2017年の東京を生きる大人の女性が、悔いなき人生を歩むために身につけるべき「品格」とは?

30歳で婚約破棄。未来に絶望した千晶は、導かれるようにして、ナンタケットバスケット教室「エーデルワイス」を主宰する高貴な妻、白鳥雪乃と出会う

ある日千晶は、幸せいっぱいの新妻・柳沢結衣が一人涙しているところを目撃。彼女の幸せに小さな疑問を抱く。

さらに、後輩・あずの紹介で爽やかイケメン弁護士・正木と食事をした帰り、とても誠実そうには見えない、派手な女を連れた「柳沢」と名乗る男性と遭遇。

不似合いだがその男は、やはり結衣の夫なのだろうか?




深まる疑惑


「ねぇ、この間会った柳沢さんてどういう人?」

フロアに人がいなくなったタイミングで、千晶は隣に座る後輩・あずに小声で尋ねた。

先日、彼女が紹介してくれた弁護士・正木と3人で食事をした帰りに声をかけてきた男のことが、どうも気になる。

「柳沢さん…は、既婚者なのでやめましょう。それより正木さんと…」

意図を誤解したあずが、あからさまに眉をしかめ軌道修正を求めるので、慌てて弁解をする。

「いや、そういう意味じゃなくて。知り合いの…えーっと、知り合い…かもしれないから、聞いてみただけ」

柳沢、と呼ばれたその男は、見るからに「俺様」だった。表立って声にすることはなくても、女性を自分の所有物のように考えているような。

それに彼は、メイクの濃い派手な女性を連れていた。控えめで年齢よりずっと幼く見える結衣とは、真逆のような女を。

もし、彼が柳沢結衣の夫なのだとしたら…彼女が結婚記念日に白金台の交差点でひとり涙していた理由も、なんとなく想像がつく。

他人の夫婦関係に首を突っ込むつもりはないが、偶然とはいえ泣いているところを目撃してしまった以上知らぬふりはできなかった。

私も特に親しいわけじゃないですけど、と前置きしてから、あずがゆっくり口を開く。

「柳沢さんは自分で起業した広告代理店がうまくいってるらしく、西麻布界隈じゃ有名ですよ。ビジネスも…女遊びも派手なので」


疑惑は、確信へ。「エーデルワイス」で顔を合わせた結衣に、千晶が迫る。


幸せが似合う女


「女関係も派手」

あずの言葉に、千晶は胸に充満する嫌悪感を吐き出すようにしてため息をついた。

本当に男ってやつは、どうして揃いも揃って女にだらしがないのだろう。

自身も婚約者だった彼・涼ちゃんの浮気が原因で婚約破棄をした身であるから、千晶は結衣に心底同情し、そして勝手な親近感を持つのだった。

-長い目で見れば人生は平等なのよ。

エーデルワイフ・雪乃が言っていた言葉は、やはり正しいのかもしれない。

絵に描いたように幸せな新婚生活を送っていると思っていたお嬢妻・結衣も、実は夫の女性関係に悩んでいるのだとしたら。




「これ、良かったら召し上がってください」

週末、ナンタケットバスケット教室「エーデルワイス」にやってきた結衣は、あの日の涙など嘘のように晴れやかな表情だった。

お手製なのだという苺が綺麗にあしらわれたケーキを、雪乃に遠慮がちに差し出している。

幸福のベールを纏った、いつも通りの笑顔。結衣の元気そうな姿に千晶は安心したが、一方で拍子抜けもした。

勝手に同士だと思っていたのに、なんとなく裏切られたような気がしてしまう。すごく勝手な考えだということは、わかっているけれど。

「皆さん、後でいただきましょうね」

結衣から包みを受け取り、エーデルワイフこと白鳥雪乃が、集まっている皆を見渡す。

雪乃と目が合い笑いかけられると、心のもやが払われたように、穏やかな空気に包まれた。

モールディングが施された白壁を背景に、仰々しいフリルのついた白いブラウスを着た彼女の姿はまるで、宮殿に佇む貴族のよう。

ナンタケットバスケット教室「エーデルワイス」を訪れると、千晶はいつもタイムスリップしたかのような感覚に襲われるのだった。

ゆったりと、静かに流れていく時間は、仕事をしている時と同じ1分1秒とはとても思えない。

「エーデルワイス」に集う女たちがどこか浮世離れして感じられるのは、時間の流れ方が違うからかもしれないな、などと千晶は思った。

「このケーキ、主人の好物で」

結衣が発した「主人」という言葉で、千晶はさっと現実に舞い戻る。

そして、どことなく夢うつつであったゆえ、それを良いことに、あまり深く考えず聞きたいことを口にしてしまうことができた。

「結衣さんのご主人って、どんな方なの?」

無邪気を装った千晶の発言は、小鳥のさえずりのごとく品よく続いていた女たちのおしゃべりを、中断させた。

訪れた沈黙に、予定調和に流れていた空気を分断してしまったことを知るが、それを無視してでも結衣の口から聞きたい言葉があった。

「…主人は広告代理店を経営していて」

-やっぱり。

心の声が表情に出てしまっただろうか。千晶を見ていた結衣がさっと目をそらす。そして、千晶にそれ以上の言葉を挟む隙を与えぬまま、満面の笑みで続けた。

「味にうるさい人だけど、このケーキは褒めてもらえるのよ」

結衣が語る、仲睦まじい夫婦のやりとり。

しかし裏事情を知る千晶には違和感しかなく、まるで作り話のようにしか響かなかった。


幸せを演じ続ける結衣。その強さを、千晶は思い知る


幸せが似合う女に、なれない女


「それじゃ、千晶さんまた来週」

レッスンが終わると、結衣は世間話もそこそこに、千晶から逃げるようにしてその場を去った。

約束しているわけではないが、いつもは何となくタイミングを合わせて白金台の駅まで一緒に帰るのに。

その様子を見ていたエーデルワイフ・雪乃が、千晶のナンタケットバスケットの網目を確認しに近づいてきて、「少し乱れているわね」と言った。

千晶の隣に腰を下ろし、手際よく網目を整えていく。

安定のフレンチネイルが施された雪乃の指先が行き来するたび、少しずつずれていた縦横の網目が本来の場所に落ち着いてゆく。

その様を眺めていると不思議と心まで落ち着いてきて、“あるべき場所”に存在することの重要性を思い知る。

「結衣さんは、幸せが似合うわね」

しばらく無言で作業をしていた雪乃が、突然そんなことを言った。

目を合わせることもなく発せられた言葉は、雪乃の独り言のようでもあり、千晶に同意を求めているようでもあった。

「そうですね」と小さく返す。

雪乃が意図的に選んだか否かはわからないが「幸せが似合うわね」という言葉には、「幸せね」とは違うニュアンスが含まれている。

しかし、他人がその差を追及することに、何の意味も価値もない。

結衣には、幸せが似合う。それが、彼女の“あるべき場所”なのだ。例えそれが幸せな自分を演じているだけだったとしても。




-今夜は、19時にここで。

プラチナ通りを歩きながら、正木から届いたLINEを確認する。

後輩・あずの紹介で初めて会った翌日から、彼とはほぼ毎日LINEのやりとりが続いていた。

彼は会っている時はもちろん、LINEのやりとりすら紳士的で優しく、常に気を遣ってくれるから居心地が良い。

随分前に予約していたのだという『ナベノイズム』に同行する相手に選んでくれたことも、素直に嬉しい。

周囲でも話題で、千晶もずっと行きたいと思っていた店だ。

こういう人に愛されたら、幸せなんだろうな…。

心からそう思うのに、どうしてだろう。正木と関係を進めることに対して前向きになれない自分がいる。

-結衣さんは、幸せが似合うわね。

エーデルワイフ雪乃の言葉を思い出す。そして、否定できないある事実に気がついてため息をつくのだった。

結婚願望のある、非の打ち所のない、しかもイケメンの正木。幸せになりたいなら迷わず掴むべき手に、私はどうしてしがみつけないのだろう。

結局のところ、千晶は理性で感情をコントロールするということができない。幸せが似合う女としては生きていけない種類の女なのだ、ということに。

▶NEXT :7月9日 日曜更新予定
正木との食事に出かける千晶。しかし事態は思わぬ展開に?