この時の盛り上がりは凄かった。
 
 当時はレギュレーションの独自性が強く、試合は引き分けなしの延長戦、PK戦で勝点3を決めた。
 
 サッカーは引き分けという形で笑ったり、泣いたりするのが醍醐味でもありながら、「引き分けはつまらない」とVゴール制度を採用したのである。
 
 だから、例えばプロ野球のように10チームをセ・リーグとパ・リーグのように2グループに分け、降格も昇格もなしで、1年間にできるだけの試合をやる――。ということをやっていたら……。
 さらに、チーム名にはスポンサー名を付けてもOK! ただし、新たなクラブはJリーグに加わる道がなく、できたとしてもクラブは新リーグか下部カテゴリーで、天皇杯やカップ戦で闘うしかない――。となっていれば……。
 もしも、Vゴール方式も含め、これらを25年間やっていたら日本独自のサッカー文化になっていただろうか?
 
 今では欧州に習い、サッカーでは当たり前の普通の盛り上がり方に習う。経営も同じだ。(その普通が日本のサッカー界では普通ではなかった…)
 
 今のままでは世界のリーグには敵わないとなって、もし日本独自の新しいトライを突き詰め追求しようとしたら……。世界からは、サッカーに無知な日本人と笑われ、きっと僕も笑う側にいたに違いない。
 
 そして25年間、異なるやり方を通していたら、あるいはワールドカップ5大会連続出場も、今の日本におけるサッカーの発展もあるかは分からない。サッカーは何十年もこうやって認められ、サポーター・ファンが感動し、熱狂してきたのだから……。
 
 やはり新しいことにトライ、チャレンジすることは難しい。
 
 これが普通、当たり前、基準(スタンダード)なのである。
 
 話は戻るが、フグが高級な食べ物になり普通の人はなかなか食べることのできない料理になるまでには、何人の人がフグを食べて死んでしまったのであろうか? 毒を食べて最後には毒を取り除いて美味しい所だけ食べるようになるまで何人の人が犠牲になったのだろうか?
 
 日本のサッカーも、フグを食べた昔の人のように、トライするなかで死んでしまったかもしれないのだ……。だからこそ日本式をサッカーの世界で築くということは、すごく大変なことなのである。
 
 今回はやや極端な話でテーマを表現したが、要は大きな流れに抗い、独自を編み出し根づかせるのは、いかに大変なことか、ということだ。
 
 発明家は、(発明の)1日前に発明することをやめたら、発明家ではなかったという言葉があるように、諦めずにやり続けることの大切さに納得する。
 
 人の真似は簡単だ。周りに合わせるのも普通だ。独自を極めることは本当に凄い。実現するには相当なパワーがいるのだから。
 
2017年6月27日
三浦泰年