34歳で「子どもがほしい病」に陥り、40歳で不妊治療をやめ、現在45歳となったコラムニストでイラストレーターの吉田潮(よしだ・うしお)さん。

今年2月に掲載して大きな反響のあったコラムをきっかけに新連載がスタート。「産まない人生」を選択することにした吉田さんが、「オンナの欲望」に振り回されっぱなしだったという30代を振り返り、今思うこととは?

「人生ゲーム」はシングルライダー

人生ゲーム。誰もが知っているボードゲームの名作だが、知らない人のためにちょっと解説。コマがプラスチックの車になっていて、穴が8つ空いている。人は頭に球体がついた棒で表現されていて、プレイヤーは自分を表す棒を1本刺してスタートする。

ルーレットで出た数だけ進んで、人生を体験していく、いわゆる「すごろく」なのだが、ボード上のあちこちに「結婚する」「子供が生まれる」という項目がある。そこに止まると、他のプレイヤーからご祝儀がもらえて、棒が増えていく。中には子だくさんになりすぎて、車から棒があふれ出す人もいる。

私の記憶では、人生ゲームでも子供を産んだ記憶がない。いつもポツンとシングルライダーか、結婚しても離婚が待っていた。案外ルーレット運がよくて、7〜10を出すことも多く、一番乗りで上がることも多かったが、子供があふれたことはなかった。人生ゲームですらそうか、と今になって思う。

子供が苦手で、欲しいと思ったことが一度もなかった20代。セックスは快楽のためにある行為で、妊娠しないよう低用量ピルを愛用していた。「マーベロン」というピルを輸入サイトで入手し、ずっと飲んでいた。

生理が面倒くさいなと思うときは、連続で飲み続けて、3か月に1回だけ生理を起こすなど、トリッキーかつテクニカルなこともしていた。正直、生理は無駄だと思っていた。子供を産むために毎月出血して、気分も悪くて、おなかも痛くて。早くなくなればいいと思っていた。
 
そんな私が、なぜ突然子供が欲しいと思ったのか。何がきっかけだったのか、実は日記を読み返しても定かではない。ただし、2006年9月には、子供について話し合っていると書いてある。妊娠したい気持ちが高ぶってる様子が雑に書き殴ってあった。

人生ゲームですら子供を持てず、ピルでがっつり避妊していたのに、この急展開の源はいったい何だったのか。当時34歳の私に、何が起こったのだろうか。

私の不埒でやましい理由

子供が欲しいと思った理由は、ただひとつ。付き合っている男との物理的な証だと思う。母になりたい、子供を育てたい、なんて成熟した気持ちではなかった。ただただ、男と私をつなぎとめる「ボンド」が欲しかったのだ。

ボンド(bond)は「絆」「結びつき」と訳すけれど、そもそもは家畜を縛り付けておくための拘束という意味だったらしい。ボンデージ(bondage)は、行動の自由の束縛、屈従、とらわれの身、奴隷の身分だそう。

そう、私は彼を束縛したかった。そのために子供が欲しかった。愛情の終着駅のようでエエ話に聞こえがちな「子供が欲しい」は、単なる道具というか手段だったのだ。

やましいし、不埒な理由である。「そんな気持ちで子供が欲しいなんて!」と思われるかもしれない。でも、煮え切らない男を次のステップへ連行するには、妊娠が最適と思ったのだ。当時の日記をいくら読み見返しても、その他の理由は見つからない。

でも、世の中の女性たちはどういう理由で子供が欲しいと考えるのだろうか。

そんなに純粋な気持ちで挑んでいるわけじゃないと思うのだ。うっかりできちゃった婚も多いし、誰もが計画的に妊娠して出産しているわけでもない。子供を産むことがステイタスと考えている人もいるかもしれないし、女としての証と考えている人もいるだろう。浮気がちな夫を繋ぎとめるために妊娠を目論む人だっているだろうし、不倫相手を妻から奪いとるために虎視眈々と妊娠を計画する女だっている。

「子供が欲しい」は、実は心の病

子供が欲しいというのは、実は一種の「心の病」ではないか。

現状の不安や鬱屈から逃げたい一心で、子供が欲しいと思ったりするのではないか。子供のイメージって、けがれのない純粋無垢なもの、心が洗われるもの、生き物としての成熟の証、みたいなところがある。そこにすがりたくなってしまうのではないか。

30歳になったばかりの知人女性が「彼氏はいらないけど子供が欲しい」と言っていたので、理由を聞いてみたところ、思いがけない言葉が返ってきた。

「もう自分にかまうのに飽きたんです。子供ができれば気が紛れるというか、自分どころではなくなると思って」

子育て真っ最中の女性からすれば「ふざけんな!」と思うかもしれない。でも、彼女の気持ちもちょっとわかる。欲望や願望がたくさんありすぎる自分を持て余しているので、強制的に何かに縛られたいのだろう。有り余る自己愛を自分以外の誰かに注ぎたいのだろう。男に向けたいけれど、そう思える相手がいない。それで子供が欲しい、というワケだ。

自分勝手な考えだと非難されても仕方がない。でも自分の人生が停滞期に入ったと感じたとき、人は突飛な現実逃避をしたがるもの。

私も自分の実力で男を繋ぎとめることができずに、妊娠を目論んだのである。

言わない空気、言えない配慮

今思うと、あの頃は不安定だった。

自分勝手に子供が欲しいと思い始めて、猪突猛進に生活を変えていく。完全に視野狭窄だったと思う。そして、彼はその気持ちに応えようとしていたにもかかわらず、私の速度が速すぎて追いつけない状態にあった。種馬のように求め続けられ、疲れがとれない。うまくいくはずがない。3年近く付き合ったのだが、歩く速度があまりに違いすぎて、別れることになったのだ。

ここで、子供が欲しいという病がいったん治る。2008年、36歳だった。不思議なもので、他の男性と付き合っても、子供が欲しいとは一切思わなかった。

やはり子供が欲しいという病を突き詰めてみると、「この男を繋ぎとめたい」だったのだ。本当に子供が欲しくて、子供を産みたい・育てたいという欲求ではなかった。意図せず妊娠して子供を産んだ人でも、根底は同じかもしれない。真剣に子供が欲しい、育てたい、子孫繁栄したい、と思って子供を産んでいる人はどれくらいいるだろうか。

でも日本の社会においては、そんな微妙なニュアンスは許されないというか、認められない。「女は子供を産むのが当たり前」という考え方が広くあまねく蔓延っている。

先月6日付けの東京新聞で「生涯未婚率は必要?」という記事があった。生涯未婚率とは、50歳までに一度も結婚したことのない人の割合を示す数字だ。この数字は時代遅れで、不要ではないかという議論である。

記事によれば、「出生数にかかわる指標のひとつで、厚労省は女性の出産可能年齢を15〜49歳としているため、一人の女性が出産に寄与したかどうかを知るうえで、50歳時点での未婚率を取っている、と説明する。つまり結婚よりも出産に重きを置いた調査なのだ」とある。50歳で生涯と決めつけるのもおかしな話だし、「出産に寄与したかどうか」という文言もショックだ。寄与って。産めよ増やせよの時代の話かよ、と。

それでも女性たちは脅迫され続ける。結婚しろ、子供を産め、と。ホントは夫も子供も欲しくなくて、ひとりで気ままに生きていきたい人も、その意志を表明しにくくなっている。言えない空気、言わない配慮。それが日本の土壌だ。

(吉田潮)