韓国・明洞

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大統領選挙の前後1週間、私はソウル、釜山、大邱(テグ)、済州島と、韓国各地で各候補の選挙キャンペーンを追った。驚いたのは文在寅(ムンジェイン)氏に対する、若者の熱狂ぶりだ。行く先々であまりに大勢の若者が集まるので、まるでアイドルのコンサートかと勘違いするほどだった。若者は文氏に何を期待しているのか。それを理解するために、まずは韓国の若者がおかれている状況を整理しよう。

■地獄の韓国社会=ヘル・コリアに生きる若者

「三放世代」という言葉をご存じだろうか。これは近年、韓国の若者が「恋愛・結婚・出産」の3つを諦めざるをえない世代であるとして、韓国国内で当然のように使われている言葉である。最近では「マイホーム・人間関係・夢・就職」の4つを足した「七放世代」という言葉まで使われ始めている。

漢江の奇跡と呼ばれた経済成長から一転、就職難に始まり、過酷な労働環境、低賃金など多くの要素が重なって生まれた、若者が生きづらい社会。この状況だけを聞けば、そのまま日本にも当てはまりそうな気もするが、決定的な違いはこの「三放意識」が若者間で徹底的に共有され、自らのおかれた環境を強く悲観しているところにある。

韓国の大学受験競争は苛烈だ。パトカーで受験会場へ駆け込む学生の姿は、まるで風物詩のように日本のニュースでもおなじみになりつつある。最近では将来のキャリアを見据えた高校入試も激化傾向だ。そんな環境で学生の競争意識はあおられ、自分の夢を追うことよりも、他人に誇ることのできる企業への就職や華麗な経歴に意識が向くようになっている。

しかし、一流大学を出ることは有名企業に就職するための最低条件にすぎず、実際に職を得る若者はほんの一握りだ。大学を出ても就職できず、非正規で生計を成り立たせている若者も多い。ただし、非正規を含めても就業先は十分でなく、職の奪い合いは止まらない。4月の若者の失業率は11.2%(前年同月比0.3ポイント増)と過去最悪を記録した。

たとえ有名企業に就職できたとしても、過酷な労働環境が彼らを待ち受ける。大手家電企業LGに就職した友人は2年で退社した同社を「Hell−G」と呼んで自嘲する。

それでも韓国の若者が有名企業を目指すのは、新卒での就職先が生涯年収に大きな差をもたらすためだ。少しでもいい会社に入るため、大学卒業後に有名企業や国際機関などでインターンを重ね、経歴書を充実させてから就職活動を始めることもしばしばだ。LGに入社した前述の友人も、半年ずつ4カ所でのインターンを経験した。「今となっては時間や労力をかけすぎたと感じるけど、当時は不安だった。だから、手あたりしだいに有名な会社や組織でのインターンを続けるしかなかった」と友人は話す。

生きづらさを感じているのは若者だけではない。韓国は全世代を通し、OECD加盟国で最悪の自殺率を記録してしまった。いつしか「Hell Korea」という言葉が生まれ、国内の一部で流行している。

■伝統と経済状況が、若者を恋愛から遠ざける

「韓国の状況はわかった。しかし、恋愛するのは自由じゃないのか」。そう考える人もいるだろう。

しかし、ある20代の韓国人女性は、恋人がいるにもかかわらず結婚したくないという。その理由を聞くと「家族を失いたくないから」と当然のように答えた。これはどういうことか。

韓国において、結婚をした女性は「出嫁外人」と呼ばれ、文字通り“嫁に出た外の人”として家族から扱われることが当然とされた。結婚を機に元の家族から切り離され、夫の家に入るという意識は、日本以上に強かったのだ。

そのような、いってみれば旧時代の意識を、若者が共有することは難しい。

韓国では旧正月と、日本の盆に当たる「秋夕(チュソク)」が重要な家族行事とされる。一族が集まり食卓を共にするこれらの行事において、料理やもてなしをするのは嫁や女性の役割だとされてきた。しかし、最近の若者はこのような伝統をいぶかしく感じている。

男性についても、世代間の常識の違いが大きな溝をつくる。結婚した男性は新居を構えることがしきたりだった。しかし、経済成長に伴う地価の上昇により、マイホームはこれまで以上に難しい夢となっている。

日本においても、似たような状況があると考える人もいるだろう。しかし、韓国は一層深刻だ。

結婚したいが、家は買えない。その状況に直面した男性は、新婦の両親に対しての後ろめたさを感じるだけでなく、自らのプライドも深く傷つけることになる。それを避けるために、結婚、そしてその前提となる恋愛にさえもブレーキをかけてしまうのだ。

■文在寅大統領の誕生は、5年前から切望されていた

文氏が第19代大統領に就任した背景には、一縷の望みをかけた三放世代の熱烈な応援がある。

文氏は既成の権威的勢力や前政権を鋭く批判するとともに、三放世代にも焦点を当てた政策を掲げた。若者の期待は、20代の投票率が71%と、前回よりも6ポイント上昇していることにも表れている。

地域ごとの得票率で文氏が負けた大邱は伝統的に保守政党が強く、下馬評を覆すことはできなかったものの、その大邱においても文氏の人気はすさまじかった。選挙演説には街の広場を埋め尽くすほどの若者が集結し、声援を送っていた。

実は、この人気は今に始まったことではない。2012年の大統領選において、得票数こそ朴槿恵氏が勝っているものの、文氏は20代、30代で65%以上、40代においても55%以上の支持を獲得していた。すでに若者は明確に文氏への支持を表明していたのだ。

悔しくも負けた若者が見たものは、汚職にまみれた大統領の姿であり、韓国憲政史上初の大統領罷免という最悪の幕切れだ。若者は今回の選挙を通じ、上の世代に前政権を選択した誤りを認めさせることになった。

ただ、文氏の勝利は若者だけに支えられたわけではない。朴政権のスキャンダルは国民の心に大きな傷を残したが、そのなかには朴前大統領を支援してきた大多数の50代以上の世代も含まれる。その点では、今回の選挙はすべての韓国国民にとって、痛みを感じながらの投票だったといえる。

来年の冬にオリンピックが開催される平昌(ピョンチャン)周辺の町でインタビューした50代の男性は「これまで特定の保守政党にしか投票してこなかったが、今回初めて別の政党の候補に投票した。文氏には投票しないが、我々は変化しなければならない」とうつむき、落胆の声を漏らした。

大邱のタクシー運転手の男性は、崔順実(チェスンシル)氏が黒幕であり、朴前大統領は利用されただけだと考えているようであった。彼に、文氏を支持する若者についてどう考えるかと質問すると、文氏と、文氏を支持する若者への嫌悪感を露わにした。

「彼らは戦争を知らない。北朝鮮との融和政策を進めるなんておとぎ話を信じているとしか思えない」

■文在寅大統領は地獄の仏か蜘蛛の糸か

文氏は大統領就任直後の会見で、青年の雇用問題を優先課題として掲げ、公共部門において81万人の雇用創出を宣言、民間部門にも50万人程度の雇用拡大を目指す方針だ。また政策実現のため政府支出をこれまでの2倍のペースに拡大すると表明した。ジェインの頭文字をとり「Jノミクス」と呼ばれるこれらの政策は実現できるのか。

圧倒的な文氏の勝利と伝えられた今回の選挙だが、氏の得票率は41.08%。文氏に投票しなかった6割近くの国民をどうやって納得させるかは大きな課題だ。また、文氏の所属する「共に民主党」は国会の議席過半数に達していないこともあり、単独では今後の政権運営が容易ではないことが予想される。

新大統領は若者にとって、地獄で出会った仏か。それとも、かりそめの希望を与えるだけの蜘蛛の糸か。それは公約が実現されるかどうかにかかっている。文氏が若者を裏切るようなことがあれば、「ヘル・コリア」はさらなる失意で覆われるだろう。

前政権は国民がロウソクを持って集まった平和的デモで権力の座から追われた。新政権がロウソクではなく若者の心に灯りをともすよう祈りたい。

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深作光輝ヘスス(ふかさく・こうき・へすす)
1985年、ペルー・リマ出身。成蹊大学経済学部卒。(財)青少年国際交流推進センター、在アメリカ合衆国日本国大使館勤務をへて、長期的外交ビジョンを模索すべく2015年、松下政経塾に入塾。

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(深作 光輝 ヘスス 写真=時事通信フォト)