港区であれば東京の頂点であるという発想は、正しいようで正しくはない。

人口約25万人が生息するこの狭い街の中にも、愕然たる格差が存在する。

港区外の東京都民から見ると一見理解できない世界が、そこでは繰り広げられる。

これはそんな“港区内格差”を、凛子という32歳・港区歴10年の女性の視点から光を当て、その暗部をも浮き立たせる物語である。

白金で生まれ育ったお嬢様の格の違いを思い知り、港区タワマン・オワコン説に異論を唱えた凛子。港区で燃え尽きた佐藤の茅ヶ崎移住に複雑な思いを抱いた。




女は美女を前にすると身構える


何故か昔から、凛子はCAという職業の女性に対して甘酸っぱい憧れと、偏見を持っている。

理由は分からない。幼い頃、家族旅行で乗った飛行機で、制服を着て働く人たちが美しく、眩しく見えた憧れが今も残っているからなのか。

それとも毎晩のように食事会に顔を出し、積極的に結婚相手を探す女性を多く見過ぎたからなのか。

どちらが正しいイメージなのか、自分でも分からずにいる。

職業で人を判断してはいけないことくらい百も承知しているが、職業とは時として人を、ある種の枠にはめ込むほどの力を持っている。

だから今日も美奈子からCAの美咲を紹介された時に、何故か思わず背筋が伸び、顔の筋肉が少し固まった。

「凛子さん、本当にお綺麗ですね。」

涼しげな笑顔で賞賛の言葉を送ってくれる美咲をまじまじと見つめる。

ピンと張った肌に、CAさん特有の少し濃いめの眉とリップメイク。

彼女たちの美容情報はどんな雑誌よりも役に立つと聞いたことがあるが、確かに機内の乾燥地獄を生き抜いているとは思えないような、眩いほど綺麗な肌をしていた。

「そんなことないですよ。美咲さんの方こそ、本当にお綺麗で。」

女性は、綺麗な女性が目の前に座ると何故か緊張する。自分の肌にアラはないか、今日の洋服は大丈夫か...。

同性にしか分からない無言の緊張感を感じながら、美奈子主催のランチ会は粛々と進んだ。


麻布十番と三田でそこまで違うのか?住所が持つ魔力とは


住む場所によって変わる、その人のひととなり


「美咲さんは、今どちらにお住まいなんですか?」

透き通るように綺麗な肌を見つめながら、美咲に質問を投げかけた。

“住む場所は、その人のパーソナリティーを形成する”と誰かが言っていた。

職業が、何となく人を枠に押し込んでいくように、住む場所は時として人を変えていく。

それは、人がその街の特徴に合わせていくのか、それとも街が人を変えるのか。どちらがすり寄っていくのかは分からない。

しかし、住所は各々の人格に影響を及ぼすことだけは間違いない。

「私は、十番です。」

日差しが差し込み、目の前に広がる木々の葉が美しく映える『ローダーデール』のテラス席でふわふわのオムレツを食べながら、美咲が答えた。




「そうなの?みんな同じようなエリアに住んでるのね。」

美奈子がクロワッサンを頬張りながら嬉しそうに微笑んでいる。普段炭水化物をあまり摂取しない美奈子。

そんな彼女がクロワッサンを食しているのは非常に珍しかった。

「十番の、どの辺りですか?」

十番と一口に言っても、その言葉が指す範囲は広い。

駅に近く、商店が集う麻布十番、豪奢な住宅も多い南麻布、少し寂しい東麻布、そして真のリッチな層が集う元麻布...。

港区の中でも、こんなに狭いエリアの中でここまで表情が異なる場所も珍しいだろう。 “十番”と言えども、千差万別だ。

「えっと...南麻布のちょっと先の方です。」

南麻布のちょっと先?思わず美奈子と顔を見合わせた。南麻布のちょっと先に、何かあっただろうか。

「二の橋を、慶應の方に行ったあたりです。」

もう一度、美奈子と顔を見合わせてしまった。

「それって...十番じゃなくて、三田ってこと?」


それって三田ですよね?それでも十番と言いたい女の見栄


三田よりも十番と名乗ることで自分の価値が上がる?


「そうですね、正確な住所を言えば三田になるのかしら。」

平然と話しながら、優雅な仕草でアイスティーに手を伸ばす美咲を見て、少し混乱してきた。

三田に住んでいるならば、三田と言えばいい。麻布十番に住んでいるなら、麻布十番で良いのだけれど、三田と麻布十番は違う。

「えっと...それじゃあご自宅は三田なのね?」

「三田ですが、聞かれたら麻布十番って答えているんです。三田と言うより麻布十番って言った方が周囲の反応が良い風に変わるので。」

三田と麻布十番は首都高2号線を隔てるだけの距離だ。信号を渡れば住所が変わる。しかしそのイメージは全く異なる。

現に同じ広さの賃貸を借りる場合でも、たった一本道路を隔てた三田に行くだけで1〜2万円ほど安くなる。

美咲曰く、三田と麻布十番では住んでいる女性のイメージが異なり、麻布十番の方が稼ぎが良く、華やかな日々を送っていると思われるそうだ。




誰のための、何のための見栄なのか


ランチが終わり、六本木ヒルズに寄っていくという美咲とは店前で別れた。座っていると分からなかったが、美咲はスラリと伸びた、とても綺麗な脚をしていた。

既に真夏のような日差しをジリジリ浴びながら、美奈子と二人でけやき坂を歩く。

「凄いブランディングね。」

今日の太陽は特に眩しく、そして肌を刺すように熱く感じる。日傘をさしていても、太陽の光は肌の奥まで熱くする。

「そうね...そこまでして住所にこだわる執念が凄いわね。」

たった一本道路を挟むだけ。それなのにここまで変わるイメージ。

「麻布十番も三田も、同じ港区に変わりはないのに。」

けやき坂を登りきったところで、美奈子が右手を上げ、タクシーを止める。

「やっぱり、港区に住んでいる人たちはどこか見栄っ張りなのかしら。」

まぁ私もだけどね、といたずらっ子のような幼い笑顔で、美奈子は颯爽とタクシーに乗り込み、去っていった。

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