前回のコラムが公開された6月23日、前川喜平・前文部科学事務次官が日本記者クラブで記者会見を行いました。物事にはタイミングがあるようで、偶然ですが軌を一にしたようです。

 前川氏の記者会見、その内容について細かにここでは触れません。筋道を通して曇りなく話しておられたこと、原稿の棒読みではなく、視線を定めて丸2時間、一貫して自分の言葉できっちり話される胆力は、40年間にわたって1つの官庁で責任を取り続けた器量と思いました。

 また末尾に示された「個人の尊厳」「国民主権」という2つの言葉は印象的でした。

 天下の大新聞が必要なチェックを怠ったまま報道したとされる、極めて恣意的な前川さんに関する報道は、どう見ても個人の尊厳を踏みにじるものだとしか言いようがありません。万が一、情報の出所が官邸などということがあれば、憲政の本義から問い直されねばならないでしょう。

 この翌日、安倍晋三内閣総理大臣は出先の神戸での新聞社系主催の講演の中で仰天の「決意」を表明したと報道されました。以下、私も郷原信郎さんの指摘で気づいたのですが、これ、アウトです。

 せっかく「総理の口からは言えないから」と、和泉洋人・内閣総理大臣補佐官とか官房副長官とか、様々な人材が陰日なたで動いて努力してきたのに(それ自体、やってはいけないことだと思いますが)、本人自らが全否定してしまったのですから、周りもたまったものではないでしょう。

 つまり、官邸が必死で糊塗してきた「内閣総理大臣は、獣医学部設置認可の問題に一切関わっていないし、具体的に関わる立場ではない」という主張が覆ってしまった。これで終わった、「自爆」と郷原さんは表現しておられました。

 当該部分を引用してみます。

 「獣医学部の新設も半世紀以上守られてきた堅い岩盤に風穴をあけることを優先し、獣医師界からの強い要望をふまえ、まずは1校だけに限定して特区を認めました」

 「しかし、こうした中途半端な妥協が、結果として、国民的な疑念を招く一因となりました。改革推進の立場からは、今治市だけに限定する必要は全くありません」

 「すみやかに全国展開を目指したい。地域に関係なく2校でも3校でも、意欲あるところにはどんどん獣医学部の新設を認めていく。国家戦略特区諮問会議で改革を、さらに進めていきたい、前進させていきたいと思います」(http://www.sankei.com/west/news/170624/wst1706240054-n1.htmlから引用)

 これはさすがに成立しないと言わざるを得ないでしょう。

 まず郷原弁護士の指摘を引用しておきます。

 「安倍首相は、『獣医学部新設の認可』に関しては権限を一切行使することも、全く関わることもなく、自分とは全く関係ないところで行われたものだ」と説明し、国会で野党から質問を受ける度に、『自分は関わっていない』『指示したことはない』と関与を否定し、野党の質問自体を『印象操作だ』と言って逆に批判をしてきた」はずでした。

 実際、首相自体が行脚して権限を行使したりはせず、「総理の意向」と官房副長官が言ったとか言わなかったとかいうメモが怪文書扱いされて、そうやって周りが庇ってきたのに、あろうことかご本人様が

 「1校に限定して特区を認めた中途半端な妥協が、結果として国民的な疑念を招く一因となった」

 「今治市だけに限定する必要は全くない。地域に関係なく、2校でも3校でも、意欲あるところにはどんどん新設を認めていく」

 という「総理の意向」を露骨に語ってしまったのですから、将棋で言えばこの時点で詰んでしまいました。さらにその内容は、政策本来の目指すべき方向とほとんど無関係なものになっています。

 「特区の全国展開」と読める内容ですが、限られた財と資源を国家戦略に基づいて「選択」し「集中」するのが特区選定の効用で、「全国展開」となれば「特区」の意味がどれほどあるか、一つひとつの特区に十分な拠点形成が可能であるか、率直に疑わしいと思います。

 また、より明確に指摘するなら、この特区は「しまなみ海道国際交流・ビッグデータ活用拠点」として、スポーツ、観光など様々な分野を対象とするものであるはずです。

 ところが、なぜか最初から「教育」として1点だけ「獣医学系」という「選択」と「集中」があったことは、前回、2015年12月の諮問会議配布資料に即して指摘したとおりです。

 残念ながら、前川前次官の記者会見でも「大学設置・学校法人審議会」では、大学として成立し得るか否かはチェックするけれど、特区に設置するにあたっての前提となる政策意図に合致しているかどうかは審査の対象にならない、とコメントされています。

 すでに存在している普通の意味での設置基準に照らして、合致していればOKを出す、それだけの機能であるということです。

 となると、いったん諮問会議さえ通してしまえば、あとは国家戦略特区の趣旨に合致しようがしまいが、ノーチェックで勝手な大学を作っても、結果的に誰からも何のお咎めもないということになる。

 これは制度設計の穴、バグと言わねばならないでしょう。

 筆者は過去約20年、公務でわが国高等学術の国際戦略にアカデミック・ディプロマットとして携わってきました。その観点から、たぶんどこから見ても文句のつかない「国際教育交流拠点」としての具備すべきミニマムの条件を記して見ます。

1 最低3割は非日本人教員採用でのスタート

2 国際的な学生採用通知、外国語(英語、中国語など)での募集要項と入試、授業体制の確立

3 ビッグデータ活用特区の政策課題に対応した情報システム専門家の採用・教職員チームの編成(これは生物統計の専門家などが兼務して務まる仕事量ではありません。システム管理者として最低大講座1つ分程度のスタッフが必須不可欠

4 国際学寮など教育交流拠点として必須の設備投資

5 本質的には、学部学生教育程度の水準で、未踏のバイオサイエンス新分野の国際競争力拡充などできるわけがありません。沖縄科学技術大学院大学のような先端教育研究組織の設立であれば判る話ですが、単に地元の獣医不足対策では7〜8年後から新卒の獣医が出るというだけで、喫緊の国家戦略とは無関係です。大学院を含む戦略組織としての段階的強化の現実的な計画は提出必須と思います。

 仮にこれらを「国際交流・ビッグデータ活用拠点」チェックの5条件と呼ぶとして、これらの1つでも満たされていなければ、行政から強い指導が入るべきと思いますし、3つ以上が満たされていない計画なら見直し=そのままでの進行はいったん停止させるのが妥当な判断と思います。

 この種の業務に就かれたことがある方なら過半数が、極論でない妥当な条件と言ってもらえると思います。ちなみに上では、国際人事3割でよいといっている。

 つまり7割は日本人でいい国際交流拠点、実は大甘な採点基準で、こんなものも満たせないなら、本当にただのローカルな話で、国家戦略全体の力になるアウトプットとして特区優先される成果は、まず期待できません。

 前川前次官も、政策としての設置条件に本当に合致しているか、大学設置審でチェックできない「国際競争力の強化」や「国際経済拠点の形成」といった目的に適っているかどうか、あるいは閣議決定されている4条件に適合しているか、といった審査は、大学設置審議会では審査されずスルーであること、それらについては改めて問われなければならないと思う、と会見で述べています。

 音声動画をリンクしておきます。1時間7分目前後で詳細に触れられています。

 前川さんの指摘はあくまでデュープロセス、正当な手続きを念頭に置くもので、結果的に文科省の設置審が通したとしても、その時点での「最終的な仕上がり」としての大学の姿が国家戦略特区の満たすべき諸条件に照らして合致しているかどうか、きちんと確認してもらうということが必要ではないか、とのコメントがありました。

 私も全く同意見です。少なくとも、ノーチェックで通すというのは良くないでしょう。「中国地方の獣医師不足」「地元長年の悲願」といった要請がローカルにあるのは当然ですが、それが国家戦略特区の趣旨に合っているかどうかは全く別問題です。

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「地元の悲願」「全国展開」?

 別の一例を挙げて客観的に考えてみます。私がよく散策に出かける東京都武蔵村山市には鉄道がありません。バスの運行網は発達していますが、都内に出るにも他県に行くにも、電車に乗るには路線を乗り換えねばならず、はっきり言って不便です。

 このあたりは小学校1年次から私には慣れ親しんだ地元で、過去40数年の住民感情を等身大で認識していますので、あえて便・不便まで踏み込んで記しましょう。

 武蔵村山には、1929年にトロッコの軽便鉄道線(東京の水源として作られた人造湖ダム「村山貯水池」(1927―)の工事で敷かれたもの)が廃止されて以降、ほぼ90年間にわたって鉄道がありません。戦後72年、高度成長の昭和30年代ですら、鉄路の敷設とは無縁でした。

 1998年、すぐ近くまで「多摩都市モノレール線」が開通した頃は「武蔵村山にも延長を」という声が強く上がりましたが、あれから約20年、延伸案は絶えて実現していません。

 「地元の悲願」だけで言えば、日本全国あらゆる自治体が「悲願」だらけと思います。また「それなら」と日本全国に新たな鉄道を敷設しまくるということがあり得るでしょうか。

 赤字ローカル線の廃止はあっても、その逆が進むわけがないのは火を見るよりも明らかです。「地元の事情」は国家戦略とは別の審級に属します。

 一個人としては、武蔵村山に鉄道線の延長があると地元の人が喜ぶだろうなと思いますが、仮にそれができたとして、国家全体のGDP(国内総生産)が上がるとか、景気が目に見えて回復するとか、雇用が優位に伸びるとか、そんな期待は全くできません。

 同様に、国際研究大学院大学などであればまだしも、アンダーグラジュエイト、つまり高校を出たばかりの国内の青少年に獣医学を講じる学校組織を全国展開しても、国際交流の進展はまず一切なく、また未踏の先端バイオサイエンスもビッグデータ活用も、特段の配慮がなければ全く関係ないでしょう。

 そもそも国家試験合格まで、学部教育のカリキュラムが満杯のはずですから、戦力になるような新教程を学部に混ぜ込むというのは、少なくとも東京大学では絶対に前提としない議論です。研究と教育が一体化した大学院それも博士レベルで、真剣に議論する内容であることを記しておきます。

 日本国全体の公益のため、「国際競争力の強化」「国際経済拠点の形成」といった本来の目的に合致しているかが国家戦略では問われます。

 ただ単にしゃんしゃん総会で有識者にプリントが配られ、「ご異議がなければ承認と看做します。ご異議ございませんね。では承認といたします」方式で流してしまえば、スルーのトンネルであって、合理的な適否の審査とは呼べるものにはなりません。

 正確を期すなら、諮問会議が委嘱して弁護士などを含む第三者審査委員会を招集、厳密に「国家戦略と合致した獣医学部の実施体制になっているか」といった具体項目を徹底して客観的に審査、結果を広く納税者国民、特に費用負担する地元住民に開示して、公正性を明らかにすべきでしょう。

 まともに公の施策を考えたことがあるものであれば、誰でもそのように言うはずです。今日の行政アカウンタビリティ、政策コンプライアンスに照らして、避けては通れないポイントと言うに違いありません。

 念のため付記しますが、私は前川前次官と一切の面識もなければ、お友達でもありません。文科省の管轄下にある国立大学―国立大学法人でこの20年弱、諸般の政策には関わってきましたので、そこでの常識的なことを記しているだけです。

 まともな人なら誰でも同じようなことを言うであろう、その範囲のみを記しています。またこれは「岩盤規制」などと揶揄されるものとまるで反対であることも明記しておきましょう。

 「岩盤規制にドリルで穴をあける」のだそうですから、それがきちんと開いているか、ほかならぬ諮問会議自身が責任を問われる局面です。第三者評価の通風性をもってしっかりチェックして、きちんと効果を上げなければなりません。

 万が一にも「国家戦略」は絵に描いた餅で、実際には許認可以降、羊頭を掲げて狗肉を売るみたいなことになっていたら、諮問会議そのものの意図が完遂されないことになってしまいます

「実現可能性評価」:フィージビリティ・チェックという観点

 神戸での安倍首相の講演で、もう1つ気になったことがあります。少し長いですが当該部分を引いて見ましょう。

 「『2050年の技術』。こういうタイトルの本を最近英国のエコノミスト誌が出版しました。その中には、ステーキや牛乳が生身の動物からではなく、細胞培養によって工場で大量生産されるといった近未来が描かれています」

 「(中略)さらには人間の脳とインターネットが直接つながる。写真や動画などのデジタルデータがDNAに保存されるようになる。私たちの想像を超える世界が展開されています」

 「『2001年宇宙の旅』。みなさんご存じでしょう。(中略)半世紀前は、SFの世界だった話が、人工知能の日進月歩により、今やしゃれにならなくなってまいりました。現代の私たちですら、驚くような未来が目前に迫っています。そうした変化に今よりもはるか昔、50年も60年も前の時代に作られた制度が対応できるはずがありません」(http://www.sankei.com/west/news/170624/wst1706240053-n1.htmlから引用)

 もしかすると安倍首相は、こういう話の枕を振っておけば、「しまなみ海道特区」が「国際交流・ビッグデータ活用特区」として、なぜか理由を一切明示されず「獣医学系」だけが最初から指定されている理由を示したことになると考えたのかもしれません。

 しかし、この政策は、前川前次官もフェアに言及しているとおり、向こう数年の現実の話として「国際競争力」が上昇し「国際経済拠点」が形成されるのが目論見で、きちんとした中間評価のシステムなどがあれば、期間途中でも達成度が低ければ予算の縮小があっても不思議ではない性質の、重点政策にほかなりません。

 10年ほどTLO(大学技術移転企業)の技術評価委員を務めた観点から、安全な範囲で申しますが、エコノミスト誌が描いたという「2050年の技術」の技術の大半は、今後5年10年で実現される期待は希薄で、つまるところ成長戦略として、喫緊の課題に応えて、2020年代の日本の競争力に直結することは、まずありません。

 上の講演では、SF映画や海外の未来予測に関する雑誌記事のお話は出てきますが、向こう1か年間に確実な成果の上がる国家戦略の具体が、確かな予測やプルーフを背景に語られる局面は見当たらないように思われました。

 もっと言うなら、それらが実現化した折には、2017年頃に急拵えで作られた施策は「50年も60年も前の時代に作られた制度」としてカビが生えているはずで、対応できるはずがありません。安倍氏自身が言っている通りになるでしょう。

 つまり、向こう数年でも役に立たないし、長期的な未来にも使い物になるあてがない。どこにも落としどころがない「国家戦略」に開いた穴となってしまいかねないということです。

 政策を考えるうえで重要な観点が1つ、完全に欠落しているから、こういうことになります。それは、期限がつけられた「実現可能性評価」、フィージビリティ・チェックという審査の観点です。

 また、いったん動き始めた政策は、必ず中間評価で達成度、当初目的からのずれや、内政外交の情勢変化によって必要があればプランの変更なども随時していく必要があるはずです。しかし、そうした観点がほとんど示されていないように見えます。

 改革、改革と言えば良さげに聞こえますが、その実、勝算がきちんとあるプランに、綿密細心なチェックを随時実施して、必要があればそのつど変更を加えていく、ということがなければ、あらゆる政策は失敗すると思います。

 私が具体例を知るケースとして、ドイツ連邦共和国の「インダストリー4.0」政策を挙げることができます。

 内外情勢の変化、昨年は移民問題に加えてブレグジット(Brexit)、米大統領選挙、暮れにはベルリンでのテロと、大変な事件が続きました。

 こうした情勢変化も見ながら、高度先端科学技術行政の随所で、詳細なチェックと変更、新政策の導入が、ドイツ技術科学アカデミー(AKATECH)を中心として検討、実施され、妥当性の低い政策、効率の低い施策などは随時再検討がなされます。

 国際的な観点で、短期から長期まで、様々なタイムスパンで責任ある政策戦略を立て、随時チェックしながら敢行していくには、それなりの準備が必要です。

 この原稿を6月25日、日曜の朝に入稿した後、同日夕刻のテレビ番組「真相報道バンキシャ」(日本テレビ系列)で、安倍総理の言葉として「あれは、あまり批判されるから頭にきて言ったんだ」という言葉(リンク先=https://www.youtube.com/watch?v=BYMjCOl-lrA)が報道されたのを知り、呆気に取られました。

 リンクの動画36分頃で、あくまで記者の取材による内容、くれぐれも誤報であってほしいと願わないわけには行きません。

 大学の観点から厳しく見てしまうと、そういうものが大きく欠落したまま、子供向けの夢物語のようなイノベーションのお話だけで物事が動くように、政治家も多くの有権者も根本的に誤解しているように思われてなりません。そんなに安易にことが動くなら、誰も苦労しないでしょう。

 次回は、そうした国家戦略を巡るマクロな理論解析などの話題を、値引きなしのレベルで扱ってみようかと思っています。

 2007年に日経ビジネスオンラインにコラムを書き始めてから丸10年、自分自身で引いた歯止めを1つはずして、次回は数式の使用を含むまじめなマクロ戦略をご紹介することを検討しています。

(つづく)

筆者:伊東 乾