ポドルスキがもうすぐ来るぞ!Jリーグでプレーした「ドイツ人選手」たち

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7月6日(木)、来日予定のルーカス・ポドルスキ。

ドイツ代表の出場試合数と得点数でともに歴代3位につける大物ストライカーがもうすぐ日本にやってくる。

公式サイトによればJリーグでプレーしたドイツ人選手は全員で9名いるという。

そこで今回は、日本のファンにとってもお馴染みの6選手をご紹介しよう。

1. カカウ

生年月日:1981/03/27 (36歳)
ポジション:FW
所属クラブ:セレッソ大阪(2014-2015年)
Jリーグ通算成績:24試合7得点

ポドルスキの加入前、日本で最後にプレーしたドイツ人選手がカカウだ。出身はブラジルだがその後ドイツ国籍を取得し、ドイツ代表として23試合に出場。2010年ワールドカップのメンバーにも入った。

チームのために身を粉にして戦えるFWで、その献身性から「ドイツ人よりもドイツ人らしい」と形容されたことも。2014年夏、不振に喘ぐセレッソ大阪に加入すると、圧倒的な個の力で何度もチームを救ったが、結局チームを残留させることはできなかった。

2016年にシュトゥットガルトへと戻り、その後引退を表明。現在はドイツサッカー連盟のスタッフとなっている

2. ギド・ブッフバルト

生年月日:1961/01/24 (56歳)
ポジション:DF
所属クラブ:浦和レッズ(1994-1997年)
Jリーグ通算成績:127試合11得点

浦和レッズとの“蜜月”な関係から、日本でも知名度の高い元西ドイツ代表DF。基本に忠実でソリッドな守備に加え、周囲をまとめ上げるキャプテンシーと統率力はドイツ時代から高評価を受け、1990年のワールドカップでは優勝を経験している。

選手時代、浦和レッズではJリーグのベストイレブンに二度輝き、退団セレモニーでは白馬に乗った演出も話題に。指導者としても浦和を率いており、Jリーグや天皇杯のタイトルをチームにもたらしている。

3. オッツェ(フランク・オルデネビッツ)

生年月日:1965/03/25 (52歳)
ポジション:FW
所属クラブ:ジェフユナイテッド市原(1993-1994年)
Jリーグ通算成績:55試合37得点

Jリーグ発足当時のジェフユナイテッド市原を支えたエース。翌1994シーズンには40試合で30得点をあげ、得点王に輝いた。

ジェフを退団後は一時ハンブルガーSVに在籍していたが、市原時代の同僚でもあるピエール・リトバルスキーに招かれベガルタ仙台の前身であるブランメル仙台でもプレーした。

「MY枕」がないと寝られないという、チャーミングな悩みを持っていたようだ。

4. ウーヴェ・バイン

生年月日:1960/09/26 (56歳)
ポジション:MF
所属クラブ:浦和レッズ(1994-1996年)
Jリーグ通算成績:68試合25得点

ドイツ代表通算17試合出場3得点。1990年ワールドカップのメンバーでもあり、1ゴールをあげるなど母国の世界制覇に貢献している。

Jリーグにやってきたのは1994年で、あのギド・ブッフバルトとともに当時低迷していた浦和レッズへと加入。翌シーズンには18ゴールをあげる活躍を見せ、年間順位で浦和を4位にまで押し上げた。

なお、このシーズンに得点王に輝いたのはバインとコンビを組むことが多かった福田正博(32得点)。

5. ピエール・リトバルスキー

生年月日:1960/04/16 (57歳)
ポジション:MF
所属クラブ:ジェフユナイテッド市原(1993-1994年)
Jリーグ通算成績:63試合10得点

“リティ”の愛称で知られる、西ドイツが世界に誇る名ドリブラー。168cmと小柄ながら、そのドリブルは繊細かつ俊敏。西ドイツ代表としてワールドカップで3度の決勝を経験している。

Jリーグが発足した1993年にジェフユナイテッド市原に加入し、オッツェらとともにチームを牽引。世界の一流選手でありながら1996年には当時旧JFLだったブランメル仙台(現ブランメル仙台)でもプレーした。

現役引退後も横浜FCやアビスパ福岡などを率い、シドニーFCでは三浦知良を指導したことも。日本語も比較的流暢で、メディアに登場することもあった。

6. ミヒャエル・ルンメニゲ

生年月日:1964/02/03 (53歳)
ポジション:MF
所属クラブ:浦和レッズ(1993-1995年)
Jリーグ通算成績:42試合13得点

Jリーグ初年度の1993年、低迷する浦和レッズへとやって来た助っ人MF。“Mr. ヨーロッパ”と呼ばれたカール=ハインツを兄に持ち、ミハエル自身も西ドイツ代表として2試合の出場経験がある。

浦和時代の1994シーズンは11得点をあげており、これはチーム内得点王にあたる。なお、写真に写る赤色のユニフォームを着た選手がルンメニゲだが、青色のシャツを着た10番はガンバ大阪で“天才”と呼ばれた礒貝洋光。非常に懐かしい一枚だ。