東京の女には、ホテルの数だけ物語がある。

「ホテル」という優雅な別世界での、非日常的な体験。それは、時に甘く、時にほろ苦く、女の人生を彩っていく。

そんな上質な大人の空間に魅了され続けた、ひとりの女性がいた。

彼女の名は、皐月(さつき)。

これは、東京の名だたるホテルを舞台に、1人の女の人生をリアルに描いたストーリー。

埼玉出身のごく普通の女子大生だった皐月は、東京で様々な人生経験を積み、30歳の誕生日にプロポーズを受けた。準備に四苦八苦しながらも無事結婚式を迎えたが、平和な結婚生活に、不安の影が忍び寄る...?




何でもないごく普通の週末に、女一人でホテルステイを楽しむなんて、20代の頃だったら想像するだけでゾクゾクしていたかも知れない。

洗練された都会のイイ女になることは私の一つの目標で、そういう女はきっと、気ままにお洒落にホテルを利用する。そんなイメージがあった。

しかし実際にそうなってみると、カッコ良さとは程遠い、得体の知れない寂しさに包まれてしまった。

私は「フォーシーズンズホテル丸の内 東京」の部屋に一人きり、窓の外で行き交うカラフルな電車を眺めながら、ひどく心細くなっていた。

―これから、何しよう...。

ホテルには2泊する予定だった。この週末は、たっぷりと優雅な非日常を味わおうと思っていたのだ。

お行儀悪く、ベッドに大きく寝転がってみる。肌に少しヒヤリとする、柔らかなシーツの感触が心地いい。

しかし、一度沸き上がってしまった孤独感は消えなかった。

「ホテルに泊まっておいで」なんて提案してくれた優しい夫に、お門違いな苛立ちすら覚えるくらいに。


皐月は友人の優子を呼出し、アフタヌーンティーを楽しむが...?


女は寂しくなると、きっと性格が悪くなる


改めて思い返せば、プライベートでわざわざ一人でホテルに泊まるなんて、初めての経験だった。

夫の春斗に電話をかけてみたが、呼び出し音だけが虚しく響き、応答はない。当たり前だ。ボストンはちょうど真夜中だった。

世の中が昼下がりの金曜日に浮かれる中、この贅沢な部屋で一人ぼっちに耐えかねた私は、親友の優子を呼び出すことにした。




「皐月は昔から、無い物ねだりが好きなだけよ」

優子には、ホテル内の『MOTIF RESTAURANT & BAR』でアフタヌーンティーに付き合ってもらうことにした。

「ああでもない、こうでもないって、いつも必要以上に悩むじゃない。ある意味、欲深い女よね」

彩り鮮やかで可愛らしいスイーツをつまみながら、優子はいつもの調子で、歯に衣着せず物を言う。

しかし、やけに人恋しくなっていた私にとっては、そんな彼女の説教染みた言葉も心地良く感じた。

長年の付き合いだからこそ、何の遠慮もなく、筋の通らないモヤモヤした気持ちを打ち明けることもできるのだ。

「そうかな。でも、春斗は私がいなくても一人で平気なのよ。理解のある夫を演じるフリして、本当は単に興味がないだけかも」

自分でも驚くほど、卑屈なセリフが口を出る。女は寂しくなると、きっと性格が悪くなるのだ。

「なぁに、それ。“そんなことない、皐月は愛されてるよ”とか、私に言って欲しいの?」

優子はお笑い番組でも眺めるように、プッと噴き出して笑った。何となく釣られて笑うと、思わず心が軽くなった。

優子の大きくせり出したお腹に、ふと視線を落とす。彼女は結婚後も以前から続けていた大手航空会社の地上職として働いていたが、今は産休中だ。

詳しくは知らないが、念願の子どもを授かるまでに、色々と努力をしていたそうだ。

おめでたい話だとは心底思うのだが、“妊活”や“子育て”と言った話題は、私にはあまりにリアル過ぎて、どこか他人事のように感じる。

「ねぇ、何で子どもが欲しかったの?よく決心できたね」

何も考えずに言ってしまってから、妊婦に対してあまりにデリカシーがなさ過ぎたと一瞬慌てたが、優子は全く何も気にしていない様子で答えた。

「ただ、欲しかっただけよ。他に欲しい物もなくなったし」

愛おしそうに自分のお腹を撫でる優子は、まるで聖母のような神々しさがある。

他に欲しい物がないというのは、きっと本当なのだろう。昔からそうだった。白金育ちのお嬢様である彼女は、生まれたときから何もかも手にしているからか、不思議なほど欲がない。

「それに私は、皐月みたいに気難しくないから」

最後にそう言って、優子は楽しそうにケラケラと笑った。


そして、夜の丸の内で、皐月は“ある男”に出会ってしまう...。


満たされているはずなのに、何かが足りない


優子と会って多少気分は落ち着いたが、私はまだ時間を持て余し、モヤモヤとした思いを拭えずにいた。

部屋に戻り、DHELAのワンピースとマノロブラニクのサンダルを脱ぎ捨て、バスローブを羽織り、持ち込んだクリュッグのシャンパンを一人で飲む。

アフタヌーンティーのおかげで満腹だったが、つまみにチーズかフルーツでもルームサービスで頼もうとメニューを見ていたら、無性にフライドポテトが食べたくなってしまった。

なんて自由で自堕落な金曜日だろう。

窓の外を眺めながら、ちびちびと小説を読む。好きな作家の読みやすい短編集だったが、酔いが回り始めているため、内容はほとんど頭に入ってこない。

好きな物に囲まれ、自分の望むことしかしていないのに、何かが足りない気がした。それが何かは、分からない。

一体自分は、何が不満なのだろうか?




結婚してからは恋愛にエネルギーを注ぐ必要がなくなり、仕事もある程度のポジションを手に入れたから、私の生活はかなり安定していると思う。

今の人生に足りないものは、さして思い当たらない。

それなのに、「他に欲しい物はない」と、柔らかな笑顔を浮かべていた優子と私は、全くの別次元にいる気がして、切ないような悔しいような、やるせない気持ちが込み上げてくる。

「それにしても、わざわざホテルステイなんて贅沢してまでウジウジするなんて、本当に皐月らしい」

優子の無邪気な笑い声が、ふと甦る。

私はそれに反抗するように、すっかり夕日の落ちた丸の内へ散歩に出かけることにした。




金曜夜の丸の内は、会社帰りのサラリーマンやOLたちでかなり賑わっていた。

仲通りのお洒落なブティックを眺め、丸ビルや新丸ビルもフラフラと見て周る。新丸ビルのSUQQUでは、可愛らしいBAさんに勧められ、口紅を一つ買ってしまった。

プロがササッと化粧直しをしてくれた私の顔は、一気に流行の華やかな顔になり、おかげですっかり気分が良くなってしまったのだ。

そして、こんな夜に限って、嘘みたいな偶然が起きた。

―お茶でもして帰ろう。

そう思いつき、丸の内OL時代からお気に入りだった『CAFE1894』に向かおうと丸の内ブリックスクエアを歩いていたときだった。

「......さつき?」

すれ違った男に、遠慮がちに声をかけられた。

薄暗い夜道で、顔をすぐには認識できない。しかし私は、その懐かしい空気感で、声の主が一瞬で分かってしまった。

「なおき......」

そこには、私が20代の多感期に無防備に全力の恋に堕ちた、元彼の直樹がいた。

▶NEXT:7月1日 土曜更新予定
最終回、まさかの元彼との再会。思わぬ誘惑に揺れる皐月は...?

<撮影協力>
フォーシーズンズホテル丸の内 東京
公式HP:http://www.fourseasons.com/jp/tokyo/