メディアの悪意ある報道に苦しんだ時代もあった岡田武史氏が語る、メディアとスポーツの良い関係とは?

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板東浩二・NTTぷらら社長が各界のビジョナリストに話を聞く企画、今回は元サッカー日本代表監督、現FC今治オーナーの岡田武史氏にご登場いただいた。「監督でなくオーナーになって初めて、メディアとの付き合い方が変わった」と話す岡田氏が、メディアとの確執、和解、さらには、報道に苦しんだからこそ話せるメディアへの提言までを赤裸々に語った。

メディアの悪意ある報道に
のたうちまわった日々

板東 岡田さんは、まさかご自分が代表監督やサッカーチームのオーナーになるとは思っていなかったそうですね?

岡田 ええ。大学卒業後、古河電工でサッカーを続けながら、本気で「将来は社長になる」と思っていました。しかし1993年にJリーグが誕生してコーチ就任を頼まれた時、「サッカー界が面白い流れになっている」と感じ、リスクを持って引き受けたんです。

板東 そこから人生が変わり始めて、98年に監督になられましたね。

岡田 41歳の時、フランスワールドカップの予選でカザフスタン戦を戦ったあと、いきなり加茂周監督が更迭されました。直後にウズベキスタン戦があって、次の監督を招聘する時間なんてありません。だから、コーチだった私がやるしかなかったんです。でも有名になるとか思ってないから、電話帳に自宅の連絡先を載せたままだったんですよ。その結果、私のやり方が気に入らない方からの脅迫状や脅迫電話がひっきりなしに舞い込んでくるようになりました。警察が24時間体制で自宅を守ってくれるようになったんですが、テレビを見れば私がボロカスに言われていて、まだ小さかった長男が泣くんです。最後、ジョホールバルに行ったときは、試合の前日、かみさんに電話して、本気で「もし勝てなかったら俺は日本に帰れない」と言いました。

板東 壮絶ですね…。

岡田 ここで私、怖いものがなくなったんです。電話をかけて、部屋で試合のビデオをチェックしていたとき、突然「もういいや」となった。「明日、俺は今持ってる自分の力を命がけで出す。それで駄目ならしょうがない」「負けたら謝るけど、俺のせいじゃない。俺を選んだ会長のせいだ」と開き直ったんです。言わば、生物学者の村上和雄先生がおっしゃる、何か、遺伝子にスイッチが入るような感覚……。

板東 書籍『生命の暗号』に出てくる話ですね。

岡田 そうです。我々の中には氷河期や飢餓期を超えてきたご先祖さまの強い遺伝子が眠っていて、環境や考え方に影響を受け急にオンになる、という話どおりの感覚でした。あの瞬間から、人生が変わりだしたんです。

板東 そこから、FC今治のオーナーになったのはなぜですか?

岡田 きっかけは、スペインの、ある有名なコーチに「私の国には『プレーモデル』というサッカーの“形”がある」と聞いたことでした。サッカーは野球と違い、試合中にサインは出せません。だから選手の自由な発想を活かそうとします。しかしスペインでは16歳までに共通認識のようなものを伝え、その上で自由な発想を活かそうとすると言うんです。

 この時、長年の疑問が氷解しました。スペインのサッカーは、具体的な戦術より前に「プレーモデル」という共通認識があって、その上に選手個々の創造性がある。一方、日本のサッカーは「プレーモデル」がなく、具体的な戦術から教え始めるから「言われたことしかできない」と揶揄されてしまう……。

板東 マネジメントに似ていますね。プレーモデルを経営ビジョンに置き換えれば、企業の人材育成と同じだと感じます。

岡田 そうなんです。なら日本が世界で勝つための「岡田メソッド」をつくって、これを元にクラブを運営してみたい、と考えたんです。

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