それもまた1つのLOVE。

愛してるとは違うけど、愛していないとも言えない。

あなたの身にも、覚えはないだろうか…?

女性誌でライターをしている奈々は、高校時代に淡い恋心を抱いていた翔平と渋谷で再会する。

しかし翔平には特別な関係の美女・衣笠美玲が。奈々には結婚を前提に同棲を提案してきた恋人・優一がいた。

ある夜、翔平から「今から逢おう」と誘われ一線を越えた奈々は、優一との別れを決意。どんどん翔平にハマっていく。




刹那の幸せ


翔平と過ごしていると、奈々は自分が別人にでもなったかのような感覚に陥る。

子どもの頃から良くも悪くも熱くならない性格で、何かにのめり込んだり執着するということがなかった。

振り返ってみると、大恋愛、と呼べるような経験もない。

だから不思議だった。どうしてこんなにも翔平に会いたくて、抱きしめられたくて、たまらなくなるのだろう。

きちんと片付けられた彼の部屋。

ベッドの上で明け方ふいに目が覚めると、奈々は息を吸うよりも先に翔平の存在を確認するのだ。

上半身裸で、安心しきって眠る横顔は、まるで子どものように幼い。眺めていると、奥深いところから母性が湧き上がってくるような、温かい感情に身体を支配されて、そっと頬に触れてみる。

幸せだ、と奈々は思う。

-女を幸せにするのは恋でも愛でもない、責任よ。

そんな風に、さゆみに諭されたことがあった。しかしそれはきっと、恋をしていない女の論理なのだ。

奈々は、翔平の香りに包まれるだけで幸せだった。...公に公言できるような関係ではなかったとしても。

恋は盲目というが、きっと、そうでなければ恋などできないのだ。


翌日、優一のマンションに立ち寄った奈々はある決心を固める


彼は私の一部しか、知らない


翔平のマンションで夜を過ごした翌日、仕事を終えた奈々は優一のマンションに向かった。

普段使わないからと、そのまま置いていた最後の荷物(着替えや靴など)を、全部引き上げてしまおうと思ったのだ。なんとなく、今はもう優一の元に自分の分子を残しておきたくなかった。

20時台だったからまだ帰っていないだろうと思っていたのに、その日に限って優一は家にいて、荷物だけ抱えて早々に出ていこうとする奈々の背中に、こんなことを言うのだった。

「奈々、戻りたくなったらいつでも帰ってきていいから」

奈々は結局、優一に翔平の存在を明かしていない。

一度は同棲の提案に応じたのに「千駄ヶ谷の家に戻る」と言い出した奈々の心境の変化を、彼がどういう風に理解しているのかは定かではない。

しかし、別の男の匂いに全く気づいていないとも思えない。何もなく翻意するには、あまりにも急すぎる。

それなのに、彼の言い方にはどこか「戻ってくる」と信じているような響きがあって、それは奈々を生ぬるい罪悪感で包み、抵抗に似た反発へと姿を変えた。

-もう、ここには戻らない。

心の中で決意して、奈々は黙って彼の家を後にする。背中に痛いほど優一の視線を感じても、一度も振り返らずに。

渋谷駅に向かいながら、奈々はふと思う。優一は、一体自分の何をそんなに好きでいてくれるのだろう?

翔平に会いたくて会いたくて、この間は彼のマンションの前で軽く2時間は待った。

そんなこと、優一のためにしたことはないし、過去も今も未来も、しようとも思わない。

男のために無理をする、恋に溺れる奈々を、優一は知らない。

彼は、奈々のすべてを理解していると思っているのかもしれないが、しかしそれは、奈々のほんの一部でしかないのだ。




―数日後―

「幸せになる。そう、決めています」

編集部のデスクで、奈々が書いた見出しを、さゆみが声に出して読む。先日撮影協力をしてもらった、衣笠美玲の記事だ。

「幸せになるために、大して好きでもない高スペックの婚約者を選ぶ。さすがねぇ、衣笠美玲は」

妬みでしかないが、衣笠美玲を敵対視し続けるさゆみが、そんな皮肉を言う。

実際に衣笠美玲に会うまでは、Instagramで公開されるその派手で贅沢な私生活から、奈々も彼女のことを穿って見ていたところもあった。

しかし実物はいい意味ですごく普通で、好感度の高い素敵な女性だった。

「そんなこと。さすがに好きでもない人と結婚しないでしょ」

フォローに回る奈々にさゆみは「まぁね」と一応頷いたが、続けて含みある言葉を言うのだった。

「女は、自分に多くを与えてくれる男を好きになるものだからね」

...さゆみの恋愛観は、普通じゃない。過去に何があったのかと疑いたくなるほどドライで現実的。

しかし彼女の言葉の正しさを、奈々は間もなく痛感するのだった。


ついに、翔平に迫る奈々。煮え切らない彼の返事に、奈々もようやく目が覚める?


募る不信感


-週末、美味い鮨でも食べに行かない?

翔平から届いたLINEに、奈々は2秒と空けずOKのスタンプを返す。

しばらくすると「予約が取れた」と店のリンクが送られてきて、デスクで思わずにやけてしまう。

向かいの席からさゆみが冷ややかな視線を投げてくるが、そんなことより週末に翔平に会える。その約束があるだけで、実際は心もとない関係でも、どこからか自信が湧いてくるのだった。



『鮨・麻葉』のカウンターで、翔平の隣に並んで座る。

「わ、これ凄い!」

甲羅に身がぎっしり詰まった蟹の一品が提供され、奈々は思わず声を上げた。甲羅ごとすぱっと切り落とされた、その切断面が美しい。

いちいち大げさに感動する奈々を、翔平は満足そうに眺めている。そんな翔平の姿を見ると、奈々は安心する。

それが、ふたりが心地よくいられる空気感。

それを奈々もよくよくわきまえてはいるのだが、「もう一歩関係を進めたい」そう願う気持ちが大きくなるのを止めるのは、至難の技だった。

優一の部屋を出て千駄ヶ谷の家に戻った奈々には、誰に遠慮するでもなく翔平のことを想う時間が、十二分にあり過ぎる。

考えれば考えるほど、翔平が足りない、と思ってしまう。不安になって、会いたくてたまらなくなってしまうのだ。

「今日、翔平の家に行ってもいい?」

店を出て、奈々はすぐに翔平の腕に手を絡ませ、そう確認した。

「いいよ」

即答してくれてホッとするけれど、今日が終わったらその次は...?一体、いつ会えるのだろう。

約束が欲しい。安心したい。

刺激は、スパイス程度でちょうど良いのだ。優一という太い柱を失った奈々の精神状態は、自分で思うよりずっとバランスを崩しているようだった。

「私ね、彼氏と別れたの。だから...」

口走る自分を止められずに、タクシーを拾いに向かう翔平の背中に向け、受け取ってくれることだけを信じて投げかける。

しかし、たっぷり沈黙の時間を空けて翔平から返ってきたセリフは、奈々が欲しいそれとはまったく違うものだった。

「...ごめん」

わかりやすく気まずい表情を浮かべる彼を見て、さっきまで二人の間に流れていた心地良い空気を乱してしまったことを悟るが、吐いてしまった言葉はもうしまえない。

「色々あって...今はちょっと、まだ考えられない」

-色々?

色々というのは、衣笠美玲のことだろうか。今はまだ、って、いつになれば考えてくれるのだろう。...それに、付き合うことはまだ考えられないのに家には呼ぶのか。

頭をぐるぐると回る解せない疑問は、奈々の心の片隅で不信感となって溜まる。

「...やっぱり、今日は帰る」

抑えず強い口調で言ったのは、引き止めて欲しかったからだ。

しかし翔平はただ一言、「わかった」と言っただけだった。

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煮え切らない態度をとる翔平。美玲に対してまだ未練があるのか?