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3歳でポルシェに目覚める

ここは、スコットランドの西海岸にあるカフェ。テーブルを挟んで向かいに座るのは、「ミスターGT3」の異名を取るアンドレアス・プレウニンガー。ヴァイザッハでポルシェの高性能モデルを手掛ける部門のマネージャーである。

彼が思い出そうとしているのは、自分がクルマに夢中だと気付いた歳だ。「たぶん3歳……いやいや、もっと小さかったかもしれませんね」

ただし、彼が夢中になったクルマは極めて限定的だ。

「家族揃ってポルシェ好きで、わたしもベッドルームの壁にポルシェの写真を貼っていました。1973年式の911カレラRS2.7です。白いボディに青いデカールを貼ったそのクルマが、子供だったわたしにとっての愛車でした」。彼は感慨深げに語った。

しかし、もっと興味深かったのは次に語られたエピソードだ。

「父は風洞の部品を扱う仕事をしていて、ポルシェもクライアントでした。わたしは20歳のときに、父が仕事でヴァイザッハを訪れるのについていったんです。そのとき、突然はっきりと思いました。こここそが、自分が働くべき場所だ、ってね」

彼は大学で自動車工学を学んでいたが、その瞬間まで、将来について考えてはいなかったという。とはいえ、彼は思い通りに今の職場へ入れたわけではない。

「1990年代半ばのポルシェは、現在のような会社ではありませんでした。社員を増やすより、減らす方に力を入れていました」

そのため、ポルシェへ入社できないのなら、次にベストの選択をしようということで、そのサプライヤーに職を求めた。

新卒から2年間、彼は夢見る会社に近いところで働きながら、シュトゥットガルトのポルシェ本社へ履歴書を送り続けた。

「ついに念願が叶ったのは、11通目か12通目でした」

最初の配属先は「技術コンサル」

ようやく念願が叶ったのに、配属先はヴァイザッハのモータースポーツ部門ではなく、技術コンサルタント部門で、そこでフォルクスワーゲンやアウディとの調整を手掛けることとなった。それでも、彼は憧れた地での第一歩を踏み出したのだ。そして、今のような仕事に就くことを諦めなかった。

「当時のモータースポーツ部門を率いていたのは、ハルトムート・クリステンでした。しょっちゅう彼に電話しましたが、仕事はないって断られ続けましたよ。でもとうとう、とあるパーティで共通の友人に引き合わせてもらいましてね、一緒にビールを呑んだところから今に至るというわけです」

そうしてヴァイザッハが彼の職場となったのは2000年であり、すなわち1999年に登場した最初のGT3には関わってはいないが、それ以降のGT3全てとGT3RS、GT2RS、911R、そしてケイマンGT4の開発責任者はプレウニンガーが努めた。

いうなれば、たった1台のクルマで始まったこの開発部門は、彼の影響下で花開いたわけだ。それらはベース車と比べ、大きくかけ離れているといっていいほどに進化したモデルばかりである。

「着任したときは、GTモデルの生産台数は100台ほどで、カレラのような知名度はありませんでした。いまやそれは1000台規模で造られるようになり、新たなGTモデルの開発は911ターボと同等か、それ以上のプロジェクトになっています」

GTモデル、なぜ「伸びている」?

成功の秘訣は、それが速くて挑発的なクルマであることだけではない。ほかのモデルに欠けている、ポルシェの真髄が宿っていることにもある。

たとえば、プレウニンガーがGTモデルを開発するとき、それらはレースに出ることを想定したクルマが出発点になる。

それゆえ、ボクスター・スパイダーのようなスペシャルモデルを手掛けても、それにはGTの名は与えない。そうした非GTモデルもあるとはいえ、彼は他社より有利な環境で仕事をしていると自認する。

「アウディやBMWも、速くて優れたクルマを造っていますが、わたしたちの方がラッキーですよ。彼らは子供の送り迎えに使えるクルマが出発点ですが、わたしたちはスポーツカーとして造られたクルマをもとに腕を奮えます。しかも素晴らしいプラットフォームがあるだけでなく、コンバーチブルやタルガは造らなくていいんですからね」

彼は自分が手掛けたクルマの特質として「精密、エモーション、剥き出しのスピード」を挙げたが、そのプライオリティはモデルによって違うという。

「GT3RSなら、精密さが全てに勝ります。911Rの場合はエモーションですね」

驚くほどシンプルな開発プロセス

GTモデルの開発プロセスは、驚くほどシンプルだ。

「チーム内で、極めて限定されたモータースポーツのグループに沿って立案します。それを社に提案するんですが、これが時間も神経も使うんですよ。なぜなら、わたしたちのチームはみんなモータースポーツに関していささかマニアックで、社内全員が同じ感覚というわけではないですから。とはいえ、その過程抜きにわたしたちが決定を下すことができないのは承知しています。ビジネスケースを構築して、組織として進めなくてはいけませんから」

では、実現に漕ぎ着けなかったモデルもあるのだろうか?

そう尋ねると、彼はちょっといたずらっぽい目でこちらを見てから、こう答えた。「造れなかったクルマは1台もありません。打率は10割というわけです」。

プレウニンガーは今や、彼の部署を週100台規模のクルマを生産するまでに拡大した。しかし、まだまだセールスは伸ばせるであろうことも想像に難くない。

「わたしは常々、需要よりも10台少ないクルマを造りたいと思っているんです」

ところが新車を発表するたび、見込み需要は倍増しているのだという。

「だからといって、サプライヤーに電話して、倍のパーツを造ってくれとオーダーしても無理があります。そのために彼らは、新たな工場が必要になるでしょうから」

そのため、GTモデルはハードコアな、真にモータースポーツに由来するサラブレッドであり続けるだろう。少なくともプレウニンガーの見解では。

写真の中を走る白とブルーのナナサンカレラを愛した子供は、おそらく最も敬意を集める社内チューニング部門を任される人物に成長した。ポルシェは、彼に機会を与えるたびに、その見返りを得てきたといっても過言ではないだろう。

そうして彼がこの仕事に取り組んで17年経った今、手掛けているのはおそらく噂が飛び交っている新型GT2RSだろう。

予想されるスペックが真実だとすれば、実現までの道程はまだまだ遠いようにも思われる。しかし、プレウニンガーはその仕事を順調に進めているはずだ。