1997年のヘール・ボップ彗星が出現した際にUFOを信仰する宗教団体「ヘヴンズ・ゲート」の信者が集団自殺した事件などが、カルトの起こした事件としてよく知られています。しかし、2017年現在には一見するとカルトに見えないカルトも数多く存在するとして、「人はなぜカルトにはまってしまうのか?」「カルトとはどのようにして見分けられるのか?」を解説するムービーがYouTubeで公開されています。

Why do people join cults? - Janja Lalich - YouTube

1955年、ジム・ジョーンズという男がアメリカ・インディアナ州に人民寺院という宗教を立ち上げました。



ジム・ジョーンズは当初、優れた社会活動家であると報道され、多くの有力政治家たちに支持されました。



しかし、その後、独裁体制や強制労働などがマスコミから批判されるようになり、1977年にジョーンズは何百人もの信者をつれて南米・ガイアナの密林へと拠点を移します。



ガイアナでは「ジョーンズタウン」というコミューンが作られました。ジョーンズタウンはユートピアだというふれこみでしたが……



実際には、コミューンの住人たちは囚人のように扱われていたとのこと。



その後、1978年にアメリカ連邦議会のレオ・ライアン下院議員がジョーンズタウンの状態を調査しに訪れます。当初はジョーンズタウンを友好的な目で見ていたライアン下院議員でしたが、次第にさまざまな虐待の証拠を発見することに。ライアン下院議員によって行われた「帰国希望者をアメリカに連れて帰る」という提案は人民寺院側に認められましたが、実際に帰国しようとした際、ライアン下院議員ら視察団は信者に殺害されてしまいます。



そして、視察団殺害のあと、教団の信者900人以上がシアン化合物入りの飲料水を飲むことで集団自殺を遂げます。



この事件が、「カルトに属する人々は妄信的で『毒入りの水を飲む』のだ」というようなイメージを作り出しました。



2017年現在、世界中には何千というカルトが存在しますが、覚えておきたいのは、それら全てが宗教的というわけではないということ。政治的なもの、セラピーの形をしたもの、自己啓発など、さまざまな形のカルトが存在します。



一方で、全ての宗教がカルトであるわけでもありません。では一体カルトの定義とは何でしょうか?そして、なぜ人はカルトにはまるのでしょうか?



広義の意味では、カルトとは強いイデオロギーによるつながりを持つ集団によるムーブメントを指します。この集団にはイデオロギーを体現したカリスマ的なリーダーが存在するのが一般的です。



そして多くのカルトは「深い献身」「厳格なヒエラルキー」「疑うことを知らない支持者と内部で動く人を区別すること」といった共通する特徴を持ちます。



また、人生で抱く大きな疑問への答えを与えてくれるのも特徴。さらに、この時、信者に対して「どのようにすれば状況を変えられるのか」という方法も提示します。



カルトはこれらのシステムによって新入りのメンバーを真の信者に変え、お金を巻き上げます。



一方で、カルトの内部の人々は信者たちの従順さを保つために「公式の顔」と「非公式の顔」を持ちます。



疑いを持った信者や……



カルトを調査しようとする外部の人には厳しい叱責を行うのです。



これらの特徴は全ての宗教の立ち上げに当てはまると思う人もいるかもしれません。事実、カルトの語源である「cultus(カルタス)」は、儀式を行ったり寺院を建てたりして特定の神を崇拝する人々のことを指します。



しかし、カルタスという言葉は次第に「強い献身を求めること」という意味を持つようになります。



多くの宗教はカルトとして始まるかもしれませんが、組織が大きくなるにつれ、より大きな社会組織と統合されていきます。



一方で現代のいわゆる「カルト」は組織の外の人々と、内部の人々を分け隔てます。信者たちによりよく生きるためのガイドラインを与えるのではなく、家族とのつながりや経済的なこと、人生の選択などを、より直接的にコントロールしようとします。



また、カルトのリーダーは自分の説得力を上げるために、信者らに従順さを強要します。



リーダーが権威主義的にふるまう要因はお金やセックス、パワー、あるいはその全てです。



カルトのリーダーは自らのカリスマ性を利用して最初の数人を引き入れ、その後、ピラミッド式に信者を増やしていきます。カルトは「誰をターゲットにすべきか」を心得ているのです。



ターゲットとなるのは、その分野において全く知識のない人や……



誰かを失ったばかりで悲しみを抱いている人など。悲しみや孤独の「意味」を求めている人は、コミュニティーに勧誘するフレンドリーな人々を受け入れやすいのです。



勧誘は非常にさりげないもので、場合によっては数カ月かけて親しくなってから行う場合もあるそうです。カルトのメンバーの3分の2は、友人や家族、同僚から誘われて入ると言われています。親しい人たちからの誘いは断りにくいためです。



いったんカルトに入ると、新入りメンバーに対する教化が行われます。教化は「このように行動せよ」と命じるシンプルなものも存在しますが、場合によっては罪悪感や羞恥心、恐れなどを巧みに利用することもあります。そして、信者たちは、「約束された報酬を得たい」という欲求、あるいは「どこかに属したい」という欲求から、命令を聞いてしまうとのこと。



また、カルトは批判的な考えを許さず、疑いの声を上げにくくします。



このような状況で内なる葛藤を行うと、認知的不協和という状態が生じます。認知的不協和はイソップ物語の「すっぱい葡萄」を例として語られることが多く、自分の認知の矛盾を解消するために自分の態度や行動を変更するというもの。カルトに入った人は自分がだまされていることを認めると苦しみが生じるため、自分をカルトの中にとどめてしまうのです。



カルトが信者を死に至らしめようとるすことは少ないのですが、信者の自由な考えや、スピーチなどを否定することで、心理的・感情的な成長を止めてしまいます。



これは、多くの物事を経験することで成長する子どもにとって特に弊害となります。



しかし、ほとんどの人が自分で「おかしい」と気づいたり、家族や友人の助けを借りて、最終的にカルトから逃れられるとのこと。



世の中には一見してカルトに見えないカルトも存在しますが、「何かを信じる」ということにおいて、家族や友人を代償にするべきではありません。もし誰かがあなたに誰かとの関係を犠牲にするよう命じたり、「より大きな善のために」道徳を犠牲にすることを強いたとしたら、多くの場合、その相手はあなたを搾取しようとしていることを肝に銘じておきましょう。