スロベニア南部ポストイナにある「ホテル・ヤマ」で発見された盗聴用の隠し部屋の内部(2017年5月29日撮影)。(c)AFP=時事/AFPBB News

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【AFP=時事】冷戦終結からおよそ30年がたった今、諜報と権力闘争に色塗られた時代の秘密がスロベニアで白日の下にさらされつつある。

■チトーが愛したホテルの「盗聴室」

 森深いスロベニア南部コチェウイェ(Kocevje)から車で1時間。有名なポストイナ鍾乳洞(Postojnska Jama)のそばにある「ホテル・ヤマ(Hotel Jama)」は、旧ユーゴスラビアに一党独裁制を敷いたヨシップ・ブロズ・チトー(Josip Broz Tito)大統領が常宿とし、滞在中には客人も招いていた場所だ。このホテルで今年3月、これまで公にされていなかった秘密の監視部屋が、当時の家具や機材が残ったまま見つかった。

 ホテルの改修中、オーナーのマルヤン・バタギー氏(55)が建物の裏手に鍵のかかった鉄の扉があるのを発見した。このドアについて同氏は、「鍵が見つからなかったので壊すしかなかった。倉庫だろうと思ったら、見たこともない世界が広がっていた。ホテルの計画図面には存在しない空間だった」と話す。

 白いドアの向こう側には、3つの部屋が連なった盗聴室があった。1970年代の盗聴機器、都市の名前や番号が記載された書類の山、録音用テープの空き箱などもそのままだった。バタギー氏は、1960年代にホテルが建設された時点で作られたものだろうとみているとしながら、「市民の生活や軍事に関する情報収集の主要拠点だったと専門家らは言っている」とコメントしている。

 諜報員らがこの部屋にたどり着くためには館内を通る必要がある。その理由から、古くからの従業員らはこの部屋の存在を知っていながら口を閉ざしていたのだろうと同氏は考えている。「恐怖心からか、それともイデオロギーを妄信していたからなのか。今でさえ、まったく話題にしない方がいいと思っている者は多い」

 バタギー氏はこの部屋を「スパイ博物館」にする構想を持っていることをAFPに打ち明けた。

■迷路のような地下壕

 ユーゴスラビアは1990年に崩壊したが、旧ユーゴ諸国では今もチトー時代の痕跡がはっきりと見て取れる。

 コチェウイェ近郊にはトンネルや細い通路、爆破耐性がある分厚い扉などが完備された1950年代の地下壕もあり、今月初めて、当局によって公開された。800平方メートルの「迷路」の存在はつい最近まで秘密にされていた。ガイドになって間もないミハエル・ペトロビッチさんはAFPの取材に対し「封鎖された軍事基地の中にこういうものがあるといううわさは地元住民の間では以前からあった」と述べた。

 地下壕ツアーに参加すると、入口で携帯電話を預けるよう指示される。共産主義体制の様子を本格的に体験したい参加者には、コチェウイェ市街からこのスクリリェ(Skrilje)の地下壕に移動する車内で目隠しされるという選択肢もある。

 古びた機材の間をすり抜けて壕内を進む観光客を見下ろすのは、いかめしい顔つきのチトーの肖像だ。チトーは1945年から生涯にわたり旧ユーゴを率い、1980年に死去するまでの間に終身大統領にもなった。「チトー主義」は旧ユーゴ独自の社会主義で、民主主義には程遠かったが、旧ソ連型の社会主義よりは柔軟だった。

 チトーは第2次世界大戦中にパルチザンを率い、ナチス・ドイツ(Nazi)の占領軍を駆逐したことや、旧ソ連の独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)に反抗したことで尊敬を集めた。一方で反体制派を多数殺害した責任を追及する声もある。

 チトーは、1944年5月のドイツ軍による空襲をボスニア・ドルバル(Drvar)の防空壕で生き延び、その後、ユーゴ全土に最大50か所の秘密の軍事用地下壕の建設を命じた。これらの壕はユーゴ共産党の幹部の避難場所としてだけではなく、武器弾薬の製造工場や倉庫、空軍の地下基地などとして用いられた。
【翻訳編集】AFPBB News