普天堡で演説する金日成氏

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6月4日の北朝鮮は、普天堡(ポチョンボ)戦闘の勝利を祝う日だ。普天堡戦闘とは、朝鮮半島が日本の植民地支配下にあった1937年6月4日、後に北朝鮮主席となる金日成氏が率いるパルチザン部隊が、今の両江道(リャンガンド)普天(ポチョン)郡を襲撃したとされているものだ。

金日成氏は著書「世紀とともに」の中で、普天堡戦闘を「日本帝国主義の植民地支配に終止符を打ち、民族の独立と自主権を回復させようとする朝鮮人民の革命的意志と不屈の闘争精神を内外に広く示した」と自賛している。

一方、これを否定する情報もある。

1937年6月7日の東亜日報によると、幼児を含む日本人2人が死亡、郵便局や面事務所(村役場)、森林保護区事務所が全焼し、約5万円(現在の価値で約8000万円)が強奪された。北朝鮮当局が宣伝するほどの「大勝利」ではなかったことを示していると言える。

普天堡戦闘を伝える1937年6月7日の東亜日報(画像:Naverニュースライブラリー)

普天堡戦闘を伝える1937年6月7日の東亜日報(画像:Naverニュースライブラリー)


いずれにせよ、北朝鮮では大事なお祝いの日であり、様々な記念行事が開催されるが、最近では参加者がなかなか集まらないという。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。

咸鏡北道(ハムギョンブクト)の情報筋によると、4日に普天堡戦闘勝利80周年記念する様々な行事が首都・平壌と両江道の恵山(ヘサン)で開かれ、約1万人が参加した。

政府は各機関、工場、企業所に命じて、何人かの参加者を選抜して送り出させるのだが、積極的に参加しようとする人は誰もいない。

普天堡戦闘の勝利を祝う集会には、「白頭山踏査行軍隊」の隊員として参加させられるのだが、集会終了後は15日間、白頭山まで行軍する「苦行」が待っている。

重い荷物を背負わされて1日に24キロも歩かされた上で、道中はまともな食事も寝床も与えられない「地獄の行軍」というのが不人気の理由だ。

誰も行こうとしないため、募集担当者は苦肉の策として「旅費」を支給することにした。

両江道の情報筋によると、各機関、工場、企業所は従業員から集めたカネを参加者に支給した。1人あたり3万北朝鮮ウォン(約390円、コメ6キロ分)だが、これは行軍に欠かせない軍用の地下足袋と、1日1本の酒を買えるだけの金額だ。

これ以外にも、1ヶ月間の勤労動員の完全免除という出血大サービスをつけて、ようやく参加者が集まったという。

金日成時代には、皆が参加したがっていたこの行事だが、今では相当の見返りがなければ誰も参加しようとしなくなってしまった。国や指導者に対する忠誠心が低下した上に、国の行事よりもプライベートを優先する雰囲気が広まっているからだろう。また、参加期間中には市場での商売ができず、収入が減ってしまうことも一因と思われる。

ちなみに白頭山踏査行軍と並んで不人気なのが、金日成氏と金正日氏の遺体が安置されている錦繍山記念宮殿の参拝だ。参加者を選抜して3ヶ月に1回行われるのだが、既に7〜8回参加した人が多く、募集がかかっても多くの人が無視するほどだという。