人気投票全国1位! 「マラソン島」が感涙させる理由

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「人生でこんなに人に感謝したことはない」

「一年で一番素直になれる日」

これは、毎年6月に開催される「隠岐の島ウルトラマラソン」に参加した人たちが寄せた声だ。島根県沖に浮かぶ隠岐群島。人口減少と高齢化に悩む隠岐の島町(人口1万5000人)で、この6月18日に12回目となる「隠岐の島ウルトラマラソン」が開催される。

北海道から九州まで全国のマラソン愛好家が集まる隠岐の島の100kmレースは、例年、ランナーのためのサイト「RUNNET」の「ウルトラマラソン部門」で人気1位を独走している。

しかし、2005年10月に第1回目が開かれたとき、目標エントリー800人に対して、実際に参加したのは357人だった。それが回を重ねるごとに口コミで参加希望者が増え続け、全国34地域で開かれるウルトラマラソンで、人気1位になったのだ。

しかも、ランナーとして参加した広島の医師は、「この大会をやめずに、毎年必ず継続してくれるなら」という条件を提示し、島の無医村に移住した。ランナー同士で結婚した夫婦もいる。今では「地域おこしの参考にしたい」と、行政視察も相次ぐ。当初は町議会からの反対や冷めた声もあった大会が、なぜ人気ナンバーワンになったのか──。

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「昔、島に来てもらう観光イベントとしてハーフマラソン大会を開いていて、宗兄弟も参加したことがあったんです。でも、参加者は年々減るし、マンネリ化していました」

隠岐の島町の観光課長、吉田隆がそう打ち明ける。

イベントをやってみたけれど、継続が困難になるというのは、地方に行くと、よく聞くパターンの話である。また、観光資源には恵まれているが、それが地域の活性化につながっていないケースも多い。

隠岐の島町は釣りファンがフェリーや飛行機で訪れる島であり、また、歴史が好きな人にとっては後鳥羽上皇や後醍醐天皇が「配流」された島流しの土地としてその文化を残す。真冬を除いて、ほぼ一年中、道路わきのアジサイが花を咲かせている珍しい気候の島で、独自の生態系をもつ。黒曜石の産地でもあり、「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」がある。といっても、関心がない人にはまったく刺さらない。

「海外線を走って、島を一周して、内陸を少し迂回したら、100kmになる。ウルトラマラソンができるぞ」

観光協会や観光課の中で、当時はまだ少なかった「ウルトラマラソン大会」の案が持ち上がった。しかし、町議会や一部の町民が反対の声をあげた。

「100キロも走るランナーがこの島に本当に集まるのか?」「そんな大会を開催して、町民に何のメリットがあるんだ」といった、これも地方でよく聞く「新しいことにはとりあえず反対」という声だ。

そこで当時まだ若かった吉田課長たちは、「丁度、町村合併で、島内の4つの町村が合併して隠岐の島町になったのだから、その記念として一回だけでいいから実行してみましょう」と提案。一回限りの約束で「隠岐の島ウルトラマラソン」が開催されることになった。

2005年10月に開かれたこの大会には、いくつかの仕掛けと、予想しえない展開があった。

全国からエントリーしてきたランナーには、ゼッケンを郵送する際、島の小学生たちが書いた手紙をそれぞれ同封していた。フェリーでやってきたランナーたちは、体育館で開かれる「前夜祭」で歓待され、手紙を書いてくれた小学生とのご対面が行われた。海の幸や島の名物のめかぶ汁が振る舞われ、大漁旗での応援と島の人との交流会で盛り上がった。これはよくある仕掛けといっていいだろう。

14時間30分かけて走るウルトラマラソンのスタートは、朝5時半。日の出前で暗い。すると、スタート地点の西郷港に結集していたイカ釣り漁船の大群が一斉に集魚灯に明かりを灯したのだ。

「うわっ」。ランナーや実行委員が喜びに満ちた歓声を挙げた。

「漁師の皆さんが招集をかけてくれていたんです。僕らもランナーもみんな感激しました」(吉田課長)

さらにランナーたちが驚くことが続いた。

海岸沿いの道路はアップダウンが多く、苦しいコースである。ぜいぜい息を切らして走っていると、遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

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例えば、「鈴木さん、頑張って!」「鈴木さん、頑張れ!」と、見知らぬ人たちが、なぜか自分の名前を呼んで応援するのだ。

実は、町民たちはゼッケン番号とランナーの名前のリストを持っていた。遠くから走ってくるランナーのゼッケンを見た子供たちが、番号を見ると、まるで伝令のようにその番号を沿道の住民に告げ、住民たちは手元のリストを見て、名前で応援したのだ。視力が悪い高齢者も、子供たちが番号を伝えてくるので、遠くからでも声援をあげることができる。

ランナーにとって孤独の闘いのはずが、自分の名前を呼んで応援される。多くの人が感極まったのは言うまでもない。

また、住民たちは沿道に私設エイドをつくり、給水だけでなく、めかぶ汁など手作りの料理を持ち寄っていた。

住民たちの連係プレーはさらに続いた。美しい夕暮れの海を見ながら走っていると、日が暮れていき、道路によっては真っ暗になる。すると、住民たちが乗ったバイクや車が集結し、ヘッドライトで道を照らし始めたのだ。なかには懐中電灯をもって、明かりを灯す者もいる。

「疲れを忘れました」と多くのランナーが感想を述べるように、この大会の完走率は84.6%。通常、ウルトラマラソンの完走率は70%台だから、大成功といっていい。

翌日、フェリーで島をあとにするランナーたちは、別れを惜しみ、船上からたくさんのテープが舞った。「来年も必ず来るよ!」。そんな声が港に溢れたのである。

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翌年、この大会に変化が起きた。

一回限りだった大会の継続が決まると、住民のなかには「あっちの地区の応援には負けてられない」と言う者が続々と出て、沿道の私設エイドでは、島の名物である牛を使って、網の上で焼肉が焼かれたり、なかにはビールを配ったり。ランナーが箸で網の上の焼肉をひっくり返すマラソンは、世界広しといえど、そうないだろう。沿道では、大漁旗があちこちで振られ、「さざえの海苔巻き」や「めかぶ汁」がランナーたちに振る舞われる。

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そして、住民たちがランナーを名前で呼んで応援する。たったそれだけのことが、ランナーの気持ちに火をつけるのだ。

昔、隠岐には後鳥羽上皇や後醍醐天皇が島流しで送られてきた歴史があり、島の人たちは天皇が寂しくないようにと「牛突き」というイベントを始めた。牛が頭をつき合わせる牛の相撲である。牛突きは今も観光の一つとして行われているが、「寂しくないように」という島民の気持ちが今も残っていると思えたのが、このウルトラマラソンだった。

隠岐の島町のウルトラマラソンには、厳しい環境の地方が学ぶ原型がある。情熱をもって旗を振るリーダーと、それに共感するフォロワーたち。このフォロワーである住民たちが、リーダーを凌駕する知恵をあみだし、地域を盛り上げていく。

Forbes JAPANでは、こうしたアイデアや奮闘を今後も紹介していく予定だ。