超人気の『うんこ漢字ドリル』

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大ヒット中の『うんこ漢字ドリル』。しかし中学受験講師で国語を指導する矢野耕平氏によれば、同書には残念な欠点があり「このドリルでは真の国語運用能力はつかない」という。なぜなのか――。そして、同書の効果的な活用法とは何か?

■「うんこ」で子どもの心をつかみ、260万部

私が20代だったとき、塾講師の先輩にこんなことを言われた。

「男子小学生と仲良くなりたいんだったらさ、その合言葉は『うんこ』と『ち●こ』だぜ」

私は子どもたちを指導する立場であり、彼らとは一線を引いて接するべきだと考えている。だから、友達にならなくてもいいし、今後なるつもりもない。よって、先輩講師の助言を聞き流した。

そんな昔のことをふと思い出したのは、『うんこ漢字ドリル』(文響社)が累計販売260万部(6.16時点)を超える大ヒットだというニュースを耳にしたからだ。ドリル内の書き取り・読み取り問題の一例を挙げてみよう。

「何年もうんこを見せていないなんて親不コウ*だよ」(書き取り)
「うんこ中の(私語)は禁止とする」**(読み取り)

*カタカナ部分の書き取り。同書内では下線付きのひらがなで表記。**(  )内の漢字の読み取り。同書内では「私語」に下線付きで表記。

うんこ漢字ドリルには落とし穴がある!

書き取り・読み取りドリルの文例のなかに、必ず「うんこ」ということばが使用されている(同書の特設サイトによると、3018の例文すべてに「うんこ」ということばが含まれているらしい)。

なるほど。小学生、とりわけ男子にとっては魅力的なドリルである。なにしろ、家の中で「うんこ」と大声で叫んでも親から叱られるどころか、むしろ褒められるのである。なぜなら、それはドリルに夢中になって漢字学習に没頭しているということなのだから。

どちらかといえば「堅苦しい」内容だった従来の漢字ドリルには抵抗感を抱いていた子が、このドリルに喜々として取り組む。子が学ぶ楽しさを味わうきっかけになったケースも多いにちがいない。次作は、男子小学生をさらに虜にする『ちん●慣用句ドリル』などの刊行でシリーズ化を期待したいところだ(たぶん無理でしょうが)。

塾講師の目で見ても、この『うんこ漢字ドリル』はなかなか鋭い発想の賜物であり、随所に工夫が凝らされたレイアウト(「うんこ」のイラストであふれている)を見ても完成度の高いドリルだと感じる。ただし、残念なことに、ある落とし穴があるのだ……。

■セクハラだ、と問題になった大学受験用漢字問題

さて、例文が話題になった漢字ドリルといえば、大学受験用の漢字練習テキスト『生きるセンター 漢字・小説語句』(駿台文庫)が記憶に新しい。例文内容が極めてセクハラ的、女性差別的として問題視され、昨年、販売停止・在庫回収の事態となった。

その問題の例文を一部紹介しよう(カタカナ部の書き取り)。

「彼女のなだらかなキュウリョウをうっとりと眺めた」
「胸のデカさに俺はキョソを失った」
「一定スイジュン以上の女の子しかここには入れないんだよ」
「夫婦間の家事ブンタンなんて幻想だ」

いかがだろうか。これは確かに問題視されても当然の内容だろう。セクハラ的な要素のみならず、男性優位的なマッチョイズムも顔をのぞかせているように思える。しかし、この漢字練習テキストはセクハラ云々以前の問題を抱えていると私は考える。

それは先述した『うんこ漢字ドリル』の落とし穴と同じなのだ。

なぜ、こんなに例文が短いのだろうか?

『うんこ漢字ドリル』『生きるセンター 漢字・小説語句』だけではない。書店にある漢字ドリルの多くが、同じ欠陥を抱えている。それは、登場する漢字(あるいは熟語)の意味を文脈の中で汲み取れない、ということだ。例文を限られたスペースに収める必要があるのかもしれないが、とにかく一文が短すぎる。

『生きるセンター 漢字・小説語句』の例文で説明しよう(カタカナ部の書き取り)。

「彼女のなだらかなキュウリョウをうっとりと眺めた」

解答は「丘陵」である。しかし、この熟語の意味はこの一文を読んだだけではまったく分からない。しかも、この場合の「丘陵」は、女性のボディラインの比喩的に示したものであるからなおさらだ。

では、この書き取り問題を次のような例文に変更してみたらどうだろうか。

「関東平野には台地と山地の中間的性格を持つキュウリョウが多く存在していて、とりわけ多摩地域ではそのなだらかな起伏をいかした住宅地が造成されている」

下ネタ要素を除外したうえで、このような例文に変更すれば、「丘陵」の意味が前後の文脈からイメージ・類推しやすくなるのだ。

■『うんこ漢字ドリル』では本当の力はつかない

続いて『うんこ漢字ドリル』の例文もアレンジしてみよう。

「うんこ中の(私語)は禁止とする」(カッコ内の読み取り)

やはりこの一文だけでは「私語」の意味が皆目見当がつかない。

それでは、このドリルの作成方針である「うんこ縛り」にのっとって、新たな読み取り問題の例文を提示してみよう。

「授業中、先生の話をまったく聞かずに友人と(私語)をかわしていたら、それを見た先生がいかりのあまりうんこを大量にもらしてしまった」

生徒も生徒だが、先生もなかなか困った人である……。それはさておき、「私語」の意味を知らない小学生であっても、この文に目を通すことでぼんやりとでもその意味を見出すことができるのではないか。私は漢文学者の故白川静氏の著作を好んで読むのだが、漢字はその一つひとつに「ストーリー」を背負っている。だからこそ、子どもたちに漢字の「外形」だけを覚えさせる練習をやらせるのは実にもったいないことだと考えている。

加えて言うならば、「うんこ漢字ドリル」に代表される“おもしろドリル”は勉強を始める好機になるかもしれないが、本当の意味での国語運用能力がつくわけではない。

親の「例文提示」で子どもは真の語彙力を身に付ける

先ほど「ぼんやりとその漢字(熟語)の意味を見出す」と申し上げたが、これは漢字や熟語に限った話ではなく、ことば全体に適用できる話である。

あなたはいまどれくらいのことばを知っているだろうか? そして、その中に辞書を引くことで獲得したことばはどれくらいあるだろうか? そう考えたとき、辞書を引いて身に付けたことばは案外少ないことに気づくのではないか。

つまり、血肉化された語彙というものは、周囲の会話内に登場したことばを耳にすることで、あるいは、本の中に繰り返し出てくることばを目にすることで、半ば自然な形で習得していく。よって、短い例文の中で漢字を覚えていくというドリル学習は、そういった自然習得とは真逆の世界にある。

私はこういうドリル学習にこそ、親のサポート、声かけが大切なのだろうと考えている。

つまり、一つの漢字を子が覚えようしているときに、親がその漢字を用いた「少し長めの例文」を複数提示してやることで、子がその漢字の意味を「ぼんやり」と見出していく。それを積み重ねることで、子が「文脈」の中で、確かな語彙力をゆるやかに獲得していけるよう働きかけていく。ことばの面白さ、奥深さを子が体感するように導いていく――。『うんこ漢字ドリル』を片手に、子とそんなコミュニケーションを楽しんでみてはいかがだろうか。

(中学受験専門塾スタジオキャンパス代表 矢野 耕平)