<「国境なき医師団」(MSF)を取材する いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャ、マニラで現場の声を聞き、今度はウガンダを訪れた>

これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く

ドーハ経由ウガンダへ

4月21日のフライトは深夜0時1分の羽田発カタール航空便QR813で、ギリシャの時と同様にドーハの空港で乗り継ぎをし、そこから目的地に向かうことになっていた。

行き先が東アフリカ、ウガンダ共和国エンテベ空港であることは1か月ほど前に決まったように思う。珍しく準備期間があった。

俺は黄熱病のワクチンを打たねばならなかった。それが入国の条件だった。野口英世の研究したあの感染症である。東京検疫所に予約を入れて厳重な入館管理のもとで打つ注射の様子もくわしく書きたいところだが、それではいつまで経ってもウガンダに着かない。

ということで東京からドーハ・ハマド国際空港からさらにエンテベまで、都合20時間弱の移動はさっと飛ばしてしまおう。

いやその前にひとことだけ。

『国境なき医師団(MSF)』広報の谷口さんは出来るだけリーズナブルな航空便を選んでおり、もちろん俺も谷口さんもいつも席はエコノミーで動いている。なぜそれを書いておくかと言えば、この取材費はMSFへの寄付によってまかなわれているからで、宿泊も空きがあればスタッフと同じMSF宿舎に泊まり、空港でも取材地でも宿舎の給食以外の食費は割り勘にしているし、なるべく余計な費用がかからないよう、我々は注意しているのだ。そして最大限、MSFの活動内容とその背景にある人々が置かれた状況を効果的に知らせるべくインタビューをしたり、原稿を書いたりしている。

これは重要なことなので、俺の第一期取材としては最後になるウガンダ回に記しておくことにしました。

空港から首都カンパラ

さて、エンテベ空港に着き、午後三時過ぎの外に出ると、MSFのロゴを貼ったボードを持ったアフリカ人が待っていてくれた。もともとはタクシーがチャーターされていると聞いていたのだが、どうやらMSFのドライバーチームの一人らしい。

連れられて駐車場へ移動すると、トヨタの小型車があった。俺は生まれて初めてのアフリカだったので、助手席に座ることにした。 

日差しは強く熱かった。ラジオからはライトなギターがカッティングを続けるアフリカンポップスが流れている。目を細めて前方を見ると、首都カンパラまで38キロと表示された緑色の看板があった。

アスファルトの上を左右の大地から飛んだ赤土が覆っていた。ちょうど雨期に入っている頃で、雲には入道雲とともに日本の秋に見られるような薄く漂うものが混じっていた。巨大なビクトリア湖(九州二個分!)が穏やかに水を湛えているのが見え、周囲にはどこまで行っても緑の多いのが印象的で、道端で小さめのパイナップルや青いバナナ、野菜など売っている様子などをうかがっても、ウガンダは作物に関しては豊かに思えた(実際は各国の保健・教育・所得の平均達成度を測る「人間開発指数」において、2015年時点で 188ヵ国中163位だと言う)。

当然ウガンダと言えばアミン大統領の独裁や虐殺を思ってしまうが、現在の高速道路を走る俺の目にはあちこちにとにかく多くの学校(幼稚園、ハイスクール、大学などなど)があり、教育に力を入れている様子が理解出来る。考えればアミン失脚は遠く1979年のことなのであり、そのあとウガンダ共和国に何があったかを俺は知らなかった。

いや、反政府武装組織「神の抵抗軍(LRA)」との衝突、その後別の組織による首都での自爆テロと、基本的には依然危険なイメージだけはあった。したがって今回も、そうした紛争によるダメージに対してMSFが活動をしているのではないかと、目的地を知らされた俺はすぐに思ったのである。

いとうせいこう