電車内での化粧を多くの人が嫌がる社会学的理由

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「電車内」は、極めて特殊な場所だといえる。私語禁止というほど厳しい規制はないが、かといって路上ほど自由が許されるわけではない。アメリカの社会学者、アーヴィング・ゴッフマンが「儀礼的無関心」と呼ぶ、こうした公共空間での暗黙のマナーについて、早稲田大学文学学術院教授の草柳千早氏から学ぶ。(取材・文/フリーライター 末吉陽子)

電車内で求められる暗黙のマナー
「儀礼的無関心」とは?

 閉ざされた電車内の空間では、見ず知らずの他人同士が比較的近い距離感で一定時間を過ごすことになる。そのため、乗り合わせた他人が、自分の存在に対して違和感を抱かせないよう最低限の配慮が必要になり、生まれたのが「儀礼的無関心」という礼儀作法なのだという。

「そもそも他者への“関心”、接し方には、一方の極に『ジロジロ見る、触る行為』があるとして、その対極に『存在自体を無視する、感知しない振る舞い』がありますが、『儀礼的無関心』は、そのどちらでもない中間の作法になります。電車内にたまたま居合わせただけで、お互いに会話をしたり、挨拶をしたりするような関係にない人たちが、お互いに守るべきマナーとして望ましいとされるのが『儀礼的無関心』です」

 あくまでもマナーの一環として、『儀礼的無関心』の振る舞いが役に立つということのようだが、いつもは特段意識していない行為だけに、具体的な振る舞いにピンとこない人もいるかもしれない。私たちは『儀礼的無関心』をどのように使っているのだろう?

「たとえば他者が乗車してきたとき、ちらっと目線をやることは、『あなたがここに存在していること認めている』というサインになります。それは、『私はあなたにこれ以上の関わりを持つつもりはないし、特別な好奇心があるわけではない。そして私はあなたにとって無害な存在です』と暗黙のうちにアピールしていることになります」

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