愚かさとは何か、考えて見ましょう。

 例えば、家を新築して災害保険に加入したとしましょう。そして1年経った。特段何事もなく、翌年の家計を家族会議で相談しているとします。

 「いろいろ出物もあったから、がま口を引き締めて考えたい。ついては、火事とかは火の元を気をつけたりすれば起きないダロウから、保険加入はやめることにしよう。意味がない」

 そこで無保険の状態になったと思ったら、突然地震が襲ってきて、せっかくの新居がガタガタに。もちろん保険はなく・・・。

 実は、こんな状態を引き起こそうとしているのが、2018年米国予算教書(Budget Message of the President 2017.10-2018.9)で、5月末にその概要が発表されてから様々な波紋を投げかけているのは周知のとおりでしょう。

 一言で言えば、末期的な企業経営における赤字削減のような性格が強い。

 10年で3兆6000億ドルの歳出削減に取り組み、貧困層保護や開発援助、環境対策、基礎科学研究などの予算が大幅に削られる一方、軍事費などは大幅増額を提示しています。

 例えばODA(政府開発援助)。国際開発庁を含む国務省予算は28%の大幅減、約375億ドルに対して、国防予算は約10%、540億ドル増額して6030億ドル、日本円にして約68兆円規模。

 国防、治安維持、交通、退役軍人対策費などが各々10%程度増額される以外は、軒並み大幅の減額が提案されています。

 具体的に項目を列挙してみると、教育研究開発(Education)、通商産業(Commerce)、労働対策(Labor)、都市住環境(Uran Development)、ヘルスケア(Health and Human Service)、農業(Agriculture)、環境(Environment Protection)・・・といった項目は軒並み10〜30%近く削減。

 当然ながら民主・共和両党から、大きな反発が出ており、個別の項目については議会をそのとおりに通過するとは限りませんが、大枠、このような方向性にあることは間違いないでしょう。

 ここで3歩下がって改めて考えて見たいのです。この「損切り予算案」、トランプ“恐書”は何がいけないのか?

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「かもしれない」運転から「だろう」運転へ

 簡単に言えば、米国という国が長続きしなさそうである、国を滅ぼすリスク、つまり亡国の現実的な可能性が低くない。持続的(Sustainable)でないというのが、国際社会が現在の米国を憂慮する、端的なポイントと言っていいと私は思います。

 軍事・警察・退役者の厚遇はしっかり守る。これをもって「強い米国を取り戻す」という、見るからにシンプルなセールスポイントが増額されますが、以下やや誇張して列挙すると、

教育・・・ 最低限の読み書きができればよい → 未知のリスク対処力低下
研究・・・ いまある程度の基礎で十分    → 未踏のイノベーション不可能
通商・・・ そこそこ回っていればいいでしょ → 流通・経済のリスク野放し

労働・・・ そんなものは経営の埒外     → ブラック企業ならぬ黒色国家化
健康・・・ ほっといてもどうにかなるよ   → 中流層以下で生命に影響
農業・・・ 適当に生えてくりゃいいでしょ  → 国際バランスの視野など全欠如

環境・・・ 湯も水も酸素も森も海も使い放題 → 高度成長期並みの環境破壊も平気

 という、およそ人類が地球環境の中で長期持続的に発展存続しそうな重要ポイントを軒並み軽視、ないし無視、もっと言えば愚弄〜侮辱するレベルのものだと憤る人も少なくありません。

 よく分からないけど、素人目でちょっと見て、大丈夫そうだ、というところは、軒並みケアを外して「無駄を省いていい経営だ・・・」などと悦に入っている、二世三世のバカ社長、もとい、若社長のような了見を見るのは、決して少数ではないでしょう。

 車の免許の書き換えなどで「だろう」運転から「かもしれない」運転へ、という標語を目や耳にされた方は少なくないと思います。

 「見通しの悪い交差点に進入するけれど、どうせ誰もいないだろう

 ではなく

 「見通しの悪い交差点の四角では、その先に高齢者が立っているかもしれないし、子供がボール遊びをしているかもしれない

 という、見えないリスクの可能性を予測し、未然に安全を確保しながらハンドルを握りましょう、というのがその意味で。「だろう」型のリスク軽視では、とてもではありませんが「想定の範囲外」のハザードが襲ってきたとき、対処のしようがありません。

 泥棒がやって来てから縄を綯っていたのでは遅いのです。未然に、危機がある「かもしれない」と慎重果敢に事前の対策を打ちながら、5年10年とできる限りリスクを回避して、もし危ない兆候があれば早期に発見、対策を打って、長くサステイナブルな国際社会を作っていきましょう。

 そのような機運が高まっていた最中、悪い冗談のように誕生してしまったのがドナルド・トランプ政権、いや、トラップ政権と呼ぶのがふさわしいかもしれません。

 先日のパリ協定離脱は、

 「地球温暖化なんて本当に起きるか分からないし(実際起きていますが)環境科学なんて都合の悪いデータが出てくるようなら、もみ消してしまえばよい(ポスト・トゥルース)。中国を筆頭に各国は何の責任も取っていないじゃないか。米国だけに負担を求めるなんて不平等だ(米国は1人当たりの環境負荷が世界ダントツ1位ですが)」

 という、幼稚園児並みのやりたい放題、結局、大人の賢慮を持った各国が、現実的な対策を協議しているわけです。

「もしかしたら、本当にバカなのかもしれない」
各国の静かなどよめき

 日本では国際社会のルールや国際機関の位置づけがまともに理解されていないようです。例えば、国連の特別報告者(special rapporteur)とは国際連合人権理事会から任命され、特定の国の人権問題状況について調査や報告、場合により監視や勧告を行う無給の専門家で「独立専門家(independent expert)」とも呼ばれ、人権委員会はもとより国連事務総長とも各国の思惑にも左右されず、また利害による偏向、お友達への利益供与などがないよう。職務に関して金銭的報酬を受けません。

 この1週間ほどだけでも、デイビッド・ケイ(David Kaye)カリフォルニア大学アーバイン校教授(国際人権法、国際人道法)、ジョセフ・キャナタッチ(Joseph Cannataci)マルタ大学教授(IT法)など特別報告者の名前が、基本的な国際常識とかけ離れた形の日本語で取り沙汰されるのを目にしましたので、一応念のため記しておきます。

 例えば、国連から委嘱を受けて、東京大学のI先生が何らかのアクションを取ったとしましょう。例えば講演を委嘱されるとして、交通費や宿泊、日当相当の費用は用意、負担があります。しかし講演そのものは無報酬で行います。

 「なんでそんなこと、タダでやるの?」

 と理解されないことも少なくありませんが、それが国際知識人のオブリージュ、道義的責任ということで、この20年来、私が国内外で手がけてきた学術外交のすべては無報酬ないし自腹を切って行う場合も少なくありません。

 利害関係がないから公正とみなされ、信頼が確かなものとなりパートナーシップが永続します。給料や基本的な諸費用は国際機関や大学が持ちますが、動き自体は「公務」に編入され、エキストラの報酬は発生しません。

 学会の会長や役員、大会の主催、論文誌の査読や指導添削・・・少なくとも私が関わるこうしたものについてはすべて手弁当で基本、俸給は出ません。

 もし利害で手がけるなら、それで査読結果が左右されたりするリスクを免れないでしょう。そういう善意の公正性で成立している社会、何でも銭勘定というものの見方からは、決して理解され得ないと思います。しかし、そういう高い志があって、成立している水準があります。

 これは、今まさに問題になっている、米国のロシアゲート調査を考えると分かりやすいでしょう。

 2017年5月17日、米国司法省はジェームズ・コミー氏の罷免とロシア・ゲート疑惑についてロバート・モラー(Robert Swan Mueller II )(1944-) 前FBI長官(2001-2013)を特別捜査官(special counsel)に任命しました。

 特別捜査官は別名特別検察官(special prosecutor)あるいは独立法曹捜査官(independent counsel)とも呼ばれ、とりわけ在職中の大統領(sitting President)ないし司法長官(Attorney general)を被疑者とする不正、犯罪、疑惑などの捜査の必要が生じた場合、第三者性を持って公正に検察活動が進むよう、大統領や司法長官と指揮系統的に完全に独立していなければ意味がありません。

 私が在職している大学の中で、ある不祥事がありました。その調査の必要が出たとき、ルールでは第三者委員会を立ち上げねばならないのですが、目配せの利く身近なメンバーだけで特別委員会を作り、抹消しようとする試みがありました。

 しかし、その試みはあえなく費え、責任を問われる方向に流れていきました。世の中はそのように動いて当然です。独立性のない調査や操作に、公正を期待することなどありません。

 寡聞にして、大統領を捜査対象とするモラー特別検察官の俸給がどのように独立性を保障されているのか、詳細を認識していません。

 しかし、一国の根幹に関わることで、俸給の多寡がどうこうという話ではなく、ノブレス・オブリージュ、つまり前FBI長官として、FBIの独立性が危機にさらされたという「長官への大統領忠誠の強要疑惑」などを徹底して調査せねばならない、道義的倫理的義務を、社会全体に対してモラー氏は追っていることになります。

 ちなみに、国連の「独立調査官」を「あれは国連事務総長とも、加盟国の総意とも無関係に<個人が勝手にやっていること>と、あろうことか政府の極めて責任ある立場にある人がメディアで口走り、国際的な関係者の多くがまず「?」となり、次に「本当に、バカなのではないか」という静かな疑念とどよめきが生まれました。この旬日の動きです。

国連とSDGs・・・團藤思想の今日的展開

 国連は2016年1月1日から「SDGs(Sustainable Development GoalS」という持続的発展目標を掲げており、私は故・團藤重光教授の思想と行動を大切に、大学教員としての公務ではこれに関わる問題を扱っています。

 次回は東京大学のスタッフとして伊東研のSDGs展開にも触れたいと思いますが。一言で言うとトランプ2018年予算恐書は SDGsを軒並み踏みにじるような予算方針を打ち出しており、国連加盟国全体を敵に回すようなパフォーマンスが断続、パリ協定離脱もその1つとして。皆からあきれられ諦められているというのが実情と思います。

 「もしかしたら、本当にバカなのかもしれない」

 ちなみに、全くの私信ですが、トランプ大統領が「特別検察官の解任検討か?」という報道をめぐって、海外のある友人から先ほどメールを受け取りました。

 申すまでもないことですが、モラー特別検察官の解任を、被疑者であるトランプ大統領が決定することはできません。

 ルパン契い銭形警部を更迭できるわけがない。あまりに当たり前のことです。それがもし分かっていないとしたら、相当に頭のねじが緩んでいる。とてもではないが超大国を統治運営していく判断力があるなどと見なすことはできない。

 モラー特別検察官を任命したのはロッド・ローゼンシュタイン司法副長官で、ローゼンシュタイン自身がそうそうにコメントを出しています。

 セッションズ司法長官はトランプ大統領から任命されているので、トランプ大統領の捜査には関与しません。長官の自己忌避によって、ロシア・ゲートとFBI独立性疑惑の捜査指揮はローゼンシュタイン副司法長官に一任され、政治任用の埒外に置かれます。

 要するに、事務次官が内閣の「政治主導」の不正疑惑と独立して、政権そのものの不正を正すというもので、どこかの国にも制度が必要だった可能性を冷静に思います。

 そして、前回詳しく記したとおり、ほかならぬジェームズ・コミー氏自身が、ジョージ・W・ブッシュ政権下で大量破壊兵器情報操作のプレイム・ゲート事件で、ジョン・アシュクロフト司法長官が自己忌避した状態で捜査の総指揮を採った事務次官=副司法長官その人です。

 当時のコミー次官は盟友のパトリック・フィッツジェラルド現連邦イリノイ州検事を独立検察官に任命、ブッシュ元大統領もチェイニー元副大統領もさすがにこれを罷免などと口にすることはなく、捜査は粛々と進められました。

 「独立検察官」を「解任」検討・・・。

 一瞬でもそんなことが脳裏をよぎったとすれば、それは緩み切ったCEO(最高経営責任者)体質でそんな思考しかできない人物が、間違って票を得てしまった不幸としか言いようがありません。

 万が一そんな低見識を周囲に漏らすようなことがあれば、その時点で国事の判断能力がないと断定される水準と見切っています。

 弁護士のマイク・ペンス政権では、いま大量空席の連邦公職が少しは埋まるだろうか・・・。

 通常2月に出る予算教書を、素人が升目だけ埋めるのに余計に3か月かかった、あの枠組みで、本当に国を壊してしまうのだろうか・・・。

 国際機関のプロフェッショナルは本気で心配し、持続的な対策を取り始めているのが2017年6月の裏表ない現実と思います。

筆者:伊東 乾