ワイスピ・ミーツ・アーサー王伝説! もしもドミニクの"ファミリー"が円卓の騎士だったら……というワイスピ的価値観に彩られた、史上最もパンクなアーサー王映画が『キング・アーサー』である。


ガイ・リッチー味で描く、王道の貴種流離譚


中世のイングランドでは、メイジ(魔法使い)と普通の人間たちが共存する時代が続いていた。しかし邪悪な魔法使いによる謀反が勃発。イングランドを守る戦いの先頭に立ったのはユーサー王と臣下の騎士たちだった。だがユーサー王は弟のヴォーティガンによって暗殺され、イングランド王位はヴォーティガンが継ぐことに。

しかしユーサー王は、死に際にまだ幼い世継ぎであるアーサーを船で逃していた。ロンディニウム(現在のロンドン)に流れ着いたアーサーは売春宿でたくましく育ち、その腕っ節から用心棒に。一方ヴォーティガンはユーサー王の血を継ぐ者を探し出すため、若い男たちに湖底から現れた聖剣エクスカリバーを引き抜くことができるかどうかを試させていた。その試験に引き摺り出されたアーサーは、一発でエクスカリバーを引き抜いてしまう。

先王の息子ということで処刑されそうになるアーサー。しかし処刑場にヴォーティガンに立ち向かうレジスタンスの戦士とメイジの集団が現れ、アーサーを連れ去る。イングランド王の地位をめぐる争いに巻き込まれたアーサーの運命、そしてヴォーティガンとの戦いの結末やいかに!

という、貴種流離譚のお手本のようなお話ではあるのだが、そこはガイ・リッチー作品である。時系列を引っ掻き回し、早回しとスローモーションをガチャガチャに入れるお得意の演出で、古臭いお話を現代的に表現。エクスカリバーを使ったド派手なバトルはまさに聖剣無双という感じで、見ていて素直に楽しい。

また、劇中の衣装やプロップのデザインに関しては過去のダークファンタジーからの影響が大きい。特に1960〜70年代にかけて一世を風靡したイラストレーターであるフランク・フラゼッタの影響は濃く、彼の代表作のひとつである「Death Dealer」というキャラクターがほぼそのまんま出てきたのには笑ってしまった。いいんでしょうかアレ。

もしもアーサー王がドミニク・トレットだったら……


生まれは高貴だけど育ちが悪いという貴種流離譚に不可欠な要素を、本作では「本当は王子だけど今はサウスロンドンのモデルクラブの用心棒」という形で取り入れている。パンクな生活を送っていたチンピラが聖剣一発だけで成り上がるというストーリーは、ほとんど3コードしか弾けないパンクバンドのサクセスストーリー。チャーリー・ハナムもいいけれど、主演が若い頃のジョン・ライドンだったらかなりしっくりきたと思う。いやマジで。「スラムのガキから王になれ!」という宣伝文句は伊達ではないのだ。

で、注目したいのがアーサー王には欠かせない円卓の騎士である。前述のようにこの映画でのアーサーは売春宿の用心棒であり、地元のチンピラのボスだ。なので、ヴォーティガンに対抗するレジスタンスの戦士と並んで、スラムのガキ時代の仲間たちもアーサーの戦いについてくる。そして、彼らがのちに円卓の騎士となる。

レペゼンサウスロンドン、悪そうな奴は大体友達な不良たちが聖剣のパワーで悪い王を倒し、そしてイングランドを統べる円卓の騎士となる。この地元の不良が国家単位の陰謀を粉砕する展開はまさにMEGAMAX以降の『ワイルド・スピード』。ダッヂチャージャーとエクスカリバーの差はあれど、やっていることがほぼ同じ。『キング・アーサー』は、そういう意味でもかなり現代的なアーサー王物語なのかもしれない。

『キング・アーサー』では、アーサーが彼らと一緒に食卓を囲み、モリモリと飯を食うシーンがちょいちょい出てくる。この「一緒に食卓を囲む」ということを重要視する点は『ワイルド・スピード』シリーズで"ファミリー"のリーダーであるドミニクがやたらとバーベキューを開催するのに通じるものがある。思えば円卓というのは身分の分け隔てなく、自由に発言し認め合うことを象徴する食卓であった。なるほど、円卓の騎士たちの集いはワイスピのバーベキューだったのか。
(しげる)