キューバ西部ピナルデルリオの元HIV感染者療養所を家として暮らすAIDS患者のゲルソン・ゴベアさんの妻(2017年4月20日撮影)。(c)AFP=時事/AFPBB News

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【AFP=時事】パンクスの若者の多くがそうであるように、キューバ人ロック演奏家のゲルソン・ゴベア(Gerson Govea)さん(42)も若い頃、自分のことを「はみ出し者」だと感じていた。だが、彼ほど自滅的な役割を引き受けた人間はほとんどいないだろう。ゴベアさんは自分からわざと、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染したのだ。

 共産主義を掲げるキューバでは、この島国では珍しいヒッピーやパンクスのことを「フリキス」と呼ぶ。英語の「フリークス」(変わり者)をスペイン語風にした言葉だ。そのフリキスの中でもゴベアさんは、最もハードコアな脱落者組の最後の一人だと思われている。

 フリキスの反逆は、ラム酒や自由恋愛、キューバで禁止されているロック音楽にとどまらなかった。彼らは比較的安全で居心地の良い国立のAIDS(エイズ、後天性免疫不全症候群)診療所に入るために自分たちからすすんでHIVに感染したのだ。「(感染した)自身の血液をくれる友達を見つけてね」「それを自分で抜き取って自分で注射したんだ」と長髪、イヤリング、タトゥー姿のゴベアさんは言う。

 それは17年前のことだ。以来、友人たちがAIDSで亡くなるのを見てきた。妻(44)も同じくAIDSのせいで両脚を失った。ゴベアさん自身はまだ立てるが、弱くなった体を抱えて中年期にさしかかっている。

■AIDS診療所は「最高の場所」

 公園で寝泊まりし、音楽を聞き、薬物を使用する。世界の多くの都市で、フリキスのような若者たちはそれほど珍しい存在ではなかったかもしれない。だが、冷戦(Cold War)時代にはロックは違法で、ドラッグの使用は非常に厳しく取り締まられていた共産主義国キューバでは、彼らの生き方は特に大胆な意思表示だった。

 首都ハバナ(Havana)のAIDS患者療養所の所長だったホルヘ・ペレス(Jorge Perez)医師は、フリキスについて「彼らは、女性、男性、食べ物、薬、何でも共有していた」と語った。

 1991年に同盟関係のソビエト連邦が崩壊するとキューバは貧困に陥り、同時にAIDSがまん延するようになった。

 そうした状況の中で国立のAIDS診療所は安息の場所だった。「彼らにとって(国立のAIDS診療所は)可能な限り最高の場所だった」と政府認定の音楽機関キューバン・ロック・エージェンシー(Cuban Rock Agency)のマリア・ガットルノ(Maria Gattorno)氏は語り、さらに、「(国立のAIDS診療所では)何でも保証されていた。薬とおいしい食事があって、面倒もみてくれた」と話した。

 ゴベアさんは、診療所に入り、フリキスであるために警察から受ける嫌がらせを避けるたに、自分から感染することを選んだと言う。仲間の中には、既に感染している「好きな相手と一緒にいたいがために」自分から感染した人たちもいると言う。

■感染したフリキスたち

 キューバ政府によると同国では1986年から2015年の間に3800人以上がAIDSで死亡している。また最新の統計では約2万人のHIV感染者がいる。

 一方、キューバに一体何人のフリキスたちがいて、その中の何人が自らHIVに感染したのかは分からない。

 ガットルノ氏は、AIDSの治療法がすぐに見つかるだろうと考えていた自分でHIVに感染したフリキスたちについて、「判断を誤った」と見なしており、「彼らは療養所に入ったが当然、多くはあっという間に死んでしまった」と語った。ガットルノ氏はそうしたフリキスのアドバイス役となり、リハーサル場所を見つけたり、療養所でのギグをアレンジしたりした。

 ゴベアさん自身も診療所でバンドを結成したが、彼らは病気のせいで人前で演奏することがかなわなかった。「1人が具合がいいときには、別の誰かが不調でベッドにいる。不調でベッドにいるということは、つまり死にそうだということだ」とゴベアさんは話した。

■フリーキーであり続ける

 抗レトロウイルス薬によって、HIVの活動は抑えられるようになった。キューバの隔離診療所は1994年に閉鎖された。だが、ゴベアさんと車いすに乗った妻は今もキューバ島(本島)西部ピナルデルリオ(Pinar del Río)にある、かつて療養所だった建物に住んでいる。2人が2000年に出会ったのもここだ。生計は国からの少額の手当と、マニキュア製品を売って立てている。

 時間があるときには夫婦そろって近所に出かけ、若いロッカーたちと歌ったり、頭を激しく振って踊ったりして「フリーキー」に楽しんでいる。家はセックス・ピストルズ(Sex Pistols)やラモーンズ(The Ramones)といったパンクバンドのポスターで埋め尽くされている。

 この場所に住み続けることをキューバ政府は認めており、医薬品も無料で与えられている。療養所勤務に関する著作のあるペレス医師は「彼らは療養所の中の方がうまく生きていた。そして、出ていくことを恐れていた」と話した。
【翻訳編集】AFPBB News