五月みどりが波乱の芸能生活を振り返る

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 いま話題のドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)で女優として活躍する一方、毎月のようにステージに立って歌い続ける五月みどり(77)。初ステージから61年が経っても華やかな魅力を放つ五月だが、その人生は波乱に満ちていた──。

『NHK紅白歌合戦』に3年連続で出場を果たした翌年1965年、村田英雄所属の新栄プロダクション社長・西川幸男氏と結婚した五月。芸能活動を休止したものの、結婚生活は6年で破綻し、芸能会に舞い戻る。

 過去の栄光に執着しない五月に1974年、転機が訪れる。雑誌『平凡パンチ』からヌードグラビアの依頼が来たのだ。当時34歳。「紅白」に出場するほどの有名歌手が脱ぐことは異例だった。

「話に乗ってみるのも面白いかなって。自信はなかったけど、これくらいの胸なら大丈夫だろうと(笑い)。嫌だなと思いながら仕事に臨みたくないんです。だから現場では、私からもう少し脱いだほうがいいんじゃない、なんて言ったんですよ」

 1975年には東映ポルノ映画『五月みどりのかまきり夫人の告白』に主演。翌年、日本テレビのディレクター・面高昌義氏と2度目の結婚に踏み切る。

「3度目のデートでプロポーズされて結婚です。私、一生のうちに大恋愛にまで発展したことってあったのかな(笑い)」

 1983年の日活ロマンポルノ『ファイナル・スキャンダル 奥様はお固いのがお好き』が、日活の正月興行配収の新記録を作るも、これを最後にヌードと決別する。

「そういう役ばかり来るようになったのでね。何回も何回も脱ぐものじゃないですよ(笑い)」

 私生活では、夫の金銭問題で1984年に離婚。2人揃った記者会見ではキスまで披露した。

「記者の方に求められたから、ついやっちゃったのよね(笑い)」

 翌1985年には20歳年下の歌手・立花淳一と3度目の結婚をするも、1年半で離婚。今度は彼の度重なる浮気に懲りた。

「結婚を後悔したことも、相手を憎むこともないですね。腹を立てても自分が損するだけよ。私は前向きな性格なんです(笑い)。仕事でもガクっときたり、クヨクヨすることがなくて、好きな歌を歌えていればいいかなって。そういう性格はずっと変わらないですね」

 裸のイメージがついた時期もあったが、映画『男はつらいよ』やNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』にも出演。バラエティ番組『伊東家の食卓』ではお母さん役で親しまれた。ヌードへの偏見を覆し、熟女という言葉を人口に膾炙させたのは紛れもなく、五月みどりである。

「まあ、なんでもいいんですよ、私は(笑い)。やってくださいと頼まれるとね……」

 常に自然体で、この大らかな性格が、世の男を惹き付けてきたのだろう。再び、ヌードのオファーが来たらどうするか。

「また裸になりたいとは思わないけど……。話があったら、(自分の胸を触って)寄せて上げなきゃね(笑い)。80歳になったら、いいかもしれないですね」

【プロフィール】さつき・みどり/1939年生まれ、東京都出身。1956年、『ものまねのどじまん』(ニッポン放送)で優勝し、審査員の宮城秀雄(宮城まり子の弟)に才能を認められる。1958年に『お座敷ロック』でデビューし、1961年に発表した『おひまなら来てね』が大ヒット。その後も『来てねシリーズ』『芸者シリーズ』をヒットさせる。1975年の東映ポルノ映画『五月みどりのかまきり夫人の告白』をはじめ、日活ロマンポルノにも主演し、熟女ブームの先駆けとなる。一方、独学で始めた油絵が1989年に「二科展」に初出品初入賞し、書道や着物デザインでも才能を見せる。現在は、放送中のドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)にレギュラー出演する他、『夢コンサート』などに出演。今秋には新曲も発売予定。

取材・文■岡野誠 撮影■池谷朗

※週刊ポスト2017年7月7日号