【Playback!】宮市に捧ぐ、「ACL損傷」から復活した9人の大物

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28日、ドイツ2部のザンクト・パウリは、元日本代表FW宮市亮が右膝の前十字靭帯を断裂したことを発表した。

プロ入り後ほぼ毎シーズン、怪我に悩まされてきた宮市。ザンクト・パウリ加入直後にも左膝の前十字靭帯を損傷しており、これで左右両足の靭帯を負傷したことになる。

スピードのある選手の宿命ともいえるが、今後のサッカーキャリアにどのような影響を及ぼすのか心配される。

ただ、昨今は医療技術の進歩により重傷から復活を果たすケースも増えてきた。

そこで今回は、宮市の早期復活を願い、昨年12月3日に配信した「ACL(前十字靭帯)の損傷・断裂の大ケガから復活した9人の選手たち」をピックアップの形でお届けしよう。

ラダメル・ファルカオ(コロンビア代表FW)

不運にもACL損傷に苦しむことになった選手のひとりであるファルカオ。両足のヒザに3度も深刻な怪我を負ってきたことを考えてほしい。

最初に右ヒザを痛めたのは、リーベル時代の2005年11月。数か月後に復帰したものの悪化させたことによって結局10か月も離脱することに。

その後、南米で最も怖ろしいストライカーのひとりとして見事な復活を遂げた。さらにポルトとアトレティコ・マドリー時代には世界屈指のCFになったが、3度目のヒザの負傷によって彼の全盛期は終わってしまったかに思えた。

だが、2016-17シーズン、見事に復活。リーグ・カップを合わせて30ゴールを記録した。

アラン・シアラー(元イングランド代表FW)

彼もまた素晴らしいストライカーながら、怪我という怪我を経験した選手だった。

イングランド史上最高額(当時)でブラックバーンに加わった1年目に、ACL損傷に見舞われた。だが、ものすごい復調を果たし、翌シーズンには40試合31ゴールを記録。「FWA Footballer of the Year」を受賞した。

その数年後、ニューカッスル時代には足首の靭帯を損傷。2度も大ケガを負ったにもかかわらず、プレミアリーグ史上最多スコアラー(260得点)に君臨している。

アレッサンドロ・デル・ピエロ(元イタリア代表FW)

ファルカオと同様に彼もまた全盛期にACL損傷に見舞われる不運を味わった選手だ。

負傷した1998年当時、彼は世界最高のアタッカーのひとりとして評価されていた。前年には47試合32ゴールを記録し、スクデット獲得とCL準優勝に貢献したのだが、この年は傍観する立場に…。 

復帰後はスピードが落ちたが、より深い位置のFWとして見事な適応をみせ、ユーヴェでその後も13シーズンプレー。イタリア代表として2006年のW杯では優勝も経験した。その後、オーストラリアとインドでもプレーし40代まで現役を続けた。

ロイ・キーン(元アイルランド代表MF)

10年以上に渡ってマンチェスター・ユナイテッドの原動力だったロイ・キーン。

ACLの損傷によって、1997-98シーズンを実質的に棒に振ってしまった。また、負傷を巡ってノルウェー人MFアルフ=インゲ・ホーランと熾烈な確執が生まれた。

負傷からの復帰後は、Box to Boxなエンフォーサーというそれまでのスタイルと全くの同一ではなくなったが、その後もユナイテッドに多大な影響力をもたらす選手であり続けた。

ロベール・ピレス(元フランス代表MF)

アーセナル在籍時の2001-02シーズン、アンリやベルカンプ、ヴィエラらとともにプレミアリーグを制したピレス。シーズン終盤の3月にACLを損傷したにもかかわらず、『FWA Footballer of the Year』を受賞した。

ただ、この怪我によってピレスは2002年W杯を欠場。翌シーズンはマンチェスター・ユナイテッドに優勝をさらわれ、アーセナルファンは7か月もの間彼がいなかったことを嘆くことに。

ルート・ファン・ニステルローイ(元オランダ代表FW)

1999-00シーズンにPSVで23試合29ゴールと大爆発した後、クラブレコードでマンチェスター・ユナイテッドへ移籍することが内定していたファン・ニステルローイ。

だが、決定の数日前に右ヒザのACLを損傷したことで、ユナイテッド行きが立ち消えに。1年ほど離脱することになったが、サー・アレックス・ファーガソンの熱意は変わらず、翌年の夏に1900万ポンドで移籍が決まった。

ファーガソンからの信頼は、219試合150ゴールというユナイテッドでの立派な記録に反映された。

ロベルト・バッジョ(元イタリア代表FW)

1993年のバロンドール受賞者であるバッジョは、世代トップの選手のひとりだった。そんな彼もまたキャリアを通じてヒザの怪我と戦い続けた。

当時18歳だったヴィチェンツァ時代、右ヒザのACLと半月板を損傷。2箇所を負傷する酷い怪我によって、そのキャリアが本格的に始まる前に終わる可能性さえあった。

重傷を負ったにもかかわらずフィオレンティーナは獲得を決めたが、その後も再びヒザの靭帯を痛める不運を味わった。キャリアを通じて怪我に苛まれ続けたバッジョだが、クラブレベルのみならず、アズーリでも56キャップを記録するなど輝きを放ち続けた。

フランチェスコ・トッティ(元イタリア代表FW)

2007-08シーズンの終盤、ローマのカピタンはリヴォルノ戦でACLを損傷。数週間後に控えていたコッパ・イタリア決勝を逃すことに。

4か月離脱することになったが、復帰後は完全復活をみせた。2016-17シーズンいっぱいでローマを退団し現役引退を囁かれているが、J2東京ヴェルディが獲得に乗り出していると伝えられる。

チャビ・エルナンデス(元スペイン代表MF)

バルセロナ史上最多出場記録(767試合)を誇るチャビは、ほぼ常にシーズン50試合以上でプレーし続けた。

ただクラブのレジェンドになる途中だった2005-06シーズン途中にはACL損傷で、4か月も離脱することに。残りシーズンと2006年W杯も欠場するのではないかと思われたが、CL決勝でベンチ入りしたほか、W杯の代表メンバー入りも果たした。

この重傷を乗り越えた経緯を考えると、最多出場記録はより印象的なものになる。