自分自身のなかに潜む“怪物”との闘いーー『怪物はささやく』は大人たちにも希望をもたらす

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 「ダークファンタジー」と「『パンズ・ラビリンス』の製作スタッフが映画化」ーー最初はこのふたつのキャッチフレーズが自分の中で引っかかって、『怪物はささやく』を観ようと思った。「映画を観るまえに原作も読んでみよう」と、何気なく本を手に取ったら次々にページをめくって、感動が止まらなかった。小説を読みながら疲れるほど泣くのは初めてだったかもしれない。そして、映画館でも鼻をすする音が絶えず響いていた。

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 基本的にわたしは「涙が止まらない」といった映画を好まない。それにもかかわらず、今回映画館に足を運ばずにいられなかった。そして、映画館を出たら『怪物はささやく』という作品に出会えてよかったな、と心の底から思った。原作が児童書とはいえ、大人たちにも希望を与える力を持つ、これだけ強く心に響く映画を観られて実に気持ちよかったのだ。

■真実を追求する物語

 小説『怪物はささやく』は、故シヴォーン・ダウドの原案から生まれた物語だ。それを小説化したパトリック・ネスは、カーネギー賞とケイト・グリーナウェイ賞をダブル受賞し、世界中で好評を得た。映画版でも著者であるパトリック・ネス自身が脚本を担当し、原作のイラストレーターであるジム・ケイが映画でも怪物の創造を手がけている。

 『怪物はささやく』の主人公は、13歳の少年コナーだ。ある夜、難病の母と暮らしている彼の前に怪物が現れる。「これから3つの物語を語るが、最後にコナー自身に4つ目の物語を語ってもらう」と怪物が告げる。しかもその内容は、コナーが隠している“真実”でなければならないという。

 怪物が夜ごと現れ、物語を語る。しかし、コナーの予想に反してその内容は典型的なおとぎ話と違う。命が助かる魔女、恋人を殺す王子、人を助けようとしない薬師……。怪物が語る幻想世界には絶対的な悪玉と善玉が存在しないのだ。コナーの実世界と同じように。

 白黒はっきりした世界を思い描くコナーは、怪物の物語も自分自身が生きている現実も、矛盾に溢れていることを受け入れることができない。母の病気、突然家にやってきた厳しい祖母との関係、学校でいじめを受け続ける日々……。このような生活を送っているコナーは、ある“真実”を隠している。怪物はそれを求めて現れたのだが、あえて自分の“真実”を語る勇気をコナーは見つけることができるのだろうかーー。

■誰もが共感できる、自分自身のなかに潜む怪物との闘い

 最初に述べたように、本作を手がけたのは、ダークファンタジー傑作『パンズ・ラビリンス』(監督・脚本:ギレルモ・デル・トロ)の製作スタッフだ。しかし、同じダークファンタジーとはいえ、ふたつの作品は根本的な部分で異なっている。

 『パンズ・ラビリンス』は、1944年のスペイン内戦下を舞台に、ファシズムと暴力が溢れる現実から架空の世界へ逃げ込み、3つの試練を乗り越える少女の姿が描かれている。この作品では、ファンタジーを通じて大文字の歴史が語られており、戦争という残酷な物語のなかに子供が創造したより小さな闘いが綴られているのだ。

 一方、『怪物はささやく』では、”真実“を受け入れられない少年を中心に、小文字の歴史のなかに巨大な闘いが描かれている。それは、醜い現実との闘いでもあるが、なんといっても自分自身との闘いだ。というのは、最も恐ろしい怪物は、外から襲ってくるのではなく、自分自身の中に潜んでいるのだ。

■児童文学の新たな可能性

 『怪物はささやく』の原作が元々児童書だと考えると、この作品の力により一層衝撃を受ける。

 最近は児童文学においても映画においても、大きな変化が見られる。つまり、おとぎ話の書き直しをもって、ステレオタイプを超越した人物が少年少女たちに提示されているのだ。王子様に助けられるのを待たずに自ら戦う姫を描いた『白雪姫と鏡の女王』や、悪玉の視点から『眠れる森の美女』の物語を語り直した『マレフィセント』などが代表的な例だろう。

 『怪物はささやく』では、児童文学・映画における変化がまた新たな方向へと進んでいく。この作品においては、悪玉と善玉の区別が存在せず、現実世界にせよ想像の世界にせよ矛盾だらけなのだ。「めでたしめでたし」という嘘くさい結末なんてあり得ない。とはいえ、『怪物はささやく』は絶望的な結末に留まらない。

■闘い続ける大人たちへ希望をもたらす物語

 『怪物はささやく』では、厳しい“真実”を受け入れるための闘いが、恐ろしい姿をもっている怪物によって表象されている。「真実を話せ」と、コナーを脅かす怪物の声(リーアム・ニーソン)が実に凄まじい。しかし、その力強い声は、敵の声ではない。絶対的な敵も絶対的な味方も『怪物はささやく』には登場しないからだ。

 もはや子供ではない、けれどまだ大人とはいえないコナーにとって最も大きな挑戦は、敵と思い込んでいた人物と絆を築くことだろう。その“小さな”闘いには、年齢と関係なく誰でも共感できるはずだ。

 コナーの小文字の歴史は、誰もが経験したことのある“真実”との闘いを描いているがゆえに心を打つ物語だ。そして、今でもその闘いを続けている大人たちに大きな希望をもたらすに違いない。『怪物はささやく』は、我々の心の中に怪物と向き合う力があることを教えれくれるのだ。(グアリーニ・ レティツィア)