2014年、香港民主運動「黄傘革命」で、活動の支持者が民主の芽が生えていることを表現(Studio Incendo/flickr)

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 数字とは面白いもので、その奥に潜む真実の意味から、しばしばさまざまな想像が掻き立てられる。

 様々な数字は残酷な一面もあわせ持っている。まるで麻酔薬のように人々の感覚を麻痺させる力があるのだろう。バイオレンスな映画を見続けると、血なまぐさいシーンを見ても何も感じなくなるのと同じように。そうして、見る人はその自覚もないまま、暴力という毒に侵されてゆく。

学生を後ろから襲った戦車 
六四天安門事件の体験者が語る

 例えば、中国共産党の歴史の中で繰り返される殺りくは、今に至っても止む兆しはない。10年間の文化大革命で非業の死を遂げた中国人は773万人と言われている。だがこのような殺人行為を見慣れた人々はこういう。「あれはもう過ぎたことだ。どこの国でもいつの時代でも人は死ぬ。過去のことだ」と。

 その通りだ。だが、1989年は決して過ぎ去った昔の時代ではない。28年前、私は大学生だった。幸い今まで生き抜いて社会的エリートと言われる立場に立つことができたが、あの時、同じように輝かしい未来を背負ったたくさんの若者が、装甲車の下敷きとなって命を奪われた。彼らの親たちはすでに白髪の老人になっているだろう。いったい何人の親たちが、28年もの間ずっと彼らの子どもたちを探し続けてきただろうか。

 ある台湾演劇界の方が、父親と共に大陸にある父の実家に40年ぶりに帰省した体験を語る講演会で、胸が締め付けられるようなエピソードを話した。40年間台湾と中国で生き別れになっていた父と祖母がついに再会した時「祖母は嗚咽しながら、やせ細った手を父に差し伸べるとこう言った。『元気だった? あの時、ちょっと買い物に行ってくると言って出て行ったあなた。40年も待ち続けてきたわ。いったい何を買ってきてくれたの?』すると父はうなだれてひたすら泣きながら、『母さん、悪かった、本当に悪かった』と謝り続けた」。

 89年の「六四天安門事件」の前にも、きっとたくさんの子どもたちが「すぐに帰るよ」と言い置いて出かけて行ったことだろう。そして残された両親は、それから毎夜涙で枕を濡らしながら問い続けてきたのだ。「すぐ帰ってくるのではなかったの?まだ帰ってこないの?もう28年になるのよ」

 この時の正確な犠牲者の数は今も明らかになっていない。

「真善忍」修める人への弾圧 
中南海1万人陳情 その1

 「六四天安門事件」から10年後の99年、今度は法輪功学習者が中南海や天安門に集まって、弾圧政策の即時停止を訴えた。きっとこの時も、彼らの多くが「すぐ帰るよ」と言い残して出かけて行ったはずだ。それから18年、やはり白髪の老人たちが「いつ帰ってくるの?」と毎夜むせび泣いているのだろう。

 この時に行われた想像を絶するほどの陰惨な弾圧で命を落とした人たちの正確な人数も、いまだ明らかになっていない。

 だが、数値化されていなくてもそこには明らかな事実がある。この惨事は、戦争によるものでも、天津倉庫大爆発で起きたものでも、鳥インフルエンザの大流行で起こったものでもなく、ましてや暴動によるものでも、天安門広場の占拠などによるものでもなかった、という点だ。ただの平和的で理性的な訴えであり、信仰の自由と彼らの活動が合法的であることを認めるよう政府に訴えたに過ぎなかった。

 悲しいことに、彼らに対する虐殺は今でも続いている。

 人々はよく「中国は強い」と言う。

 だが私はこう言いたい。「中国共産党は確かに本当に強い。だがその『強』は強盗の『強』だ!」

(翻訳編集・島津彰浩)