外資系投資銀行でバックオフィスを担う、有希、30歳。

港区の酸いも甘いも知り尽くした彼女に与えられた呼び名は、“港区おじさんコレクター”。

業界のスーパースターである勇人のお気に入りポジションを手に入れ、後一歩を踏み出さずに賢との甘い時間を楽しむ有希。時には慎吾のように銘柄整理も行う。

彼女が月日をかけて育てた港区おじさんとは。




12:00 PM

「ごめんごめん。会議が長引いちゃって。」

有希は階段をあがり、『ローダーデール』のテラス席に腰掛ける。

「いつもの頼んでおいたから。」

トレーニングのアプリ「Nike+Run Club」から目を離さないまま、聡が答える。聡は、前のチームの2個上の先輩だ。年が近いこともあり、気分転換にコーヒーを買いに行ったり、ストレス発散に飲みに行ったりをする仲を8年近く続けている。

2人は毎月お目当ての「あるもの」のためにランチをする。今回は、勇人を紹介してもらったお礼も兼ねて、有希が奢る約束になっていた。

「お待たせ致しました。ビーフバーガーのお客さま。」

店員さんが聡の前にプレートを置こうとすると、

「俺、サラダなんで。」

と遮る。驚いた顔で見つめる有希に目もくれず、相変わらずアプリをいじり続けている。

そもそもこのランチは、お互いハンバーガーが好きなことから始まった。

オフィスの周辺で美味しいお店を探して、毎月ランチに行くのを有希は密かな楽しみにしていた。そのはずなのに、目の前の聡はサラダ・プレートをぱくついている。しかもドレッシングなしで。


空気を読め!こじらせ男子の独りよがり。


前からジムでのトレーニングにはまっていた聡だが、トライアスロンの試合を控えて、ますますトレーニング・オタク具合に拍車がかかっている。

「頼む前に言ってよ」という言葉をアイスティーで流し込み、有希は目の前のハンバーガーに目を落した。異動してしまった有希からすれば、聡に会えるのであれば別にハンバーガーでなくても良かったのだ。

男性も女性も独身でいる期間が長くなると、自分の生活スタイルができあがる。聡も以前に比べて少しずつ話す内容が「俺」中心の話になってきた。

男女が一緒にいるのは、1+1が2になるのではなく、1+1が1になる作業。1+1が3や4になるのは綺麗ごとで、時には相手に妥協して自分が0.3や0.4になることもある。それが許容できないのであれば、パートナーなんてできやしない。

そんな完成された独身男・聡を目前に、有希はある男性のことを思い浮かべていた。


平成の源氏物語?有希が育てる港区おじさんとは?



平安時代中期に執筆された源氏物語の中に、光源氏が紫の上を見て、初恋の相手の生き写しだと感じる一節がある。

そこまでではないが、和夫と出会った時、有希は自分の初恋の相手にどことなく似ていると思った。

まだ有希が遊び盛りなメンバーと毎週金曜日、六本木を我が物顔で歩いていた4年前。広告代理店の直哉から急遽クライアントとの接待に顔を出して欲しいと携帯に連絡が入った。

二つ返事でミッドタウンの向かいにある高級カラオケ店に向かうと、そこには無残な光景が広がっていた。

「それじゃあ、田中が飲みまーす!」

大の大人が1人の男性を取り囲んで、お酒を勧めていた。いや、強制的に飲ませていると言った方が適切な表現かもしれない。その中では一番後輩であるはずの直哉までゲラゲラ笑っている姿を見て、有希は思わず「ひいっ」と小さな悲鳴をあげた。

むせ返りながらその輪の中でお酒を飲まされ続けていたのが、和夫だった。

【港区おじさんコレクションぁ
名前:田中和夫
年齢:41歳
職業:広告代理店勤務




救世主・有希と可哀想な港区おじさん


今では随分と大人しくなった広告代理店だが、「結婚式の光景はSNSへの投稿禁止」「上司も交えて王様ゲーム」「シャンパンをボトルで一気飲み」といつまでたっても噂は絶えないスキャンダラスな業界だ。

仲間うちでも豪快にお酒を飲み、悪ふざけが多い直哉だったが、まさか上司や先輩までもがそうだとは、有希も想像しなかった。咄嗟におしぼりタオルを2つ重ねて、有希はこっそり和夫に手渡した。

「飲んだふりして、こっそりタオルに吐き出して。店員さんに後で渡しますから。」

すがるような目で見てきた和夫に、有希はひと回りも違う男性に対して、「可哀想」という感情を抱いた。

「はい。焼酎水割り。濃い目に作ったから!ぐっと飲んで!」

有希は和夫に透明の液体と氷が入ったコップを渡すと、周囲から歓喜の声が上がった。

「有希ちゃん、いいねー。ほら、田中飲めよ。」

また不安そうになった和夫が、コップに口をつけ、ぐっと飲み干した。その後、会が終わるまで有希は和夫の隣を離れず、飲み物を渡し続けた。もちろん中身は焼酎とみせかけた水だった。



―有希さんのお陰で、二日酔いにならずに済みました。ありがとうございます。 和夫

次の日届いたメッセージに、有希は「なんて頼りない男性なんだ」と呆れた。

それでも放っておけない気がした有希は、和夫を自分から食事に誘った。すると「僕が、有希さんと食事に行くなんて何かの冗談ですか。からかわないで下さい。」と返信が来て、その場でずっこけそうになったのを今でも覚えている。


良くできました、二重丸!4年間の成果が見えた時


―ごめんね。10分くらい遅れます。 和夫

和夫からの呼び出しで、『サロットカンティコ』に来た。赤坂見附駅からほど近い紀尾井町ガーデンテラスは、すっきりした店舗のレイアウトとゆったりとした通路のおかげで、のんびりとした時間を過ごすことができる場所だ。

シガーとワインが並ぶセラーの廊下を抜け、夜景が見える個室に入ると、

「田中様から、遅れるのでお詫びとのことです。」

グラスのスプマンテが差し出された。

―すっかりジェントルマンに成長しちゃって。

出会った頃の和夫は、仕事のために有希をレストランで30分以上も一人で待たせたり、お店が予約ができていなかったり、テーブルマナーも知らなかったりと絵に描いたようなモテない男性だった。




大逆転。底辺から頂点へ。そして別れ。


「何かあったの?」

有希がプレゼントしたネクタイを着けて現れた和夫を見て、思わず問いかけた。和夫が気合を入れる日にこのネクタイをつけるのを知っていたからだ。

「話したいことがあったから。」

どこか硬い表情だ。何か真剣な相談事でもあるのかと思っていると、

「僕、結婚するんだ。」

搾り出したような小さな声で和夫が切り出した。一瞬空耳かと思ったが、

「おめでとう。」

有希は微笑む。港区を歩いても、もう誰からも馬鹿にされないような素敵な男性に育った和夫が、今にも泣き出しそうな顔で有希を見つめている。

和夫からの恋心には気付いていた。4年前の高級カラオケ店で和夫を助けてからずっと。

「そんな顔しないで。幸せになってね。」



車寄せにタクシーが滑り込み、一歩前に進もうとする有希はふいに後ろに引き戻された。抱きしめられているのだと気付く前に、和夫はもう有希から離れていた。たった数秒のできごとだった。

ふと後ろを振り返ると、和夫は有希に背中を向け、今にも崩れ落ちそうに肩を震わせていた。このまま引き返して和夫の背中を抱きしめてあげることも、「結婚しても会えるよ」と慰めることもできた。

でも、有希はじっと和夫を眺めると、

―ありがとう。

小さな声で呟いてタクシーに乗り込んだ。ふとカバンの中に見知らぬ箱があることに気付いた。

箱を開くと、中には花びらをジュエリーで表現したミキモトの「Les Pétales de Ginza」のブレスレット。立派に門出した和夫の4年間を思い浮かべながら、有希は甘酸っぱい想いが広がるのを感じた。


有希の脳内評価:★★★★★(5つ星中5つ星)


・過去最高水準の育成結果。窮地を救ったという心理効果が高じて、素直で従順な受け入れ態勢となったと考えられる。ただし、次回ポートフォリオに組み入れる育成型男性はもう少し短期間での成長を期待したい。
・遅刻時の配慮、店のセレクション、最後のプレゼントは素晴らしい演出。ただし、最後の泣き顔は減点ポイント。
・ポートフォリオから外すのは回避したい。新婚生活を終えて時期を見てから、再度コンタクトを試みる。

▶︎NEXT:6月23日金曜日更新

【これまでの港区おじさんコレクション】
Vol.1:港区おじさんを「コレクション」しポートフォリオを組む女、現る
Vol.2:バッグは新作なのに、男は中古品?港区女子と港区おじさんの関係。その矛盾
Vol.3:ボロボロになった私を、仕事で救ってくれた港区おじさん