2017年の東京を生きる大人の女性が、悔いなき人生を歩むために身につけるべき「品格」とは?

30歳で婚約破棄。未来に絶望した千晶は、導かれるようにして、ナンタケットバスケット教室「エーデルワイス」を主宰する高貴な妻、白鳥雪乃と出会う

雪乃の助言で少しずつ前向きさをとり戻す千晶だが、元婚約者・涼ちゃんから連絡があるたび心乱される。

そんな中、「エーデルワイス」で知り合った幸せいっぱいの新妻・結衣が、一人涙しているところを目撃する。




幸せな絵に隠された真実


日曜の白昼、プラチナ通り。

白金台はいつ歩いても豊かな空気が充満していて、幸せを絵にしたようだと、千晶は思う。

行き交う人々は揃って満ち足りていて、幸せを自ら主張することはなくとも周囲がそれを認めているのだ。

花々の刺繍が施されたグリーンのカーディガンを肩にかけ、白金台の交差点に佇む結衣もまた、ごくごく自然に「幸せの絵」の中に存在していた。

だから千晶は、彼女がまさか泣いているとは思いもよらなかったのだ。

-結衣さんは、結婚記念日でご主人とデートだそうよ。

ナンタケットバスケット教室「エーデルワイス」で雪乃からそう聞かされていたが、見渡す限り彼女の夫らしき人影はない。

結衣が取り乱すところなど想像もできないが、喧嘩でもしたのだろうか?

「...大丈夫?」

千晶より10cmは低いところにある彼女の小さな肩に手を置くと、驚くほど薄くて華奢で、同性ながら放っておけない気持ちになった。

しかし、しばらく下を向いていた結衣が次に目を合わせたとき、彼女は完全にいつもの穏やかな微笑を取り戻していた。

「千晶さん、びっくりさせてごめんなさい」

少々芝居がかった様子で、困った表情を浮かべる結衣。

「今日、風が強いでしょう。目にゴミが入ってしまって。これだから嫌だわ、ハードレンズって」

普段より饒舌に語る結衣が嘘を言っていることくらい、千晶にもわかる。

しかし彼女は決してそれ以上の詮索を許さず、微笑を保ったままその場を足早に去った。


結衣の涙の理由は…?そして千晶に、新たな恋の予感?


恋は、タクシー待ちに似ている


「先輩、恋愛は間を空けちゃダメなんです」

早帰り推進の水曜日。オフィスの化粧室で、千晶は後輩・あずの助言に神妙な面持ちで頷いた。

「一度恋愛から離れると、復帰に時間がかかるんです。先輩にもうそんな時間、ないじゃないですか?」

…大きなお世話である。しかし、あずの言っていることは正しいから千晶は頷くのみである。

彼女は4つも年下なのに、いつも上からなアドバイスをしてくる。

千晶は、これまで自分を姉御肌タイプだと思っていたのだが、あずに言わせると「先輩は不器用で心配」なのだそうだ。

…まあ実際、不器用だしかなり鈍感なのかもしれない。

元・婚約者の涼ちゃんが浮気していることにも、メッセンジャーを見てしまうまでまったく気づかず、一人浮かれて花嫁支度をしていたのだから。

婚約破棄以来、千晶は完全に自分の見る目や判断に自信を喪失している。

そんな千晶を見かねた顔の広いあずが「私、先輩のためにひと肌脱ぎます」と言ってきたのが、先週のこと。

そしてすぐに、大手法律事務所で弁護士をしているのだという36歳独身男性との食事会をセットしてくれたのだ。

正直まだ、新しい恋、という気分ではない。しかしそんなことを言おうものならあずに説教されてしまいそうだ。

鼻歌を歌いながらマスカラを塗りなおす後輩の横で、千晶は手持ち無沙汰にグロスだけ、重ねておいた。



恋は、タクシー待ちに似ている。

昔、そんなセリフをドラマで聞いた。待てど暮らせど全然来ないのに、探していない時にはすんなり空車がやってくる。

千晶も、まだ新しい恋をする気分じゃなかった…はずなのだが、求めていない時にこそ、素敵な男性に巡り合うものらしい。




「正木進一郎です」

『ご馳走 たか波』の個室で彼に出会った時、千晶の胸は無条件に高鳴った。

あずが紹介してくれた36歳独身男性は、爽やかで長身で、いわゆるイケメンだったのだ。

「立花千晶です。今日はよろしくお願いします」

涼ちゃんと付き合い始めてからは出会いの場と疎遠な生活を送っていたため、およそ2年のブランクがある。

妙に緊張してしまい、杓子定規な固い挨拶をしてしまった。

「ちょっと先輩、面接?」

あずが呆れた声を出すと、正木はそんなやり取りも楽しそうに笑っている。

「僕がそろそろ結婚したいんだという話をしたら、あずちゃんがすごく素敵な女性を紹介したいと言ってくれてね」

いつも上からではあるが、見えないところで優しく先輩思いなあずに感動しつつ、「結婚」というワードに、千晶は一瞬顔を強張らせた。

その、一瞬曇った表情を見逃さなかったのだろう、正木は再び爽やかな笑顔をたたえ、紳士的なフォローも忘れなかった。

「今日は、気楽に食事を楽しみましょう」

-涼ちゃんとは正反対だな…

綺麗に揃った歯がチラリと見える上品な笑い方も、グラスを持つ長い指も、穏やかな声のトーンも。

千晶に甘え放題だった末っ子気質の涼ちゃんとは、何もかも違う。

正木に感じる好意を邪魔するように、時々顔を出してくる涼ちゃんの面影を…千晶は必死で追い払うのだった。


正木に惹かれる千晶。そして、思いもよらぬ偶然が起こる。


不似合いな夫


「千晶さん、もう一軒行きませんか」

店を出た後、予想通り正木に誘われた。

あずを横目で盗み見ると「二人で行け」と眼力で語られ、「一緒に来て」と千晶も目で訴え返す。

「あずちゃんも、良かったら」

一瞬空いた間をきちんと察知して、正木はすかさずあずを誘う。彼はこうして終始、気遣いを欠かさない。だから一緒にいてとても心地よい。

紳士的な正木に好意はあるものの、だからこそこれ以上距離を近づけるのは次回に、と防御してしまう自分がいた。

そんな風に思うのは、不本意だけれど多分、涼ちゃんのせいなのだ。

お手洗いで席を立った時にスマホを確認したら、涼ちゃんからLINEが届いていた。

-いつものラーメン屋きたよ〜。千晶がいなくて淋しい…

ラーメンと、謎に半分だけ見切れた自分を写した写真が添えられていて、思わず笑ってしまった。

こういう、しょうもない俺通信を、涼ちゃんは悪びれもせずに時々送ってくる。

浮気した涼ちゃんが原因で、婚約破棄までしたというのに。一体どの面下げて、と怒りが湧く日もある。

しかし彼のこういう無邪気さは、どういうわけか千晶の心をホッとさせる時もあって、今日はそのタイミングだった。

正木の爽やかで品のある笑顔は素敵だが、涼ちゃんの大口を開けて笑う顔が恋しくなってしまったのだ。

「…じゃあ、3人で行きましょう」

千晶が、後輩の意向を無視してそう答えた時だった。

背後から、あずの名を呼ぶ見知らぬ男の声がしたのは。

「お、あずちゃんじゃない?」

「え?あ…柳沢さん!お久しぶりです!」

聞き覚えのある名前が妙に胸に引っかかり、千晶は正木との会話を中断した。

-柳沢?

先日、白金台の交差点でひとり涙していた柳沢結衣の、華奢な肩を思い出す。

結婚記念日で隣にいるはずなのに姿の見えなかった彼女の夫について、千晶は何も知らない。

しかし、幸せを絵に描いたような新婚生活を体現する彼女の結婚相手は、穏やかで優しくて頼り甲斐があって…そう、正木のような男性に違いないと勝手に想像していた。

だが今、目の前にいる“柳沢”と呼ばれた男は、そのイメージとは真逆だ。

浅黒い肌、一般的な会社員は絶対に選ばないような鮮やかなブルーのスーツ、ぎらりと光る腕時計、と主張の強すぎるファッションに身を包み、美人だが化粧の濃い派手な(結衣とは真逆の種類の)女を連れていた。

-まさかね。

東京に、一体何人の“柳沢”が存在するか知らないが、とにかく柳沢違いだろう。

そう言い聞かせてみるものの、千晶の胸は何かを知らせるように…ざわざわと波立つのだった。

▶NEXT:7月2日 日曜更新予定
やはり、“柳沢”は結衣の夫…?暴かれる、幸せの裏側。