それもまた1つのLOVE。

愛してるとは違うけど、愛していないとも言えない。

あなたの身にも、覚えはないだろうか…?

女性誌でライターをしている奈々は、高校時代に淡い恋心を抱いていた翔平と渋谷で再会する。

しかし彼は同年代の女性から羨望と嫉妬を集める美女・衣笠美玲と特別な関係にあることを知り心乱されるのだった。

奈々は、ステディな彼・優一に結婚を前提に同棲を提案され、心を決めたはずだったが、翔平が気になる気持ちを止められない。

翔平から「今から逢おう」と誘われ、一線を超えてしまう。




切らずに残した、糸


「千駄ヶ谷の家に戻ろうと思う」

そう告げた時の、優一の顔が忘れられない。

さっと表情を曇らせ、「どうして」と絞り出すように言った彼。

しかし理由を聞いておきながら、奈々がすべてを吐き出してしまう前に、「いいよ、わかった」と口を開くのを阻止された。

優一の、溢れ出す感情を押し殺すような、歪んだ表情。

その時ばかりは奈々の心から自己保身の感情や翔平の残像は消え去り、ようやく優一に対する罪悪感でいっぱいになった。

正式なプロポーズを受けたわけではないが、彼は奈々との結婚を真剣に考えてくれていた。忙しい仕事の合間を縫って、2人で住む家も探してくれていた。

急に翻意した奈々を責める権利が、彼にはある。

しかし優一の口から奈々を非難する類の言葉は、一つも出ないのだった。

「...ゆっくり考えればいいよ」

奈々の身勝手を、2人の未来を、彼はそんな言葉で曖昧にした。

優一は、優しい。本当に。

ただ彼の優しさは、私を狡い女にする。

「ありがとう」

きっぱり別れるつもりだったのに思わずそう答えたのは、本能が叫んでいたからだろうか。

...戻ってくる場所を失わない方が良い、と。


優一の家を出た奈々。そしてついに、「彼女」と対面することになる。


幸せを掴む女


「おはようございます」

コンクリート壁に囲まれた無機質なスタジオの空気がパッと華やいで、奈々は彼女が到着したことを知った。

スタッフに会釈しながら入ってきた彼女に急いで近寄り、奈々は一呼吸おく。努めて冷静に、棘のある声色にならないように。十分に言い聞かせてから、名刺を差し出した。

「ライターの、桜井奈々です。この度は取材を快諾してくださり、ありがとうございます」

奈々を認めると彼女は一瞬驚いたような顔をしたが、その表情はすぐに魅惑的な微笑へと変わった。

「いえ、お声がけいただき光栄だわ。衣笠美玲です、よろしくお願いします。」

艶のある、しかし明瞭な話し方が彼女の知性を物語る。

しかし美玲は奈々の想像よりずっと、小柄で華奢で可愛らしい雰囲気の女性だった。

「あの女は翔平くんを振り回している」そんな風に評したさゆみの言葉が、無意識に虚像を作り上げていたのかもしれない。高慢で、鼻持ちならない性悪女...そんなイメージを。




「ご主人とは、どこで出会われたんですか?」

ヘアメイク担当のスタッフが、美玲の長い髪にアイロンを巻きつけている。その斜め後ろに奈々は座り、鏡越しの美玲に問いかけた。

スタジオは時間貸だから、ライターはこうしてメイクアップの時間や撮影の合間を縫ってインタビューを行い、できる限り時間を短縮する。

「古い友人の、紹介です。彼女のFacebookか何かで、彼が私の写真を見たらしくて。好みだから紹介してくれ、と言われたそうよ」

そんなことを、美玲は目を瞑ったまま何でもないことのように言った。

自分自身が稀有な魅力を持った女である、ということに対して、彼女には一点の疑問もないらしかった。

男が自身の写真を見て会いたいと望むことも、火に油を注げば燃えるのと同じく当然のこと。

そしてその揺るぎない自信にこそ男たちが抗いようもなく惹かれることも...翔平が心奪われている事も、きっと彼女はすべて、知っている。

熱海のHIRAMATSUでプロポーズされたエピソードや、ハリー・ウィンストンとヴァン クリーフ&アーペルで最後まで迷ったのだというエンゲージリング、新居である六本木の高級マンションのインテリアの話。

そういった、世の女たちの憧れを凝縮したようなストーリーを、美玲は事もなげに淡々と語った。

本当に彼女は今幸せの絶頂にいるのだろうか?と、こちらが心配になるくらいに、淡々と。

「結婚の決め手...は何だったんですか?」

その質問は、奈々にとっても興味深いものだった。

世の大半の女性がそうであるように、奈々にとっても結婚は、ずっと憧れの存在だった。しかしそれがいざ現実となって迫ってくると、先の見えた凡庸な未来が恐ろしくなった。

どうしても、その平凡な未来こそが幸せなのだ、と思い込むことができなかったのだ。

美玲には、そういう迷いはないのだろうか。

もちろん、美玲の結婚相手は非の打ち所のない男性だ。しかし、選ばなかった未来...翔平への未練や後悔の念は、本当に1ミリもないのだろうか。

ヘアメイクを完了した美玲が、奈々を振り返る。目力が増し、初対面の印象よりぐっと強さを感じさせる。

そして美玲は噛みしめるような口調で、ゆっくりとこう言った。

「私は、幸せになるって決めているの」


美玲の強さを目の当たりにする奈々。そして一人になった奈々は、徐々にバランスを崩す...


バランスを崩した恋は、苦かった


オフィスに戻ると、待ってましたとばかりに同僚のさゆみが近寄ってきた。

「生・衣笠美玲、どうだった?案外大したことなかったりして」

インスタの写真なんてだいたい詐欺だもんね〜、などと放言するさゆみに、奈々は断言しておいた。

「予想以上に、素敵な女性だったわ」

グロスでテカテカ光った唇を膨らませているさゆみを無視し、ノートPCを広げて取材メモを起こす。

奈々の頭の中では、美玲が最後に言った言葉が何度もリフレインしていた。

-私、幸せになると決めているの。

力強く言った、美玲の言葉。

彼女が今後、選ばなかった未来を振り返ること...翔平とどうにかなることなど、絶対にないだろう。

そこには、一切の未練も迷いも寄せ付けぬ覚悟があったから。

一方奈々は彼女の言葉で、自分に足りなかったものが何かを思い知ったのだった。

優一との未来に感じた不安や恐怖。それは何も、優一が悪いのではない。彼が優しすぎるからでも、平均的で凡庸な男だからでもない。

ただ、奈々に覚悟がなかっただけなのだ、と。

「この人と結婚して、幸せになる」

そう覚悟を決めた女だけが、幸せを掴む。衣笠美玲のように。

息苦しくなり、奈々は無心でキーボードの上に指を動かす。私は幸せを掴み損ねた、のかもしれない。

結婚がすぐ前に見えていた優一と別れ、「好きだ」とも「付き合おう」とも言ってはくれない翔平に走ろうとしている私は...。

突然、目の前がぐにゃりと歪むような感覚に襲われ、奈々は慌ててスマホを取り出す。

-今夜、逢いに行ってもいいかな?

翔平に送ったメッセージは、すぐに既読になったがなかなか返事は来ない。

1秒、また1秒が経つごとに、奈々の胸に広がる焦燥感。

寄りかかるものを失うとこんなにも不安定になるものなのだと、自ら捨てておいてようやく気づく。

翔平はきっと、会議中なのだ。そんな風に自分に言い聞かせ、原稿に集中する。

-ごめん、明日朝からマレーシア出張なんだ。

30分が経ってようやく届いた翔平からの返事は、ただただ苦い汁となって、奈々の心を無情に侵食していった。

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美玲と再会する翔平。そこで言われた言葉とは...?