世良公則&ROLLY対談:ツイストの名曲から70年代ロック黎明期を振り返る

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70年代日本のロックシーンが生み出した不動の名曲たちを臆することなくROLLY独自の解釈で甦らせた、カヴァー・アルバム『ROLLY釻S ROCK THEATER 〜70年代の日本のロックがROLLYに与えた偉大なる影響とその光と影〜』。

2016年のリリースから約1年が経過した今でもその挑戦はいまだ色褪せず、ライヴの様子を収めた2枚組のライヴ盤『ROLLY COMES ALIVE!』は反響を呼び、さらに4月には今年デビュー40周年を迎えた世良公則が名曲『燃えろいい女』を含む新旧の楽曲をROLLYとライヴでコラボレーションするという、当時からのロックファンには目の離せない展開を見せ続けている。
世良がツイストで活躍していた70年代、ROLLYはまだ中学生だった。そんな2人を結ぶのはやはり当時のジャパニーズロックムーヴメントであり、その記憶はプレイヤー、リスナーとして形は違えど双方の感性に大きな影響をもたらしたという。そんな当時の音楽シーンについてツイストの名曲『あんたのバラード』を起点に語り合った1時間。また、『燃えろいい女』のカヴァーからはじまったという2人の関係性についても話を聞いた。
 
―昨年リリースされたカヴァー・アルバムは選曲からアレンジまですごく秀逸で当時のロックファンにはたまらない作品ですね。これらはROLLYさん自身が聴いて育ってきた音楽だと思うのですが、そこには当然のように、ここにいる世良公則さんのバンドゥ張ぅ好琵イ龍覆睚造鵑任い董先日ライヴでも世良さんとは共演されたということで今となってはお互いに近しい存在だと思うのですが、当時はツイストの曲をどのように聴いていたんですか?
 
ROLLY(以下 R):僕が世良さんのことを初めて知ったのは、多分1977年。かまやつひろしさんが大阪でやっていらしたゥ魯蹇璽筌鵐哀櫂奪廛骨イ箸いθ崛箸鮓て。
 
世良公則(以下 S):ハロヤンね。
 
R:そう、ハロヤン。確か土曜の夜にやっていたんですけど、毎週アマチュアバンドが2バンド出てきて対決するコーナーがあって、そこにゲストで世良公則&ツイストが出ていたんです。その時の曲が『あんたのバラード』だったんですけどゥ疋鵐張僉璽鵐疋鵐丱鵐丱鵐張僖疋鵐僉璽鵝 あんたに〜!イ辰討いΔ△僚个世靴離離蠅肇メがあまりすごかったので、月曜に学校でゥ魯蹈筌鷂た?ジた見た! すごいバンドが登場した!イ辰届誕蠅砲覆辰燭箸いΑ世界歌謡祭(77年に世良公則&ツイストが出場し、グランプリを受賞した歌謡曲コンテスト)はその前でした? 後?
 
S:世界歌謡祭はデビュー前だね。でも、ひょっとしたら大阪の人はプロになる前に観てるかもしれない。世界歌謡祭に出る前にヤマハポピュラーソングコンテスト、いわゆるゥ櫂廛灰龕イ罵ゾ,靴董当時まだアマチュアだったんだけどポプコンのグランプリってことで関西の音楽番組とかにはちょこちょこ出てたから。
 
R:じゃあきっと、その貴重なものを見たんでしょうね、僕は。

―ということは、『あんたのバラード』はデビュー前からあった曲だったんですね。
 
S:そうだね。
 
―ROLLYさんが痺れたというその出だし、しかも歌詞の始まりがイ△鵑燭万イ辰討いΔ里漏里に度肝を抜かれました。
 
R:僕、ロックっていうのは度肝を抜くようなものじゃないと嫌なんです。特にヴォーカリストは人それぞれ表現の方法が違っていて、それこそ100人いたら100通りあるけど、その中でも今まで見たことがないようなものに惹かれる。そういう意味で、世良さんには一発で惹かれました。さらに、ヴォーカリストは誰よりも口がでかくて頭から丸呑みされそうな迫力とパワーと爽快感が必要だと思うんです。ただ、その爽快感の部分は人によっては違っていて、例えばフラワー・トラベリン・バンドのジョー山中さんのような妖しい感じとか人それぞれの個性があるけど、みんなに共通しているのは観る者の度肝を抜いてくれるところなんですよね。最近では若干自分もおじさん化してきて、とうとうズ廼瓩亮磴ぜ圓蓮ΑΑイ箸言うようになってきてしまったのですが(笑)、最近のミュージシャンは度肝を抜く感じというか・・・