パートやアルバイトというような非正規雇用が増え続けている現代。いわゆるフリーターと呼ばれているアルバイトやパート以外に、女性に多いのが派遣社員という働き方。「派遣社員」とは、派遣会社が雇用主となり、派遣先に就業に行く契約となり派遣先となる職種や業種もバラバラです。そのため、思ってもいないトラブルも起きがち。

自ら望んで正社員ではなく、非正規雇用を選んでいる場合もありますが、だいたいは正社員の職に就けなかったため仕方なくというケース。しかし、派遣社員のままずるずると30代、40代を迎えている女性も少なくありません。

出られるようで、出られない派遣スパイラル。派遣から正社員へとステップアップできずに、ずるずると職場を渡り歩いている「Tightrope walking(綱渡り)」ならぬ「Tightrope working」と言える派遣女子たち。「どうして正社員になれないのか」「派遣社員を選んでいるのか」を、彼女たちの証言から検証していこうと思います。

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今回は、都内で派遣社員として働いている白石真央さん(仮名・26歳)にお話を伺いました。真央さんは、明るめの茶色のロングヘアを、編み込みを施したお団子ヘアですっきりとまとめていました。薄いアイボリーの半そでワンピースに、赤色のカーディガンを合わせていました。長めのまつ毛はまるでエクステのようですが、自まつ毛だそう。

「毎晩、まつ毛が伸びるという美容液を塗っていたら本当に伸びたんですよ」

手持ちのバッグや、パンプスなどはサイズが同じなのもあって、姉妹で共有しているそうです。

「私はちょうど真ん中で、2つ上の姉と、3つ下の妹がいます。姉はもう実家を出ているので、妹と私が実家暮らしをしています」

彼女は生まれも育ちも東京。世間的には都会のイメージのある地域ですが、少し離れた私鉄沿線の住宅街で生まれ育ちました。

「実家は定食屋を営んでいます。定食屋というと聞こえがいいのですが、なんでも屋というか。特に専門の料理もないんですよ。中華っぽい炒めものも出すし、焼き魚の定食もあるし」

両親と三姉妹の5人家族。自営業の両親の記憶は、働いている姿ばかりだと言います。

「店と住んでいる家は別の場所にあって、自分が子供の頃は、両親と姉と4人家族で2部屋しかない団地に住んでいました。少ししたら妹も生まれて、もう修羅場というか。洗濯物を干すだけでベランダが埋まっちゃうくらい、スペース的にぎゅうぎゅう詰めでした」

実家の定食屋は、店内の老朽化やチェーン系の居酒屋などの台頭で経営が厳しいようです。

「店自体はもう倒産寸前っていうか……。壁に貼ってある紙のメニュー表も油まみれだし、ビールのポスターもいつの時代だよって感じだし。一度、自分がきれいにしようと思ったことがあったのですが、カウンターを磨くだけで疲れてしまいました」

“お金は無駄にするな”“遊んでいる暇があれば働け”が、両親の口癖でした。

「そんな家庭環境だったので、勉強どころではなかったんですが、土日も働きづくめだった親を見ていたら、“自分はそうなりたくない”って強く思いました」

高校受験は、都立一本に絞りました。

「親が無言のプレッシャーをかけてきていたんですよ。私立は無理だって。収入が少ないため就学支援金というのが貰えたので、都立に進学しました」

経済的に厳しい中、奨学金制度を利用し、大学に進学

高校生活は、試験などで忙しい期間を除いてバイトに励んだと言います。

「高校に進学したら、一応、バイトはOKだったんですよ。“自分の店を手伝ってもお金にならないから、ほかに働きに行け”って親からも言われていたので、回転寿司やファミレスの店員とかをしていましたね」

サラリーマンや公務員の親を持つ家庭と、自分との違和感を感じます。

「高校の同級生が、“お金がない”っていう状況で悩んだことがないのをみて、ショックだったんです。普通のサラリーマンの子供って、父親がどうやってお金を稼いでいるかってあまり感じていないんですよ。“スマホで課金して怒られた”とか“塾さぼったら親が怒ってうざい”とか。うちじゃ考えられない。課金したらバイト代で払わなきゃならないし、“全部自分でやりなさい”って言われてきたので」

バイト代を貯めて、大学への進学資金の足しにしました。

「なるべく学費が初年度100万前後の大学を選んで、受験しました。大学独自の返還不要の奨学生にも選ばれたので、教科書代とか助かりましたね」

大学は学費と、自宅から通えるかと、奨学金制度が充実しているかで選びました。

「とにかく、給料がもらえるサラリーマンになるのが目標でした。学部も経営学部で、マーケティング戦略を学びました。親には“将来、店を継ぐときに役立つから経営を学びたい”と言って説得して、受験しました」

奨学金制度で選ばれていたため、悪い評価がつかないように試験もレポートも頑張ったと言います。

「就職は、パソコンのセキュリティーソフトなどを販売している会社で、営業職で入社しました。営業って何をやるのかと思ったら、最初はサポートセンターの対応を任されました」

勉強熱心な真央さんでしたが、パソコンなどの情報処理に関する知識を覚えるのは苦手でした。

「まず、パソコン自体の仕組みなども覚えなければならなかったのが大変でしたね。同期にも文系学部卒システムエンジニア職がいましたが、みんな苦労していました」

セルフネイルは、簡単なアートができるレベルまで上達した。伸びやすい前髪も、セルフカットしている。

念願の会社勤めが、ストレスでヘルペスに!フリーターのチャラ男とつきあうのが止められず、つねにお金の不安……。その2に続きます。