『時間線をのぼろう【新訳版】 (創元SF文庫)』ロバート・シルヴァーバーグ 東京創元社

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 シルヴァーバーグはおびただしい著作のある作家だが、本書『時間線をのぼろう』は代表作のひとつといってよかろう。この作家のいくつかの特色がうまい具合に噛みあって、小説として均衡がとれている。創元SF文庫がまだ創元推理文庫SFマークだったころ、中村保男訳の『時間線を遡って』として邦訳刊行され、ファン投票の星雲賞を獲得している。それがこんかい、伊藤典夫訳で出直した。じつは、中村訳(1974年)に先駆けて、伊藤訳が〈SFマガジン〉に掲載されており(1970年)、それがようやく書籍のかたちになったわけである。もちろん伊藤さんは訳文に手を入れていらっしゃるが、これを「新訳」といってよいのかどうか難しいところである。

 さて、そのタイトルが示すとおりタイムトラヴェルSFで、主人公たちはさまざまな時点を往き来するのだが、メインの舞台となるのは五世紀のビザンティウムだ。地理的には現在のイスタンブールだが、都市そのものはギリシャ人によって建造された。主人公のジャド・エリオット(ぼく)は、時間旅行の観光ガイド----作中では「クーリエ」と呼ばれている----として、ここを訪れ、絶世の美女プルケリア・ドゥカスと恋に落ちる。「時を超えた愛」を扱った小説は、ロバート・F・ヤング「たんぽぽ娘」やロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』をはじめ枚挙にいとまがない。そのなかで『時間線をのぼろう』が異色なのは、ロマンチックなだけではなくエロチックであり、しかもいささか背徳的な匂いがあるところだ。プルケリアは未成年、しかも人妻である。おまけに、チャドの遠い先祖にあたる。遺伝子的にはじゅうぶんな距離があるにしても、道徳的規範に照らせばビックリであって、そのタブーブレイキングなところをシルヴァーバーグはちゃんと狙っている。

 もちろん、時間SFの常道である「過去に干渉してはならない」にも、甚だしく抵触する。タイムパラドックスは起きないのか? そこがどう処理されているかも、読者にとって大きな興味となる。

 シルヴァーバーグがうまいなあと思うのは、まず物語の幕開けのしかただ。2059年の春、二十四歳のジャドが享楽的な繁栄の都市ニューオリンズに到着する。その奇態な風俗、刹那的だが体制に馴致もしている若者の生きかた、差別意識などまったくなしに互いの人種的特徴を冗談にできる未来の常識......。それらがいきいきと描写されている。それによってジャド自身、また彼の親しい友人となる黒人男性サムの性格や倫理感が浮き彫りになる。いわばビザンティウムで繰り広げられる情事のプレリュードだ。

 ジャドは、サムの誘いで時間局に就職する。時間局の職員は二種類あって、ひとつは時間犯罪を取り締まるタイム・パトロールで、もうひとつが観光客の過去旅行に随伴するタイム・クーリエだ。サムは時間局のクーリエであり、ジャドも同じ職種になる。大学でビザンティン文化を専攻していたので知識的にはもうしぶんがない。

 面白いのは、タイム・パトロールとタイム・クーリエのあいだに反目があることで、クーリエたちはパトロールを粗野だと嫌っているし、パトロールはクーリエを狡(こす)いやつらだと軽蔑している。過去の改変は重大犯罪だが、軽微なそれならば時間線を大きくゆがめることはなく、クーリエたちもパトロールの目を盗んでちょくちょく過去の工芸品を別な時代で売りさばくようなことはしている。また、過去改変が発覚した場合は、その改変以前の時点に遡ってキャンセルし、時間線を元どおりにする。因果律を厳密に考えればパラドックスが起きそうだが、この作品の時間構造にはどうやら柔軟性があるらしい。

 ジャドはすぐにクーリエの仕事に慣れ、適当にビザンティウムでの生活をエンジョイするようになる。ビザンティウムの文化や景観の描写も『時間線をのぼろう』の読みどころにひとつだ。シルヴァーバーグはノンフィクション・ライターとして1960年代から70年代前半まで多くの著作を発表しているが、その片鱗がこの小説でもうかがえる。

 さて、ジャドの指南役になったのは、過去のビザンティウムに別荘までつくっている先輩のクーリエ、メタクサスだ。こいつが『GG』も真っ青の悪オヤジで、美術品をメシのタネにするわ旨いものを食いちらかすわ女とみれば手を出すわ、もう破戒のかぎり。なにしろクーリエをつづけているのも、非合法の副業に都合がよいというだけの理由だ。このメタクサスがジャドにはじめて会ったときに、こういう。「自分のご先祖さまと寝たことがなきゃ、人生を生きた意味はないぜ」

 とっぽいジャドもさすがに引くのだけど、プルケリアをひと目みたときにその理性もふっとぶ。人間はリビドーのしもべである----というのは、シルヴァーバーグ作品にけっこうある展開だ。正直なところ、私はこうしたシルヴァーバーグの「おっさん臭さ」が苦手なのだけど、こと『時間線をのぼろう』に限っていえば、その臭気が突きぬけるほどに全開なので、もう笑って読むことができる。色惚けのダメなおっさんが時間をうろうろする艶笑譚である。

 とくに、高貴な麗人としてジャドを魅了したプルケリアが、時間改変によって蓮っ葉な娼婦に変身してしまうあたりは、いたましいやら情けないやらで、すべての登場人物が気の毒になる(ああ、すべてではないね。メタクサスだけはヒドい目に遭うがいい)。

 とはいえ、嘆くのはまだ早い。プルケリアを元に戻す手だてはある。時間線をのぼって過去改変をキャンセルすればいいのだ。しかし、あまり大ぴらに動くとタイム・パトロールに気づかれてしまう。時間は無限にあるけれど、実際に使える時間はごくごく限られている。ジャドと仲間はうまく切りぬけられるだろうか?

(牧眞司)