『ハクソー・リッジ』撮影中のメル・ギブソン監督 (C)Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

写真拡大

【この監督に注目】メル・ギブソン監督
人種差別にアルコール依存、DV…
身から出た錆で10年の苦難を経験

今年のアカデミー賞で6部門ノミネート、2部門(編集賞、録音賞)で受賞を果たし、メル・ギブソンがハリウッドへの完全復活を飾った監督作『ハクソー・リッジ』。太平洋戦争末期の沖縄戦を、信仰上の理由で武器を持たず衛生兵として生き抜いた男を描く同作には冒頭、「真実の物語(TRUE STORY)」という但し書きがつく。史実を映画化する作品は今も昔も数多い。だが、そのほとんどは「事実に基づく(BASED ON A TRUE STORYあるいは TRUE EVENT)」というもの。これから映像で見せるものを真実だと言い切る激しい強さ、これがメル・ギブソンという人を表していると思う。

【あの人は今】ハリウッドを干され…どん底を乗り越え再び活躍し始めたトップスター、メル・ギブソン

ハクソー・リッジとは、浦添城址の南東にある前田高地のこと。150メートルの切りたった崖の形を弓のこ(Hacksaw)に見立てて米軍がつけた呼称で、日本軍と凄まじい激戦が繰り広げた場所だ。主人公のデズモンド・ドスは実在の人物で、映画に描かれた通り、自ら陸軍に志願しながらも信仰を理由にいかなる武器も持たないという意志を貫き、衛生兵として赴いた沖縄戦において、たった1人で75人の命を救った。

終戦後、良心的兵役拒否者としてアメリカ史上初の名誉勲章を授与されたドスの半生を描く本作は、ギブソンにとって前作『アポカリプト』(06)以来の監督復帰作だが、この10年間は彼にとって、文字通り身から出た錆の厳しい時間だった。飲酒運転容疑で逮捕された際に警官に言い放った人種差別の暴言、アルコール依存、女性問題で離婚に至り、新たなパートナーの女性に対するDVが発覚し、ハリウッド大手のタレント・エージェンシーから契約を切られ、俳優としても監督としても事実上ハリウッドから追放された形になった。

その渦中で、1994年の『マーヴェリック』で共演して以来の友人、ジョディ・フォスターはそんな彼を監督作『それでも、愛してる』(11)の主演に起用し、夫婦役で共演。1990年に『エア★アメリカ』で共演したロバート・ダウニーJr.は、薬物依存で30代は刑務所に服役したほどだったが、彼のハリウッド復帰に尽力したのがメルで、その恩返しとして、機会があるごとにメルに対する赦しを呼びかけた。シルヴェスター・スタローンは『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』(14)に悪役でメルを起用した。ハリウッドの大物スターたちの友情をもってしても、そう簡単に状況は変わらなかったが、変化の兆しが現れたのは昨秋『ハクソー・リッジ』が公開され始めてからだ。

凄まじい暴力はギブソンの作品に欠かせないテーマで、本作でも酸鼻を極めるリアルな戦闘描写がこれでもかと出てくる。だが、今までと大きく違うのは主人公デズモンドが決して暴力に染まらないところだ。彼は人が人を殺すための場所=戦場に身を投じるが、彼は人を救うためにそこにいるのだ。純真無垢な若者が戦争の渦に巻き込まれ、変貌していく様は多くの作品で描かれてきた。だが、ギブソンが描いたのは、臆病者の謗りを受けようが何が起きようが、信念を揺るがすことのなかった青年だ。彼は丸腰で戦火をくぐり抜け、瀕死の仲間たちを救い続け、しかも生き残った。一度たりとも迷いや疑念を抱くこともなく、奇跡のような偉業を成し遂げた青年はどのように育ったか、それは劇中ではっきりと語られる。第一次世界大戦に出征した父と息子の関係から見えてくるものは興味深い。

ジョディ・フォスターは映画を監督すると、作品に監督本人の人間性がはっきりと出る、と語った。「ロサンゼルス・タイムズ」紙のインタビューでその話を切り出されたメルは「彼女はかなり正しい」と認めている。アンドリュー・ガーフィールドが演じたデズモンドも、ヒューゴ・ウィーヴィングが演じたその父親も、監督本人の抱える光と闇が投影されている。全てを破壊する暴力のエネルギーと、それをも超える信念の強さ。メル・ギブソンは己の内にある、そのどちらも強く信じているのだ。(文:冨永由紀/映画ライター)

冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。