東京の女には、ホテルの数だけ物語がある。

「ホテル」という優雅な別世界での、非日常的な体験。それは、時に甘く、時にほろ苦く、女の人生を彩っていく。

そんな上質な大人の空間に魅了され続けた、ひとりの女性がいた。

彼女の名は、皐月(さつき)。

これは、東京の名だたるホテルを舞台に、1人の女の人生をリアルに描いたストーリー。

埼玉出身のごく普通の女子大生だった皐月は、社会人になり東京生活を謳歌していた。27歳での結婚願望は見事に砕け散った彼女だが、30歳の誕生日に思いがけずプロポーズを受ける。そして、準備に四苦八苦しながらも、無事結婚式を迎えた。




結婚式を終えてからしばらくは、夢のような時間が続いた。

新婚旅行では定番のモルディブへ飛び、美しい海に囲まれた地上の楽園を楽しんだ。

ハネムーンとして旅行の手配をすると、行く先々でお祝いのシャンパンやケーキ、そして色とりどりの花で可愛らしく飾られたベッドメイキングの演出を体験することができる。

一番驚いたのは、飛行機の中でもサプライズでお祝いのホールケーキを出されたことだ。

ミーハーな私はその度に興奮し、大量の写真をカメラに収めた。幸せな結婚式の余韻もまだ充分に残っていて、とにかく夢心地だったのだ。

世界的に有名な憧れのラグジュアリーリゾート「ワン&オンリー リーティラ」のヴィラにも、思い切って1泊だけ泊まった。

あれは、きっと一生に一度レベルの贅沢だろう。話し始めたら丸一日は潰れてしまうほど、とにかく極上のステイだった。

結婚式とハネムーンを合わせるとだいぶ大きな出費となったが、こうして時間と労力を割き、一生モノの思い出を作ることで、夫婦はこれから始まる“現実”へと立ち向かうだけの絆を深めようとするのかも知れない。


新婚気分が抜けた皐月。見えてきた現実とは...?


幸せ絶頂の新婚気分が抜けたあとの、現実


「新婚」と呼べるのは、一体どのくらいの期間なのだろうか。

新居として麻布十番のタワーマンションに引っ越したときは、嬉しくて嬉しくて、とにかくインテリアにこだわり、私はしばし充実した新妻生活に浸っていた。

部屋には結婚式やハネムーンの写真、そして新鮮な花を飾る。ロイヤル コペンハーゲンのブルーパルメッテの食器も一式買い揃え、間接照明やカーテンにも凝った。

毎朝早起きしてハンドドリップでコーヒーを淹れ、バルミューダで焼いたトーストを頬張るのは、新婚夫婦のささやかな楽しみだ。

窓の外に大きくそびえ立つ東京タワーを眺めれば、「あぁ、私は幸せを手に入れたんだ」と、うっとりと実感することができる。

さらに私は、友人の優子に誘われ、青山にある紹介制のお料理教室にも通い始めた。

ここは知る人ぞ知る有名なお教室で、生徒たちは明らかに一定のレベルをクリアしていると言わんばかりの、上品で裕福そうな女たちが揃っていた。

習うレシピも華やかで素材に凝ったものばかり。実用的かと言われれば首をかしげるような料理も多かったが、何だか新しい世界に一歩足を踏み込んだような気がして新鮮だった。




私は結婚後も自分の意志で仕事を続けていたし、弁護士である夫の収入も悪くなかったから、典型的な小金持ちDINKSだったかも知れない。

しかし、元々それほど器用でも家庭的でもない私は、結婚して1年も経つと、家の中を飾ることや手の込んだ料理を作ることにもすっかり飽きてしまった。

秘書とはいえ外資系の会社の仕事はなかなか忙しかったし、オシャレで完璧な主婦生活と両立するのは、それなりの体力が必要だった。

麻薬のような新婚気分が抜けてしまえば、家事はただの義務でしかない。

夫の春斗は相変わらず本当にできた人間で、多少家事をサボっても文句一つ言わず、「働くなら家事は適当に分担するし、別に専業主婦になったっていいんだよ」と、いつも穏やかで献身的だったから、夫婦関係は順調だった。

ただ、タワーマンションの生花で飾られた豪華なエントランスを通り、気品溢れるコンシェルジュに軽く会釈をして自分の部屋に戻ったとき、私はどうしてもその“現実感”に切なくなることがあった。

掃除や装飾に手を抜かれた部屋は、一気に生活感に溢れ、スタイリッシュさには程遠い状態になってしまった。しかし、窓の外の東京タワーは、何一つ変わらずに美しく都会を照らしているのだ。

そんな光景に、時に目を背けたくなるような気持ちになるのは、単に私の我儘なのだろうか?


そんなDINKS生活に、ある転機が訪れる。


そんな所帯染みたDINKS生活にも慣れた結婚3年目、夫のボストン留学が決まった。

普通なら夫を支えるべく仕事を辞めて同行し、子作りするのに絶好のタイミングだろう。しかし、私は悩んだ挙句、一人東京に残る決断をしてしまった。

一度二人で旅行がてらボストンの下見に行ったのだが、その古めかしく保守的な雰囲気に、どうも馴染める気がしなかったのだ。

憧れのニューヨークならまだしも、東京生活を中断するのも惜しい気持ちが強かったし、何よりも、この流れで駐在妻なり母なりになってしまえば、もう“現実感”に歯止めが効かなくなるのが恐かった。

「2年くらい、あっという間だよ」

亭主関白のカケラもなく、妻のキャリアと意志を尊重するスキルに長けた夫は、嫌な顔一つせず、海の向こうへと飛び立っていった。

思い上がりかも知れないが、もともと真面目で堅実な夫には、浮気などの心配も不思議なほど湧かず、私たちは順調に遠距離生活を始めた。

マメな夫は毎日必ず連絡を欠かさなかったし、2、3日に一度はSkypeやLINE電話で顔を見せ合って話した。

遠距離になっても、私たちは確かに仲良しな夫婦だった。




しかし、一人になると、やはりどうしても時間を持て余すようになった。

幸い仕事は充実していたが、一人の週末がこれほど暇だとは想像もしていなかった。友人もほとんどが結婚していたから、遊べる相手も少ない。

「だったら、たまにはホテルにでも泊まったら?皐月、好きだろ。スパに行ったりして、リフレッシュしてきたらいいよ」

寛大な夫にそんな提案をされ、私はその言葉に甘えることにした。


非日常的な空間で気づいてしまった、孤独


結婚してから、当然だが都内のホテルに泊まることはなくなっていた。たまには、あの至れり尽くせりな優雅な空間に一人で浸かるのも楽しそうだ。

色々と迷った末、私は「フォーシーズンズホテル丸の内 東京」に泊まることにした。

東京駅という近場ながら、このホテルには一度も訪れたことがなかったし、転職してから港区のオフィスで働いているため、久しぶりに丸の内OL気分を味わいたかった。

私はさっそく金曜日に午後休をとり、「フォーシーズンズホテル丸の内 東京」に向かった。




1階にあるロビーに足を踏み入れると、大柄な白人のビジネスマンの集団がまず目に入った。

オフィスビルに囲まれているだけあり、ここは高級ホテル特有の優雅なホスピタリティが香りつつも、洗練されたビジネスライクな雰囲気が漂っている。

一人チェックインを済ませて足を踏み入れた部屋は、無駄な装飾がなくシンプルで、しかしゲストの居心地良さを計算し尽くしたような、上品で落ち着いた部屋だった。

窓の外には東京駅を眺めることができ、色とりどりの電車が何本も行き交っているのが見える。

そして、ルイ・ヴィトンのキャリーケースから荷物をほどき、洋服や化粧品をある程度整理したとき、私はあることに気づいた。

それは、途方もない孤独感だった。

私は急にひどい寂しさに襲われ、涙が零れそうなくらい悲しい気分に陥っていた。

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自分の孤独に気づいてしまった皐月。そんな彼女が出会った“ある男”とは...?

<撮影協力>
フォーシーズンズホテル丸の内 東京
公式HP:http://www.fourseasons.com/jp/tokyo/