「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア2017」公式HPより

写真拡大

「映画とは風化せぬジャーナリズムである。自分自身を確立する手段であるという意識を持って生きていってほしい」

 今月11日、都内で行われた映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2017」の授賞式に公式審査員として出席した大林宣彦監督は後輩の映画関係者に対してこう語りかけた。

 大林監督はかねてより肺がんを患っていることを公表しているが、今回の授賞式が病気を告白してから初めての公の場でありニュースにも大きく取り上げられた。この壇上では、「余命3カ月の宣告を受け、本当はここにはいないはずでしたが、まだ生きてます。生きているならば、ただ一人、胸に温めていた黒澤明監督の遺言を伝えようと命懸けでここに立っております」と語ったうえで、かつて黒澤監督から「映画には、世界を必ず戦争から救う、平和に導く、そういう美しさと力がある」と教えられたことなどをスピーチしたという。

 大林監督といえば、『転校生』、『時をかける少女』など青春映画・アイドル映画の巨匠として知られているが、それ以外にも作家として大林監督の柱となるものに「戦争」と「平和」がある。大林監督は、12年公開の『この空の花 長岡花火物語』と14年公開の『野のなななのか』を挙げながら、インタビューでこのように答えたことがある。

「今の若い人たちに会うと「戦争も、死ぬのも嫌だけど、国のために死んでいくのはかっこいい。自分もそうなったら覚悟を決める」なんて言う。自衛隊が協力して作る映画を見てね。そういうのが一番怖い。戦争を知らない世代が次の戦争を起こす可能性が怖くて、二つの映画を作った。「この空の花」では主にアメリカとの戦争、「野のなななのか」では旧ソ連との戦争を描いた。戦争は恐ろしいと語ってから死のうと思っている。」(14年7月5日付東京新聞)

 また、15年9月15日付日刊スポーツのインタビューではこのようにも答えている。

「戦争を知っている最後の世代だからこそ、私たちが知っている戦争を若い世代に伝えていかないと、また次の戦争が起きてしまうかもしれない。それが、77歳になった今も頑張って映画を作り続けている理由です。シリアスにドキュメンタリーで伝えても、"私には関係ない"と言われてしまうし、私たちも辛い過去は忘れたいから、それをファンタジーやホラーにして趣向を変えてみせる。エンターテインメントとして見せられるのが映画の良いところであり、映画は面白く、楽しく歴史を学ぶ学校です」

●大林宣彦が危惧する「戦後70年で戦争の恐怖を忘れ始めた日本」

 大林監督本人が述べているように、現在の彼の作品づくりを支えているのは、1938年生まれの彼がもつ戦争の記憶を若い世代に残そうとするところにある。「文藝春秋」16年9月号では、終戦後に未来に絶望した母と二人で短刀を前に一晩過ごしたという彼自身の戦争体験をこのように書き綴っていた。

〈大人たちに混って、真珠湾奇襲攻撃大勝利を称える映画『ハワイ・マレー沖海戦』(42)を夢中で見た。実際の戦果もここまでで、後は留め処無い敗戦。然し戦争を続いているから、僕らは年中勝利噺を聞かされていた。即ち、日清・日露の戦勝談である。二○三の乃木大将も敵の将軍ステッセルも、杉野ハイヅコの広瀬中佐もみんなあの太平洋戦争の武勇談として教えられた。僕は爆弾三勇士となってお国の為に立派に戦死するのだ、と決意していた。
 親ハ刃ヲニギラセテ、人ヲ殺セトヲシヘシヤ。
 そして、戦争に負けた。男は撲殺、女は強姦、祖国は壊滅する。母と二人、短刀を前に一夜を過ごした。あの時、確かに僕は死んでいた。
 その後の記憶はズタズタだ。教科書の文字を墨で塗り潰したっけ。チョコレートにチューインガム。闇米、パンパン、アプレゲール。自決もせず、「平和」に浮かれている大人たち。日本人の精神年齢は十二歳、とアメリカさんは言う。大いに納得した。大人たちはみんな「平和難民」、僕ら子どもは「平和孤児」だ。〉

 戦後の焼け野原から日本は奇跡的な復興を遂げた。しかし、戦後70年以上の時が経ち、この国は早くも同じ過ちを繰り返そうとしている。大林監督は、そのことに対する憂いをこのように書いている。

〈日本は復興・発展。高度経済成長期、僕は大人になった。すると今度は、日本人が自らの手で、日本を壊し始める。僕は町興しならぬ町守り映画を作る事こそが、「敗戦少年」の責務であると。斯くして「3・11」を経て、明治維新以降の日本の「戦争」と「平和」を見直す「古里映画」を作り続けております。敗戦後七十年は「平和〇年」の筈だった。然し今、この日本は!?
 人ヲ殺シテ死ネヨトテ、二十四マデヲソダテシヤ。
 僕は七十八まで生き延びた。まだまだ、死ねぬ。〉(前掲「文藝春秋」)

●『永遠の0』は戦争を呼び込む映画だと徹底批判する大林宣彦

 平和について考え、その尊さを伝えるために、映画というのは格好のメディアである。大林監督は映画を「面白く、楽しく歴史を学ぶ学校」と呼び、「風化せぬジャーナリズム」と称する。だからこそ、未来の日本の映画作家にも期待を寄せるのだ。「キネマ旬報」05年8月下旬号ではこのように語っていた。

「これからの若い人たちは、現実に戦争というものがあった歴史の中から自分たちが出発したんだということを考え、忘れられてしまった戦争から、自分たちが何を発見できるかと考える戦争映画を作る義務があると思います。彼らの現実の中には例えば、日の丸、君が代問題というものがあり、そのことを考えるということは、やはり、かつてあった戦争を考えるということですから。戦争というものを無視して、彼らが日本の映画作家になりうるということはありえないと思います」

 しかし、そのための映画は、ただ戦争を描けばいいというものではない。むしろ、戦争映画に安易なヒロイズムをまぶしてしまうことにより、一見戦争の悲惨さを描いているようでいながら、観客に与える影響はむしろ「戦争賛美」となってしまうこともある。その代表が映画『永遠の0』となるだろう。

『塚本晋也『野火』全記録』(洋泉社)におさめられた塚本晋也との対談のなかで大林監督は、『永遠の0』も名指ししながら、ヒロイズムに流れがちな最近の戦争映画の流れを批判している。

「塚本君は「キネマ旬報」のインタビューで、「戦争映画でカタルシスを与えるようなことは絶対やっちゃいけない」とも言ってましたね。僕ね、あれに共鳴したの。"カタルシス"って実は恐ろしい。どんな悲しい悲惨な映画をみても「悲しい」って泣くと、観客はホッとするんだよね。だから戦争映画を悲しく描くのは恐ろしいことでね。どんな反戦映画を作っても「お母さん、お国のために行ってきます」という兵士に対して、観客が「お兄ちゃんかっこいい!」とカタルシスを持ってしまったら、今度戦争が来た時に「僕もあんな風に戦争でカッコよく死のう」と思ってしまうんです。ウチの恭子さん(引用者注:大林監督の妻で映画プロデューサーの大林恭子氏のこと)のお兄さんは海軍で亡くなったのだけど、この方たちは「二度と未来の若者たちには、自分たちのように戦争で殺される体験はして欲しくない」と願いながら死んで行ったのです。その戦争を描いて、また同じことが繰り返されたら、これ、犯罪ですからね。確かに戦争自体を見るのは辛いわな。だから、辛くない戦争映画を作っちゃ犯罪なんだよ」
「『永遠の0』(13年)もカタルシスが過剰。あの映画を観て泣いていたら、あなた方の子供が皆戦争に行っちゃうよ。映画って怖いくらい影響力が強いんです」

 大林監督ががんの宣告を受けたのは、最新作となる『花筐』がクランクインする直前、昨年8月のことだった。「余命3カ月」の宣告まで受けるが、抗がん剤が効き、奇跡的に回復。映画も完成までこぎつけ、今年12月に公開される予定だ。『花筐』は、檀一雄が1937年に出版した同名小説の映画化。日米開戦直前を舞台にした青春群像劇で平和と命の尊さを描く内容になっているという。

 がんは寛解したわけではなく、現在も治療は続いているそうだが、「余命は未定」となったそうだ。これからも映画をつくり続けてほしい。日本の映画作家が大林監督から学ぶべきことはまだまだたくさんある。
(編集部)