに数キロずつ、5日間かけて西側半周を歩き通した一行は、皆、ほっとしたように明るい笑顔を浮かべていた。

ミニ「ドクターイエロー」!?

 行き交う列車を支え、進むべき方向に導く役割を担う線路。だが、100トン近い車両の重量と車輪の摩擦、そしてすさまじい振動によって、日々、レールは磨耗し、敷かれたバラストは崩れていく。

 それを計測するための機械が、このポップな色調の「トラックマスター」だ。

 2本のレールを挟んでそっと動かすだけで、レールが上下あるいは左右に波打っていたり、レール同士の間隔が設計値より広がっていたり、2本の高さが違ってねじれていたりといった7種類の「ゆがみ」を同時に測定できるのだという。

 測定中はリアルタイムでモニターにデータが表示されるほか、ゆがみを種類別に波線グラフに打ち出し、整備基準値を超えたゆがみを示している箇所を特定・確認することができる。

 「こうした機械が開発されるまでは、レール上の2点に糸をあて、中央点におけるレールと糸の距離を測るということを少しずつ繰り返すしかなかったんですよ」

 環状線の詳細設計を行うJICA調査団のメンバーで、軌道を担当するオリエンタルコンサルタンツグローバルの菊入崇さんの言葉を聞いて驚いた。言われてみれば非常にシンプルな原理だが、どこまでも続く線路の上でそんな作業を5メートルずつ繰り返すなんて、想像するだけで気が遠くなる。

 思えば、線路の向きを変えて車両の進路を変更する分岐器と呼ばれる機器を調査していた技術者たちも、レールとレールのつなぎ目部分の間隔の長さやレールの断面のすり減り具合などを1カ所ずつ測定することで、分岐器の状態を調べていた(参照)。

 列車が走行するための「道」を健全な状態に維持するために必要な検測や保守作業がどれだけ地道なものであるかを改めて思い知らされ、畏敬の念が込み上げる。

 もちろん日本でも、各鉄道事業者は最高速度別に線路の整備基準値をミリ単位で具体的に定め、レールのゆがみが基準値内に収まっているかどうか定期的に検査し、整備計画に反映しているという。

 もっとも、日本ではもはや糸やトラックマスターではなく、「ドクターイエロー」と呼ばれる黄色の新幹線のように、走りながら線路や電気設備の「健康診断」をする「新幹線のお医者さん」によって検測が行われているのだが、レールの上を動かすだけでレールのゆがみを測定できるこのトラックマスターも、基本的な原理は同じだ。

測量の注意点について説明する菊入さん(左端)


検測結果をグラフに出力。基準値内に収まっているかどうか一目瞭然だ


 ヤンゴン環状線については、全周の信号システムと踏切の改良、およびディーゼルで発電しモーターを回す電気式ディーゼル気動車(DEMU)の導入は日本が円借款を通じて協力する一方、軌道と土木工事はミャンマー側が実施することで合意されている。

 だからこそ、ミャンマー側がこうした機械を活用して定期的に計測する習慣を身に付け、「少しゆがみが出てきたから補修時期だ」と、自らメンテナンスするようになることが、菊入さんの願いだ。

 さらなる夢もある。

 ゆくゆくは、ミャンマー側が施工した環状線の線路の整備具合と、日本が施工したヤンゴン〜マンダレー間の幹線鉄道の線路の出来を比べ、ミャンマー国鉄(MR)の施工監理技術の向上につなげてくれれば、と菊入さんは考えている。

 改良後は、揺れが小さくなって乗り心地が良くなったり、プラットホームと列車の高さがそろって乗り降りが楽になったりすることが期待されているヤンゴン環状線。だが、最大の変化は、何と言ってもスピードだ。

 現在は時速15km程度で1周を3時間かけてゆっくりと走っている列車が、最高で時速60kmまで出るようになり、半分の時間で市内を一回りするようになるのだ。

 来たるべきその日に備え、日本人の技術者たちが、毎日のように炎天下にさらされながら、分岐器の状態やレールのゆがみの計測方法をMRの職員たちに指導する。

 というのも現在は大きく揺れる程度ですんでいるレールのゆがみやずれが、今後、スピードが上がると、脱線や転覆事故を引き起こす原因になりかねないためだ。線路を定期的に検測し補修する習慣を身に付けてもらう時間は、今をおいてない。

安全啓発キャンペーン

 しかし、ヤンゴン環状線の近代化を進める上で、重要かつ喫緊な課題がもう1つある。人々の安全意識の向上だ。

 一度でも乗ったことがある人ならよく知っている通り、環状線と人々の暮らしの距離は非常に近い。線路のすぐ脇に家屋やお寺が建っている場所もあれば、前出のダニンゴン駅のようにホームに露店が広がっている駅もある。

 言うなれば日本の「駅ナカ」だが、両手に野菜や果物を山のように抱えた買い物客や売り子たちがホームや線路に溢れてごった返している中を列車が発車していく様子は、日本の感覚からするといささかぎょっとする。

気軽に線路を渡ってホームに広がる市場に買い物に来る女性たち


安全啓発キャンペーンに向けた協議風景。テーブルの奥側、右から2人目が青木さん


 それ以外の駅でも、列車を降りた人々がホーム階段を上がらず、当たり前のようにそのまま線路を横切って出口に向かったり、線路の上で子どもが遊んだりする姿を日常的に目にする。

 いずれも列車の速度が遅いからこそ今は大事故に至らずに済んでいるが、今後、列車の速度が上がって本数も増えればそうとばかりも言っていられない。利用者や沿線住民の安全意識をどう高めるかは、両国の関係者の最大の懸案事項だ。

 ヤンゴン環状線の設計作業も終わりに近付いた1月下旬、あるキャンペーンが1週間にわたって展開された。

 「改良事業によって事故を起こしてはならない。今後も環状線の全38駅で継続的に実施し、利用者に安全を呼び掛けていく」

 キャンペーン初日の朝、ヤンゴン中央駅のホームで開かれたオープニングセレモニーの場で今回の目的について地元の記者団から問われたMRのトゥンアウンティン南管理局長は、力強くそう答えた。

 住民移転対応をはじめ社会配慮分野を担当する日本工営の青木智男さんと一緒に準備を取り仕切ってきた人物だ。

 同氏は期間中、環状線を走るすべての車両にミャンマー語で「公共交通機関の近代化と環状線の安全性向上」と書かれたバナーを掲示したり、鉄道の敷地内にむやみに立ち入る危険性をイラスト入りで訴えるリーフレットを製作・配布したり、主要駅のホームにテレビモニターを設置して安全啓発の動画を終日流したりすることを指示。

 また、現時点での人々の安全意識を調査し、将来の参考にしてはどうかという青木さんの提案に賛同し、性別や年齢、環状線の利用頻度別に「線路を渡る頻度とその理由」や「線路を歩くことが危険だと知っているか」「鉄道の安全についてMRに要望すること」を尋ねるアンケートも実施した。

 そんなトゥンアウンティン南管理局長について、青木さんは、「やると決めたらすぐに関係者を招集し、意欲的に準備にあたってくれた。人々の安全意識を高めなければならない、という強い気合いを感じた」と称賛する。

 副総括を務める日本工営の鈴木弘敏さんも、この日、特別な思いを胸にセレモニーに参加した。設計調査が始まったばかりのころ、暑い夏の夜に少しでも涼をとろうと冷たい線路を枕にして寝ていた子どもたち3人が、列車にひかれて命を落とす事故があったのを聞いて、たいそう驚いた鈴木さん。

 「日本の協力によって亡くなる人を出すわけにはいかない」「われわれには、鉄道を改良するだけでなく、その危険性を人々にきちんと知らせる役割がある」との思いから、調査と併せて安全啓発にも取り組むことを提案したのだという。

 「今回はあくまで最初の一歩。安全啓発キャンペーンは、今後、施工が始まってからも、定期的に実施していく必要がある」と力を込めた。

 ヤンゴン環状線の設計調査は2月末で終了し、間もなく施工監理に向けた支援業務が始まる。2021年の開業に向けて作業も大詰めだ。

 開業まであと4年。決して長いとは言えない時間で、線路の維持管理に対するMRの意識と利用者の安全意識をどのように変革していくのか。悲惨な線路事故を防ぐためには、この「両輪」の取り組みがカギとなるのは間違いない。

(つづく)

ホームを歩く乗客一人ひとりにリーフレットを手渡す


オープニングセレモニーであいさつするMRのトゥン アウン ティン南管理局長(左から2人目)


筆者:玉懸 光枝