エリザベートは19世紀に生きたオーストリア皇妃です。オーストリアってどんな国?と聞かれると、うーん…うーん…ザッハトルテ! ウィンナコーヒー! ――私の雑な認識では3時のお茶的イメージ。あ、モーツアルトとかもいるか。ま、そんな感じのクラシックな文化の香り漂うドイツの隣国です。

国も都市も地域でもそうですが、その土地のイメージを作るのは最盛期だった時代で、このクラシックな国の最盛期は中世〜近世。当時、周辺の小さな王国を仕切る神聖ローマ帝国(現ドイツ、北部イタリア、東欧にかけての一帯)の中心で、ヨーロッパ随一の王家・ハプスブルグ家が代々の皇帝として治めていました。エリザベートはここの跡継ぎ、皇帝フランツ・ヨーゼフのお妃様です。ちなみにエリーザベトと表記されることもあり。長いのでここでは勝手にあだ名、エリザと呼ばせていただきます。

彼女の実家はドイツ系のバイエルン王国の親戚筋、皇帝の相手としてはずいぶん格下の公爵家ですが、エリザの母とフランツの母・ゾフィーは姉妹で、ふたりは従兄妹だったんですね。でもフランツのほうはそれだけではありませんでした。ということでまずは彼が手紙に記したというこの言葉から。

「彼女は何と甘美なのでしょう。新しいアーモンドの実のように新鮮です。彼女の瞳を縁取る髪はすばらしく、瞳はやさしく、唇はイチゴのようです」

要するにエリザはめちゃめちゃ美人で、本来は彼女の姉が相手だった見合いの席で、フランツはエリザに一目惚れしちゃったのです。

ところが。「風来坊」と呼ばれ旅と趣味に生きた父親にそっくりで、自由奔放に育ったエリザと、皇室の伝統を守ろうとするガチ保守の義母(エリザの伯母です)は、いちいち対立。嫁いだ当時の彼女はわずか16歳ですから戦って勝てるはずもなく、子供も産んだそばから取り上げられたエリザは、美容にハマってゆきます。

周囲をドン引きさせた、振り切った美容オタクぶり

さてここで彼女の振り切った美容オタクぶりをご紹介しましょう。彼女のこだわりは大きく分けて3つ。美肌、美髪、ダイエットです。

まずは「美肌」。様々に伝わる記録をもとに書かれた小説『皇妃エリザベート』には、皇帝フランツが「夜眠るエリザの顔に仔牛の生肉が乗っててビビった」と母親に報告するくだりがあります。レディ・ガガかと思いますが、パックはその他「潰した旬のイチゴ」「ハチミツ」「牛乳」「牛の胆汁」などといういいような悪いような怖いようなラインナップです。「共通点は枕カバー死ぬほど汚れる系」と思ったあなたは完全庶民。

そして「美髪」。エリザ自ら「私は髪の奴隷」とのたまったという自慢の髪は、ツインテールを胸元でラリエット状態に一結び…なんて肖像画があるくらいの長さ。ちりちり巻き毛でかかとに届くくらいってことは、ストパーかけたら3m越え…というのは私の妄想ですが、これを1日3時間かけて梳いていました。髪が抜けるとビンタ食らわされることもあるので、専属のヘアドレッサーは隠し持った粘着テープで抜け毛を隠していたとか。そして3週間に一度は、卵黄&コニャックの特製シャンプーで、丸一日かけてスペシャルケア…。

ここまでですでによくわかんない境地ですが、それ以上にクレイジーなのはダイエットです。

●●ジュースでダイエット…エリザ、お腹壊すぞ!

そもそも172cmのスラリとした長身のエリザが、自分に許した体型は50kg、ウェスト50cm。ミランダ・カーが175cmで体重54kg(公称)ですから、彼女をひと回り小さくして、さらにもう少し体重落とした感じでしょうか。

これを保つための食事制限と独自のダイエット食が壮絶です。まあとにかく食べない。野菜と脂肪の少ない肉や乳製品をほんのちょっぴり、あとは牛乳、紅茶、オレンジジュースなど飲み物だけ。強烈なのは、「生肉ジュース」です。生肉を圧搾して出た生肉汁を、滋養強壮のために飲んでたんですね。お腹壊すよ〜と言ってあげたいところです。

加えて運動も欠かさず、乗馬や水泳、ウォーキングなどをガンガンやり、彼女が各所で滞在した部屋には、ゴージャスな内装に不似合いな吊り輪や肋木が。

でもねー、甘いものは大好きで決してやめてはいません。エリザ、めちゃくちゃだぞ。

その美への執念はむしろ強迫観念に近い感じです。鬱や体調不良も併発していたといいますから、摂食障害に近いかもしれません。にもかかわらず、その当時の彼女の美しさ。手心加えられている肖像画が美しいのは当然ですが、ほんとにびっくりしちゃうのは、その肖像画より写真のほうが全然美しいことです。

例えば1965年、彼女の弟の結婚式に同列した義弟カール・ビクトールは、その様子をこんなふうに手紙に書いています。

「目眩がするほど美しく、当地の人々はみな熱に浮かされたように呆然としています。これほどの影響力を持つ人をこれまで見たことがありません」

人々は彼女見たさに集まり、外交で訪れた国々では絶大な威力を発揮したといいます。

何よりも大切な自分を守るため、すべてを捨てた強さ

この人のすごさは、こんな生活をつづけながら60歳過ぎまで生きたことです。というのも彼女は「体調不良の療養」として生涯にわたって旅から旅をつづけ、ストレスフルで実際に体調が悪化するウィーン宮廷に、ほとんどいなかったのです。

無責任な皇妃、母親と罵られ、オーストリア民衆の顰蹙を買い、晩年には夫の寂しさを埋めるための女をあてがってまで、何よりも大事な自分を守り続けたこの人の強さには驚かされます。

でも彼女が求めすぎていたかと言えば、それはちょっと違うと私は思います。常に監視と好奇の目にさらされ、生まれ育った家の習慣を全て否定され、子供を取り上げられーー美への強烈な執着は日々のストレスの代替行為だっただろうし、その悪影響からか生涯を通じて身も心も満身創痍。それでも生きてしまう自分の強さを、もしかしたら呪いさえしたかもしれません。

彼女のために弁護すれば、不幸だったのは、落日の中で王政の中央集権を守ろうとした旧態依然のハプスブルグ家と、新しい連邦制を志向した自由な彼女の組み合わせ。ちなみに彼女と似た自由主義思想を持ちながら、跡取りとして孤独と抑圧の中に残された一人息子ルドルフは、30歳を前に自殺しています。

エリザの死因は暗殺。本当ならもっと長生きしていたかもしれません。

参考文献

『エリザベート 美と旅に生きた彷徨の皇妃』 森実与子

『皇妃エリザベート』 藤本ひとみ

『皇妃エリザベートとふたりの男たち』 桐生操

『エリザベート』ブリギッテ・ハーマン