2017年6月の日本代表ツアーに大野均が呼ばれたのは、始動5日目にあたる6月6日のことだった。大野が務めるロックのポジションに故障者が続出したためだ。所属先である東芝での練習中に追加招集の知らせを聞いた。次の日の朝には、キャンプ地の福岡へと飛んだ。

「嬉しかったですね。まだ必要とされているんだな、と。その日は東芝でバチバチの練習をしていたので、『今からか』とは思いましたが……。ただ、桜のジャージーを着られるのは嬉しいことです」


日本代表史上最多の98キャップを誇る大野均 10日に熊本で開催されたルーマニア戦は、スタンドから観戦した(日本は33-21で勝利)。そして12日から始まった静岡合宿では、レギュラー組として実戦トレーニングに参加。身長192センチ、体重105キロの大男は長髪を揺らし、ロックの仕事である密集戦や空中戦の動きをチェックした。

 大野のテストマッチの出場数は日本代表歴代最多で、キャップ数は実に「98」を刻んでいる。国内初めてとなるキャップ数「100」の大台は目前に迫っている。

 周りが色めき立つなか、39歳になったばかりの大野は言った。

「先週合流したばかりで、まずはこのチームに慣れ、チームのためにできることが何かを探していました。今週はまた違うアプローチができたらなと思います。いつでも行けるように、準備しています」

 2019年に、4年に1度のワールドカップ(W杯)が日本で開催される。大野はその大舞台に悠然と構えている。

 福島県郡山市の農家で生まれ育ち、ラグビーに出会ったのは地元にキャンパスを構える日本大学工学部のときだ。他のトッププレーヤーとは違ったスタートラインに立ちながら、8年後の2004年に初めて日本代表となった。

 伊藤剛臣や元木由記雄ら当時の常連組は、まるで日本代表が所属チームであるかのような立ち居振る舞いをしていた。まさか自分が、このふたりよりも長く代表でプレーするなんて、このときは想像できなかっただろう。

 この年の秋に行なわれたヨーロッパ遠征で、スコットランド代表に8-100と完敗。大事な試合の前に髭を剃るという”ゲン担ぎ”は、このときを境にやめた。以後、2度の指揮官交代を経て迎えた2007年のW杯フランス大会では、カナダ代表に引き分けるも、1勝も挙げることはできなかった。

 すっかり代表に定着した大野だったが、2008年から控えに甘んじることが多くなった。W杯フランス大会から指揮を執っているジョン・カーワンHC(ヘッドコーチ)からは「去年あった存在感が、今は見えない」と言われ、具体的にどういうことか尋ねると「自分で考えてくれ」と一蹴された。

 思い通りにならない状況でも、どうにか前向きに考えるようにしていた。

「ちょっとの差で、代表の試合に出られないのだ、と。気持ちだけは切らさないようにと思っていました。『大野が出てもいいんじゃないか』と周りに思ってもらえるように……余計に気が抜けなくなりました」

 2011年のW杯ニュージーランド大会は、出番が限られるなかフランス大会と同じく3敗1分で終えた。大野の立場が再び好転したのは、エディー・ジョーンズHCが就任した2012年からだ。

「おそらく次のイングランド大会(2015年)で大野はプレーしていませんが、今の日本代表には必要です」

 ジョーンズHCのインタビューに掲載されていたこんな内容の言葉を人づてに聞き、大野は即答した。

「いい意味で期待を裏切りたい」

 ひとつひとつの練習に全力で挑むという姿勢を大野は貫き、次第にジョーンズHCから信頼を得ていった。

 2015年の宮崎合宿では、手の甲を骨折しながらも「それを理由に練習を休んで、メンバーに入れなかったら悔いが残る」と、痛みをこらえて黙々と練習に打ち込んだ。

 そしてこの年の秋、大野は期待を裏切りW杯イングランド大会のメンバーに選出された。

 過去2回の優勝を誇る南アフリカ戦で先発し、歴史的な白星を挙げる。続くサモア戦では、前半終了間際に大腿部の肉離れを起こすも、足を引きずったまま駆け回った。

「筋肉がバチッといった瞬間、『あぁ、これで自分のワールドカップは終わったな』と。でも、まだプレーは続いていて、すぐに交代できる流れではなかった。自分は、逆にラッキーと思いました。この試合で悪化してもいいから、最後まで走り続けようと攻撃に参加したら……」

 大野が踏ん張って守ったボールを、最後は山田章仁が受け取り、体を回転させながらゴールラインへと飛び込んだ。のちに”忍者トライ”と称賛されたこのプレーは、大野の生き様を示すかのような動きから生まれた。そしてこのプレーのあと、大野は退いた。

 長い代表歴のなかで、周りの選手に声を荒げたこと、激しい自己主張をするは少なかった。練習でも試合でも、ただ泥臭く働いた。

 近年は東芝でも控えに回ることが増え、国際リーグのスーパーラグビーに参加しているサンウルブズでも、今季序盤は戦列を離れた。それでも代表チームのピンチに颯爽とフィールドに戻ってきた。

 6月12日、静岡の練習は多くのファンに見守られた。練習後、自分より年下の選手たちがサインや写真撮影に勤しむ姿を見て、大野はしみじみとこう語った。

「2019年のW杯が日本ということで、チームからは『自分たちが主役になるんだ』という気概を感じます。すごく応援してもらっているのが周りから伝わってきます。いやが上にも気合いが入る。今日も平日の昼間にもかかわらず、こんなに人が集まってくれて……。ちょっと前のジャパンではなかったことです。これだけでも選手のモチベーションは変わります」

 だがこの直後、予期せぬ事態が待っていた。14日に大野の一時離脱が発表されたのだ。理由は負傷によるものだった。確実視されていた17日のベンチ入りはならず、100キャップ達成も遠のいた。

 それでも、これまで多くの苦難を乗り越えてきた大野だからこそ、このままでは終わらないだろう。代表100キャップ、2019年W杯日本大会……まだまだ”主役”の一員であり続けたいと願っているはずだ。

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