名選手にして名監督。美しいサッカーを愛し、それを選手にも求め、そのための指導は的確だった。天才ゆえに個性は強く、選手との対立も少なくなかったクライフだが、その言葉には人を動かす力があった。 (C) Getty Images

写真拡大 (全2枚)

<大声を出して選手の闘争心を煽る>
 
 それは監督が日常的に行なう、仕事の一端と言えるかもしれない。
 
 強く戦う気持ちを伝える。まるで、脳内の闘争心を選手たちに移植するように――。
 
 それはリーダーとして、決して珍しいやり方ではない。常套手段のひとつと言えるだろう。
 
 しかし、当然のことだが、怒鳴れば必ず選手の気分が高まる、とは限らない。逆効果となる場合も多々あるだろう。
 
 いつ、どこで、どのようにして、選手の士気を高めるような一言を発せられるか? そこに、リーダーとしての重要なポイントがある。それは言い換えれば、リーダーには、選手の心に響く言葉が求められるということだろう。
 
 場合によっては、論理を打ち破るような一言が必要となることもある。古今の名将も、乾坤一擲の勝利を得るに、時として論理を捨てている。
 
 例えば、戦国時代の猛将、柴田勝家は大軍に囲まれた時、籠城に必要な水瓶を割って、城内の水を将兵にたらふく飲ませた。敵に余裕を見せる一方、水瓶を割ることで「ここが死に場所。末期の水とせよ」と不退転の意志を示し、窮地を脱した。
 
 また、西楚の覇王、項羽は渡河した後に船を焼き、食料も3日分を残していながらも全て川に捨てている。「活路は前にしかない」と宣言して自軍を追い込み、10倍もの兵力を誇る敵軍を破ったのだ。
 
 籠城で水瓶を割るのも、川を背にして戦う行為も、アンロジカルな決断である。わざわざ、自らを不利な立場に置いている。しかし、兵士の腹を据わらせるにリーダーが非情さを見せることは、有効となり得る。
 
 もっとも、気まぐれから、趣向の違うやり方で選手の士気を高めようとしても、きっと失敗するだろう。なぜなら、選手は監督の言葉の中身よりも、普段の生きざまのほうを見ているからだ。
 
 柴田勝家は「かかれ柴田」という異名にあるように、突撃を得意とした。項羽も勇猛さは天下に轟き、戦は百戦して百勝、という経歴があった。将兵たちは、そこに説得力を感じたのだ。
  1991-92シーズン、ヨハン・クライフはバルセロナを率い、チャンピオンズ・カップ(現リーグ)決勝に進出。イタリア・サンプドリアとの一戦を控えるロッカールームで、彼は「初の欧州王者になる!」と気合を入れた後、緊張で身体を固める選手に向かってこう言ったという。
 
「ウェンブリーだぞ、楽しんでこい」
 
 サッカーボールを最高の舞台で蹴る、という子ども時代からの夢を、クライフは選手たちに思い出させた。それによって、結果に対してがんじがらめになっていた選手たちの気持ちを解きほぐしたのである。逆説的な魔法の言葉と言えるだろう。
 
 そしてバルサは、サンプドリアを撃破し、欧州王者になった。
 
 名将に共通するのは、言葉そのものよりも、その生き方にある。クライフは「無様に勝つくらいなら、美しく散れ」と常々言い、まさに彼自身、そういう華やかなサッカーを選手として志向し、監督としても美学を求めてきた。それが、彼の生きざまだった。
 
 選手はその姿を目に焼き付けてきたからこそ、クライフの発する言葉の本質を信じられた。
 
  今シーズン、レアル・マドリーで欧州連覇を達成したジネディーヌ・ジダンも、生きざまで選手を引っ張る。彼は大声を出さず、囁くように言う。厳粛な空気で、士気を高める。小手先の戦術は、簡単に蹴散らしてしまうほどに。
 
 言葉だけを選手に伝えても、それは心の奥にある装置を点火することはない。
 
文:小宮 良之
 
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、今年3月にはヘスス・スアレス氏との共著『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』(東邦出版)を上梓した。