新天地で躍動する村田透と大田泰示(画像は北海道日本ハムファイターズ公式サイトから)

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歴史的な不調にある巨人だが、かつてドラフト上位で巨人に入りながら、戦力外などで退団した選手の活躍が目立つ。

セ・パ交流戦では、日本ハムに移籍した村田透投手(32)と大田泰示(たいし)外野手(27)が、巨人相手に大活躍を見せた。

巨人ドラフト1位も芽が出ず米マイナー6年の村田透

村田は2017年6月11日の巨人戦に先発。5回69球を投げて6安打1失点に抑えて試合を作り、チームは5-1で勝利した。現在32歳の村田だが、プロ入りから10年を経ての1軍戦初勝利だった。

村田のプロキャリアは巨人で始まった。大学・社会人ドラフト1位で08年に入団した村田は、現在米シカゴ・カブスで活躍する上原浩治投手(42)と同じ大阪体育大学出身。当時の原辰徳監督も期待を寄せていたという。しかし入団から3シーズン、2軍戦で目立った結果を残せず、1軍登板の機会はなかった。10年のシーズン後に戦力外通告を受けた。

その年に受けた合同トライアウトでのプレーが評価され、10年末に海を渡って米クリーブランド・インディアンスとマイナー契約をした。マイナー最高階級の3Aに定着するようになった5年目の15年6月に先発投手としてメジャーデビューを果たした。この時30歳。3回1/3を投げ4安打5失点(自責点3)で黒星がついた。1人多くメジャー登録できるダブルヘッダーの特例での昇格だったため、この試合限りでマイナーに降格。15年は3Aで15勝4敗の成績を収めたが、16年もメジャー昇格は叶わなかった。

16年シーズン後、NPBの日本ハムから声がかかった。16年11月18日付スポニチアネックスによると、村田は「今後について思い巡らせていた中、いち早くファイターズからお話があり、高い評価をいただいたのが入団の決意を固める要因になった」という。栗山英樹監督は「どうしても欲しかったピッチャー。来シーズン、先発ローテーションに入ってくれると信じている」と期待を寄せた。

そして17年4月2日の西武戦、村田は苦節10年で日本のプロ野球初の1軍登板を迎えると、登板7度目(先発5度目)の巨人戦でついに初勝利をあげた。リベンジのような形となった村田だが、試合後は「巨人時代はプロの世界で土台を築いてくれた大事な3年。結果を出して、お礼をしたかった」と語り、涙がこみ上げた。

「永遠の未完の大器」が花開いた大田泰示

この日、もう1人活躍したのが大田だ。3打数2安打(1本塁打)1打点で、村田の初勝利を後押しした。9〜11日の巨人3連戦で10打数7安打(2本塁打)と大爆発。この1週間の6試合を見ても、22打数10安打、打率.455とリードオフマンとして十二分に役目を果たしている。

その大田も巨人からドラフト1位指名を受け、高校卒業後の09年にプロ入り。背番号は半永久欠番とされていた松井秀喜氏の「55」を託されたが、なかなか芽が出ず、5年目の13年に「44」に変更、「永遠の未完の大器」といわれた。翌14年シーズンから1軍での出場機会が増え、4番に座ったこともあったが、躍進は遂げられなかった。16年を出場62試合、打率.202、4本13打点で終えると、シーズン終了後にトレードに出され日本ハムへ移籍した。大田は移籍後、「今は心から野球を楽しめている」と発言したことがあった。

このほか、今季4登板で1勝3敗、防御率7.07と苦しんでいるが、横浜DeNAの平良拳太郎投手(21)もドラフト5位で巨人入りしていた。巨人で3シーズンを過ごしたが1軍登板は1回のみで、その1回も敗戦投手に終わった。シーズン後の17年1月、フリーエージェント(FA)で巨人が獲得した山口俊投手の人的補償としてDeNAに移籍。先発登板した5月10日の中日戦を5回3安打1失点にまとめ、プロ初勝利をあげている。