「結婚=ゴール」なんて考えは、古すぎる。

東京の恋愛市場は、結婚相手を探す女で溢れかえっているが、結婚はゴールではない。そんなものは、幻想だ。

吾郎、34歳。長身イケメン、東大卒、超エリートの企業法務弁護士。

吾郎いわく、結婚をM&Aに例えるならば、M&A実施の調印式=結婚式であり、PMI(買収実施後経営統合)=結婚後の生活となる。東京婚活市場において、PMI軽視の風潮は非常に強い。

とか言いながら、ちゃっかり英里と結婚した吾郎。しかし、彼のアンチ結婚主義は変わらないようだ。

引き続き、既婚者たちの結婚生活を、彼独自の目線で観察していこう。




「おい吾郎、もう一軒行こうぜ」

古い遊び仲間である明宏は、酔いが回り、精気の抜けたドロンとした瞳を吾郎に向ける。今日は男二人、六本木の『志る角』にて、しっぽりと飲んでいた。

ここはレトロ感のある老舗和食で、男だけで飲むのはもちろん、カップル客も多い、使い勝手の良い店だ。

「いや、俺はもう帰る」

吾郎は即答するが、明宏はヘラヘラとしつこく食い下がる。

ちょうど会計を終えたところで、時間はもう夜の12時を回っていた。

「もう一杯くらいいいだろ。『R2 SUPPERCLUB』か、どこかのクラブで軽く飲もうぜ」

明宏は吾郎と同じ34歳の既婚者であるが、中年に差し掛かった泥酔男が「クラブで飲もう」などと言う姿は、何とも癒えぬ哀愁感が漂う。

「いや、お前も酔いすぎだろう。たまには早めに帰ったらどうだ」

吾郎はそう窘めたが、この男は、恐らく一人でも飲みに行くに違いなかった。

明宏は悪い奴ではないし、決して嫌いでもないのだが、とにかく"帰りたくない男"なのだ。


家に帰りたくない男。彼の衝撃の憩いの場とは...?


普段はスマートで温厚なのに、酒が入ると面倒な男


「吾郎って、冷たい奴だよなぁ。まぁ、お前も新婚だし仕方ないか......。でもそのうち、すぐに家に帰るのが億劫になるぞ」

普段は温厚な男に限って、酔うとネチネチと面倒な発言を繰り返すのは、世の常だろうか。

明宏は日系の大手証券会社勤めの、かなりやり手の営業マンだ。タレ目が印象的な甘いマスクと異様な気遣い能力の高さのおかげか、昔から成績がすこぶる良く、社内で何度も表彰されているらしい。

アルコールが入るまではスマートで穏やかな男なのだが、如何せんいったん酔い始めると、目つきと人格がガラっと変わる。

多くの顧客に揉まれ、内なるストレスを溜めているのか分からないが、とにかく酒癖が悪いのだ。

「お前のところだって、子供が産まれたばかりだろう。可愛い時期なんじゃないのか。それに、嫁は放っておいて大丈夫なのか」

「......」

明宏は吾郎の問いには答えず、無言でお猪口に残った日本酒を飲み干し、ニタリと笑った。

その笑顔には不吉なオーラが漂っており、吾郎は思わず背筋がスッと寒くなる。しかしいつもの通り、明宏のような闇を抱えた既婚者に対して、吾郎はどうしても好奇心が抑えられなくなってしまうのだ。

「お前は、どうして家に帰りたくないんだ...?」

これを聞いてしまったら、あともう一軒付き合わなければならないことは、分かっていた。


帰りたくない男の憩いの場、通称TTR


クラブになんぞ行きたくないし、もう酒も飲みたくないと言った吾郎を、明宏はけやき坂の『TSUTAYA TOKYO ROPPONGI』に連れ出した。通称“TTR”である。

店内のスタバでディカフェのコーヒーを買い、二人はテラス席に腰を下ろす。

「俺、今週毎日ここに来てるわ......」

少し酔いが冷めたのか、先ほどより冷静な様子で、明宏はポツリと呟いた。

「毎日って、お前も丸の内勤務だろ?六本木まで何しに来てるんだ?客がこの辺にいるのか?」

「いや。飲み終わった後、ここで適当に時間潰してるんだよ。昨日は朝4時まで雑誌読んでた......って、吾郎、そんなに大袈裟に驚くなよ。目が飛び出てるぞ。イケメンが台無し」

明宏に指摘され、吾郎は驚きのあまり酷い表情をしていたことに気づく。しかし、平日の夜中にわざわざTTRで朝まで暇つぶしをするというその心理は、一体何なのだろうか。

深夜1時のカフェを、吾郎はぐるりと見渡してみる。夜もすっかり更けているのに、人口密度は比較的高い。

周囲には年頃のカップル、近くの住人らしき垢抜けた人種、夜の六本木を無意味に漂っているような若者が多かったが、やはり明宏と同じような、スーツ姿のサラリーマンらしき男もチラホラと目に入った。

「......嫁が寝るまでは、帰りたくないんだよ」

そう言った明宏の顔は、つい身震いしてしまうほどの悲哀に満ちていた。


夫がそれほどまでに、家に帰りたくない理由とは...?


深い理由はない。ただ、“家にいる嫁”が苦手なだけ


「とにかく、嫁と一緒にいる時間が苦痛なんだよな」

明宏が家に帰りたくない理由は、その一言に尽きるらしい。

夫婦は結婚4年目で、子供が産まれるまでは共働きであったらしいが、嫁は妊娠発覚と同時に専業主婦になった。

それ以来、夫婦の歯車は少しずつ狂い始めたそうだ。

「料理とか家事とか、一生懸命やってくれるんだけどさ...。何か分からんけど、どうも俺、そういうの苦手らしいんだよ」

隙なく掃除され、整えられた部屋。どんなに帰宅が遅くなろうとも、一汁三菜きちんと用意された夕飯。そして、エプロン姿で夫を待つ妻。

嫁は特に怠惰なわけでもなく、生活費を浪費しているわけでもない。ただ、典型的な専業主婦となっただけだ。

「あいつが一日中家にいると思うと、何か、プレッシャーなんだ...」

明宏の発言は一般的には身勝手に聞こえるかも知れないが、これに共感する男はかなり多いはずだ。

相当に家庭的か包容力があるか、もしくは束縛気質ゆえに女に専業主婦を強いる男でない限り、大概の男は、100%完全に家族を養える度量・覚悟なんぞ持ち合わせていないのだ。

「じゃあ、子育てがひと段落したら、仕事に復帰してもらえばいいじゃないか」

「そんな簡単に言うなよ。子供なんて、爆弾みたいなもんだぞ。嫁が仕事復帰して子育てを分担するくらいなら、深夜の六本木を徘徊してる方が断然マシだよ」

では何故、子供なんか作ったんだ?と、喉元まで出たセリフを、吾郎はぐっと飲み込んだ。そんな質問は、きっと無意味極まりない。




当初は子育てに参加せず、日々帰りが遅くなる明宏を、妻は毎日のように責め立てていたという。

しかし怒りをぶつけられたところで、仕事で疲弊し、家族からもプレッシャーをかけられた弱い男がとる行動はただ一つ。“家に帰らないこと”だ。

「嫁とは、もうほとんど会話なんかないぜ。朝の一言二言、業務連絡くらいかな。無言の時間も辛くて、土日も家にいたくないんだよな」

争いを繰り返した夫婦は、最終的にお互いに“無関心”という防御策をとることとなったらしい。

吾郎にとっては馬鹿馬鹿しいとしか思えないが、離婚という選択をしない限りは、それが一番平和な解決方法なのだろう。

「......俺は、そろそろ帰るぞ。もう2時だ」

「何だよ、今日はもう急いで帰らなくていいだろ。西麻布に面白いオカマバーがあるから、飲み直そうぜ」

またしてもしつこく引き留める明宏を振り払い、吾郎は苦々しい思いで家路についた。



「吾郎くん!おかえりなさい!!」

さすがにもう寝ているだろうと、吾郎が玄関をそっと開けると、次の瞬間には廊下の電気が灯り、英里がまるで飼い主を見つけた子犬のように走り寄って来た。

「遅かったね、ちゃんとゴハン食べた?」

化粧気のないツルンとした顔で、妻はとにかく嬉しそうにニコニコとしている。帰宅すると必ずこの笑顔に迎えられるのは、すでに日常となっていた。

この顔を見ると、どんなに疲れていても、ふっと心が軽くなる。

「ああ、食べたよ。俺もすぐ寝るから、先に寝てろよ」

この温かな日常は、絶対に壊したくはない。吾郎は柄にもなくそんなことを思いながら、英里の頭を優しく撫でてやった。

▶NEXT:7月9日 日曜更新予定
吾郎の妹・瑠璃子が駐妻に?海外駐在生活の意外な実態とは?

【これまでの結婚ゴールの真実】
vol.1:小遣いより高い保険料と毎月増えるルブタン...ポンコツ嫁に怯える夫
vol.2:夢のタワマン移住が裏目に...?豊洲カーストが生んだ、ボス猿嫁の実態
vol.3:妻への生活費を渋る商社マン。駐妻が直面した、ケチ夫の貧困恐怖
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vol.5:愛され妻の秘密。結婚願望ゼロ男を落とすため、プレゼン資料まで作る女
vol.6:月40万円でも足りない生活費。見栄っ張りな元モデル外銀妻の実態
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vol.14:番外編:アンチ結婚主義者・吾郎がプロポーズを決断した、ある理由
vol.15:あえての“別居婚”で掴んだ幸せ。子連れ再婚を果たした、39歳の女
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