初代タイガーマスクのデビュー戦で対戦して以降、幾多の名勝負を繰り広げた好敵手のダイナマイト・キッド。対戦成績ではタイガーの圧勝ながら、カミソリのように研ぎ澄まされたキッドの闘い模様と佇まいは、今なおプロレスファンの胸に刻み込まれている。

 初代タイガーが新日本プロレスに在籍した2年4カ月のシングルマッチ戦績は155勝1敗9分。その唯一の敗戦もキッド戦でのフェンスアウト(当時は場外鉄柵の外に相手を出すと即敗戦のルール)で、フォールやギブアップでの負けは1度もない。
 厳密に言えば、メキシコ遠征時、3本勝負のうちの1本を奪われたことが3試合あるものの(相手はビジャノ3号、ペロ・アグアヨ、フィッシュマン)、いずれも最後はタイガーの勝利に終わっている。
 「タッグマッチまで広げても確認できる敗戦記録は10試合程度で、それも全部パートナーがやられたものです」(プロレスライター)
 シングル唯一の黒星をつけたキッドも、トータルでは6勝1敗1分とタイガーが大きく勝ち越し。ライバルとされた選手との対戦でも、ブラック・タイガーとは4勝5分。小林邦昭には7戦全勝と、やはり圧倒している。

 ちなみに、他のライバル関係といわれる顔合わせでは、アントニオ猪木とタイガー・ジェット・シンは猪木の23勝7敗7分だが、完全決着勝利は9試合のみ。2度のフォール負けも喫している。ジャイアント馬場とアブドーラ・ザ・ブッチャーも30戦以上闘って、半分近くが引き分けとなっている。
 「プロレスの常識からすれば、ライバル関係とは勝ったり負けたりしながら、つくられていくもの。そうでなければ観客の興味が続かないですからね。しかし、初代タイガーに限っては、勝ちっぱなしでいながらライバル関係を構築し、ファンからも高い支持を得ていた。それほどまでにセンスが飛び抜けていたということでしょう」(同)

 もちろん、これはタイガーだけの功績ではなく、相手もあってのことだ。
 「やはり1番はキッドでしょう。ブラック・タイガーは両者リングアウトで次に興味をつないでいたし、小林もマスク剥ぎの反則アングルがあった。しかし、キッドは常に真っ向勝負、試合内容だけでファンを魅了したわけですから」(同)

 1979年7月、国際プロレスへ初来日を果たしたキッドは、当時、スター候補とされた阿修羅・原と抗争を展開するも、カナダ・カルガリーで藤波辰爾(当時は辰巳)と闘ったのをきっかけに、新日のリングへ闘いの舞台を移す。
 しかし、'80年の新日初参戦から1年後、藤波のジュニアタイトルに挑戦した試合では、当時、すでに藤波がヘビー級転向を見据えて肉体改造中だったこともあり、パワーの差を見せつけられてアルゼンチン・バックブリーカーに敗れる。
 さらに、その敗戦から2週間後に、キッドはタイガーのデビュー戦の相手を務めることとなる。
 「短期間のうちに藤波とタイガー、それぞれの踏み台にされてしまったわけで、並のレスラーならこれでお払い箱となっても不思議はない。そうならなかったのは、ひとえにキッドの実力とファンの支持があったからこそです」(同)

 古舘伊知郎が“肉体の表面張力の限界”と表現したパンパンの筋肉から繰り出される、スピーディーかつパワフルな攻撃の数々。
 「高速ブレーンバスター、トップロープからのスープレックスやドロップキック、相手を寝かせて離れたコーナーポストから放つダイビング・ヘッドバットなどは、いずれもキッドが元祖ではなかったか。攻めだけでなく受けに回っても、相手の技を最大限に活かす過剰なほどに激しい受け身を見せる。キッドの功績はタイガー本人も認めるところで、そんなキッドのスタイルに憧れてレスラーを志した選手が多数います」(同)