「世界一の屋台街」(米CNN、2016年)として知られるタイの首都バンコクから屋台が消える――。

 今年末までに、衛生と秩序の両面から、バンコク首都圏庁(BMA)がバンコクの主要な道路から食べ物などを販売する露天商を退去させると発表した。

 「タイ文化が消える」と世界の旅行者に衝撃を与えているが、中でもショックを隠し切れないのは日本からタイに移住してきた貧困に喘ぐ日本人年金生活の高齢者だ。

 東南アジアは日本人高齢者の移住先として人気だが、中でも世界的な観光地としても知られるタイは「イスラム教国で、シンガポールに次ぎ物価の高いマレーシアや、治安の悪いフィリピンに比べ、日本と同じ、仏教国という意味でも根強い人気がある」(大手旅行会社関係者)という。

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優雅な年金生活を夢見たものの・・・

 物価が安く、日本から近く、さらに一年中温暖な気候に恵まれ、日本食にも事欠かない、と、“優雅なタイでの隠居暮らし”を夢見てリタイア後、タイに移住して来る人は後を絶たない。

 しかし、「タイは物価が安く、日本より優雅な生活ができる」という空想の夢物語は、数年前のお話。今、タイでは物価が高騰し国民生活を直撃、大きな問題となっている。

 特にバンコクは深刻で、想像以上に激しい物価高騰で年金生活者の日本人高齢者は生活難に陥り、「リタイアリッチ」の夢は「リタイアプア」の現実に取って代わった。

 日本を去らざる得ない理由があったり、リタイアリッチを豪語して日本を去った手前、今更日本にも帰れず、夢打ち砕かれ、身寄りのない異国で孤独死するケースも珍しくなくなってきた。

 そもそも物価高騰の最大の原因は、2012年、インラック政権(当時)が実施した最低賃金の引き上げ。人件費高騰に伴い、物価も急上昇した。また、日本人の場合、昨今の円安傾向が状況をさらに悪化させている。

 例えば、バンコクでラーメンを注文した場合、数年前であれば200バーツ(約700円)ぐらいだったのが、今では300から400バーツ(約1000円から約1300円)と、2倍近くにまで跳ね上がっている。

 バンコクでもお馴染みの和風居酒屋や和食レストランでも、お酒が入ると1人当たり平均、2000〜3000バーツ(約7000円から約1万円)もする。

 日本では“飲食店の二極化”で激安傾向がさらに進む中、「日本より高くなってしまった」(日本人リタイア高齢者、日系企業駐在員)というのが実情だ。

 さらに、タイでは消費税(7%)に加えてサービス料(10%)が課せられる店も多く、物価の高騰を肌で感じざるを得ない。

 まして、リタイアプアにはラーメンや日本食は高嶺の花。激安の屋台街に繰り出しても、屋台も麺類などが20〜30バーツ(約70円から約100円)だったのが、今では50バーツ(約170円)に値上げされている。

 もし計画通り年末までにバンコクの主要道路で露天が撤去されれば、日本人の貧困高齢者の生活は一層困窮することになる。

日本より高くなった家賃

 食だけでなく家賃もまたしかり。先進国と比較すれば格安とはいえ、年々上昇傾向にある。

 日本人居住区でマンションを借りると、3万〜4万バーツ(約10万円から約13万円)が相場。東京の都心でもこの家賃だと、見つかる物件は多く、日本の地方や一部地域より高くなっているともいえる。

 タイに移住する高齢者の中にも、企業年金と国民年金の両方を受給し、物価が高騰した今でも、比較的余裕を持ちながら暮らす日本人はいる。

 しかし、日系スーパーで買い物をすれば、「日本では、1袋400円のみかんが800円(10個入)、1個90円のりんごが200円、1匹100円の秋刀魚やいわしが500円、豆腐や納豆も1パックが300円ほどで、1回の買い物に毎回最低1万円はかかる。物価安で日本より優雅に、とタイに来たが、日本より苦しい台所事情に直面している」(70代の大手商社リタイア夫婦)という。

 まして、タイに移住するリタイア高齢者の約半数は、老後破綻した年金生活者とみられている。年金が少なく日本での生活苦から抜け出すため、日本を脱出してきた人たちだ。

 彼らは首都バンコクでの「リタイアリッチ」の夢を諦めざるを得ず、チェンマイやチェンライといった地方都市に"脱出"し始めている。生活環境はバンコクより劣るが、飲食や住居などの出費は、大分安くつく。

 特に今、タイで日本人のリタイアプアが多く住む地域は、チェンマイだ。そのため、日本の高齢化と同じように、チェンマイで日本人の高齢化、"老人ホーム化"が進んでいる。

 タイの外国人退職移住者対象のリタイアメントビザは、申請条件が、80万バーツ(約270万円)以上の銀行預金残高、あるいは、年金受給が6万5000バーツ(月々、約21万5000円)。

 しかし、チャンマイには、リタイアメントビザの申請条件に達せず、取得していない人もいる。彼らは、家具や家電付きのサービスアパートを、5000〜6000バーツ(約1万7000円から2万円、月々)ほどで借り、食費を最小限に切り詰め、3万円以下の生活費で暮らしている。その人たちの多くが、年金支給額6万〜8万円の日本での低所得者だ。

 ちなみに、タイの大卒初任給は約1万5000バーツから約2万1000バーツ(約5万〜7万円、首都バンコク勤務)なので、日本人のリタイアプアはタイでは低所得者層ではない。

 そんなチェンマイには、日本人が貧困、単身という同じ境遇の中、肩寄せあって暮らす老人ホームのようなアパートが散在している。日本人観光客も訪れる夜店の近くにある7階建てのアパートは、日本の公営アパートを想像するような建物。

万引きや強盗まがいも後を絶たず

 住民の多くは、日本人のリタイアプアの60代から80代の人たちで、建物内は小奇麗に清掃が行き届いている。家具、トイレ、ベット、バス付きで1泊から宿泊可能。家賃は月々5000バーツ(約1万7000円)。

 「住民は日本人の高齢者がほどんど。NHKも見られる。ここと同じような高齢者対象のアパートもいっぱいある」(住民の日本人高齢者)という。

 彼らの中には貧困から地元のスーパーで万引きをしたり、日本人を騙して食いつないでいる貧困のどん底の暮らしを強いられている人もいる。

 6月9日、タイ在住の邦人男性(55)に対する傷害や監禁の疑いで、東京都大田区の無職、鶴添玲王容疑者(40)ら日本人3人が逮捕された。

 当局によると、容疑者らは被害者の男性をバットで殴るなど暴行し、3億円を払うよう脅迫していたという。加害者は暴力団関係者で、発見が遅ければ、被害者の男性は亡くなっていたかもしれない。

 また、日本人が移住する際、心許した日本人不動産関係者が、日本人に相場の2倍ほどの値で住宅を売りつける場合や、借金の抵当が設定されている物件を売りさばくケースも増えている。

 チェンマイでも、日本人同士のトラブルから、タイ人女性も絡んだ殺傷事件に発展するケースや、リタイアプアの人が比較的裕福な日本人を騙し、お金を無心する事件が後を絶たないという。

 チェンマイに数か月前から住み始めた70代の日本人高齢者夫婦が街を歩いていると高齢の日本人男性から次のように声をかけられたという。

 「当座のお金に困っていて、少し貸してもらえないか。銀行口座には日本の留守宅の家族がもうすぐ、入金してくれることになっていて、すぐにお返しします」

 当惑していると、「日本人なら助けてくれてもいいだろう」と態度を豹変され、怖い思いをしたそうだ。最近は、タイ人から見ても身なりの貧しい日本人が街を闊歩しているそうである。

 タイに逃げ出すリタイアプアの日本人高齢者の中の多くが、「年金受給の引き下げによる生活苦」を挙げている。

いまだに東南アジア移住を勧めるのはなぜ?

 しかし、将来的にタイ政府は、国民所得の増加を計画している中、最低賃金の引き上げが再び実施される可能性は否めない。そうなれば、さらなる物価、不動産の高騰は目に見えており、日本人リタイアプアの夢物語は、将来的にも現実的ではない。

 しかし、日本ではいまだに、貧困層の高齢者にタイを含めた東南アジアへ、日本から脱出するようアドバイスするフィナンシャルプランナーなどがいる。

 「今やタイは年金に頼る高齢者の移住先ではなくなりつつある。今後はリタイア高齢者は淘汰されるだろう」とタイのバンコクに長年住む日本人経営者は言う。実際、東南アジアでの移住、ロングステイの取得条件は年々、厳しくなっている。

 直近11年間、日本人の移住先で最も人気の高いマレーシアでもロングステイ用ビザ(MM2H、50歳以上)の取得条件は、「1100万円の資産証明(不動産含まず)、¬500万円をマレーシア国内の銀行に定期預金、7邀枳32万円の収入証明(手取り)」とハードルは高くなる一方だ。

 さらに、数か月から半年単位の海外滞在では家賃の安さは享受できないどころか、異国の地では、「言葉も食事も違う」「医療・介護制度は未整備」「治安も非常に悪い」。高齢者には向いていないように思う。

 今や中高年のお金持ちの「南の国でリッチに、リフレッシュしたい」ための移住で、年金生活者が「物価が安く、ワンランクアップの東南アジアでの優雅な暮らし」のための時代ではなくなった。

 現状を把握していないか、自らのビジネス、あるいは個人的な利害関係か、年金貧困者に東南アジアへの移住を勧める専門家は信用できない。

筆者:末永 恵