男性から食事に誘われたら、ひな子は必ずこう答える。

「メニューによります」

男をレストラン偏差値で査定する美貌の高飛車女・ひな子が、中途半端なレストランに赴くことは決してない。

彼女に選ばれし男たちは、高飛車に肥えた彼女の舌を唸らせるべく、東京中の美食をめぐり、試行錯誤を繰り返す。

これまで多くのレストランで様々なドラマを見せてくれたひな子だが、美食を巡る冒険は、まだまだ続くようだ。




-この私も、もう28歳なのね...。

鏡の中の自分をじっと覗きこみ、ひな子はその肌を念入りに観察してみる。

年齢による衰えは、今のところ感じない。むしろ数年前より頬の肉が削ぎ落とされ、フェイスラインは綺麗に引き締まった。

肌の白さと透明感はキープできているし、艶感は以前より増した気がする。

やはり年齢を重ねることには多少の抵抗を感じるものの、こうして年相応の色気を帯び始めた自分を、ひな子は意外に気に入っていた。

それに、今でも周囲は数多の男たちで溢れかえっている。

己の美しさにうっとりしながら、sisleyの高級美容液を丁寧に肌に伸ばす。すると、スマホが鳴った。

-姫、たまには都心の喧騒を離れて、下町の情緒を味わいに行きませんか。

イケメン社長・久保である。彼とは何だかんだと数年越しの付き合いになるが、相変わらず粋な誘い方をしてくれる。

-お付き合いしますわ、殿。私もちょうど、都会の刺激には飽きていたの。

久保に調子を合わせ、上機嫌で返信を打つ。

メニューを聞かずとも、ひな子には彼が提案するだろう店を十中八九当てる自信があった。


都会の喧騒を離れた、超話題のレストランとは...?!


フェードアウトした男と、“兄”的な存在となった男


「ひな子と久保さんて、相変わらず、本当に仲良しよねぇ...」

『ユニオン スクエア 東京』でランチに落ち合った親友の慶子は、具がたっぷりと乗ったシェフズサラダを突きながら、呆れたように言った。




「二人の関係って、一体何なの?久保さんは、絶対まだひな子が好きだと思うわ。あの人がモテないわけないけど、意外に一途でピュアそうだもの」

確かに久保からは以前、「僕の最後の女性(ひと)になってください」と、真剣に告白を受けたことがある。

だが、当時のひな子は同い年のワリカン男・裕太に心が揺れており、返事を曖昧にしてしまった。

「しかしあの若者は、完全にフェードアウトしたわよね。香港で元気にやってるのかしら」

慶子の何気ないセリフに、ひな子の胸は思わずズキンと痛む。『81』で食事をして以来、香港へ転勤してしまった裕太は音沙汰なしだった。

そして、ひな子の儚い恋は不完全燃焼のまま幕を閉じ、慶子いわく「また自分が大好きなひな子に戻った」のだ。

「久保さんとは、そんな関係じゃないの。何か、お兄ちゃんみたいな感じだわ。年上だし、落ち着いてるし...」

一人っ子のひな子には “兄”という感覚など実は分からないが、そう表現しておくのが無難な気がした。

久保の経営するアパレル会社は、相変わらず好景気なようだ。さらに俳優顔負けの甘いマスクに独身貴族というステータスまで加わるから、女性たちからの誘いは数多にあるだろう。

だが、その立ち振る舞いは至って紳士で、自慢話を聞かされることもなければ、強引に口説かれることもない。

ひな子はその居心地の良さに、甘えきっている。たぶん、“妹”のように。



久保が指定したのは、ひな子の予想通り浅草の『Nabeno-Ism』だった。

あの『ガストロノミー ジョエル・ロブション』のエグゼクティブシェフを10年以上も務めたという渡辺雄一郎氏が2016年に浅草駒形の隅田川のほとりに築いたばかりの、超話題のフレンチレストランだ。

2016年にはレストラン・オブ・ザ・イヤーのグランプリを受賞し、2017年はミシュラン一つ星を獲得、その他にも様々な賞を受賞しており、グルメ人たちが一目置いている店である。

ひな子が普段誘いに応じるレストランはだいたいが港区や銀座が中心だから、このエリアに赴くことはほとんどない。

東京中心部からそれほど離れているわけでもないのに、この浅草付近は建物が低く、隅田川がゆったりと流れ、何となく心の緊張がほぐれるような雰囲気があった。

―これが、下町情緒って言うのかしら。

やたらと大きなスカイツリーを眺め、昔ながらの気取らない街並みの風景を観察しながら歩く。

すると、『Nabeno-Ism』のシンプルなオレンジ色の看板が目に入り、ひな子の胸は小さく高鳴る。

モダンな佇まいの一軒家レストランに入ると、かの有名な渡辺シェフ本人がフレンドリーな笑顔で迎えてくれ、興奮がさらに高まった。


フレンチと和の融合?驚きのプレゼンテーションが繰り広げられる...!


都心を離れたロマンチックな空間で堪能する、フレンチと和の融合


3階の窓際のテーブル席に案内されると、久保はすでに席についており、気品溢れる柔らかな微笑みをひな子に向けた。

大きな窓にはやはり大きなスカイツリーがキラキラと光りを放ち、その下には隅田川の水面が静かに揺れている。




夕暮れ時のその美しい景観に、ひな子は素直に感動と癒しを覚えた。

「姫、いかがですか。なかなかロマンチックな場所でしょう」

「本当に、素敵なところ...」

そして、早々に運ばれた『Nabeno-Ism』のシグネチャーであるアミューズ・ブーシュに、ひな子はさっそく心を奪われた。




美濃焼きの特注の器が使われたこのアミューズは、まるで和食の八寸のような上品な趣があり、この浅草の老舗『大心堂』や『種亀』とコラボした前菜が並んでいる。

「美味しい...。まさに、フレンチと浅草の融合だわ...!」

遊び心と伝統が詰まった小皿は、それぞれに繊細で斬新な味わいがあり、一口ごとに驚きがあった。

「姫。まだ、始まったばかりですよ」

いつものように料理に没頭するひな子に、久保は呆れたように笑ったが、興奮はおさまらない。

続く前菜は、この店のスペシャリテでもある一皿だった。




「『両国江戸蕎麦ほそ川』の蕎麦粉をソースベシャメルの技法で炊き上げたそばがき、奥井海生堂蔵囲い2年物昆布のジュレとベルギーキャビア、ウォッカクリーム、おろしたてのワサビのコンビネゾン」である。

「この香り、たまらない...」

口にとろけるキャビアの旨み、そしてそばかきがふわりと香る。この見事な調和具合は、まさに感動の一言だ。




そしてメインには最高の火入れの国産牛フィレ肉が運ばれ、目の前で琥珀色のコンソメが注がれた。これはとにかく香りが豊かで、素晴らしい味わいであった。

和素材を積極的に取り入れストーリー性に富んだ料理の演出に、ひな子はひたすら驚かされ続けることとなった。

ここは恵比寿でも六本木でも銀座でもない、江戸文化発祥の地である“浅草駒形”なのだと、“和”の素晴らしさを強く実感してしまうようなプレゼンテーションである。

「何だか私、浅草が好きになった気がするわ。日本の良さを再確認させられた気分...」

うっとりと呟くと、久保の目がキラリと光った。

「では次のメニューは、京都の老舗料亭でも提案しましょうか」

「えっ......」

気が緩んでいたため、思わず狼狽える。久保は、小旅行にでも誘う気なのだろうか。

「私も、いつまでも貴方の“お兄ちゃん扱い”に甘んじてはいられませんからね」

冗談とも本気ともとれない、珍しくアグレッシブな久保のセリフに、ひな子は少し身構えると同時に、つい胸がドキドキしてしまった。

▶NEXT:7月1日 土曜日更新予定
高飛車ひな子の前に、新参者が現る。提案されたのは、南麻布の隠れ家中華...?