連続テレビ小説「ひよっこ」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第10週「谷田部みね子ワン、入ります」第60回 6月10日(土)放送より。 
脚本:岡田惠和 演出:黒崎博  


60話はこんな話


愛子(和久井映見)のはからいによって、みね子(有村架純)は、お正月、たった一日だけ、実家で過ごす。

これまでのお話


実家で家族に、これまでの東京での出来事を夢中で話すみね子。
今日たまたま「ひよっこ」を観た人にも、なんとなくこれまでのことがわかる親切構成だ。

「おまんじゅう好き。ご家族によろしくね。それってさ、おまんじゅうをおくれってことだよね」
と、大家・富(白石加代子)の言葉をちょっと茶化して語るみね子に、母・美代子(木村佳乃)は、今後みね子がお世話になる方々のためにおまんじゅうを作るべく台所に立つ。正月1日から働き者だ。

やっぱりお父ちゃんの話


みね子からたくさんの話を聞いたお母さんたちだったが、お父さん(沢村一樹)の話は誰もしない。
「お父ちゃんのいないことに慣れてなんかいないよ」「悲しくなるからしないだけ」と言い、夫が帰ってくることを信じてる美代子に、みね子は「おかあちゃんの気持ちはそれだけではないような気がしました」と思う。
旦那さんからの音信がずっとない気持ちはいかばかりか・・・。
夫のいない間に義父(古谷一行)と過ちがあったらどうしようと薄汚れた想像をほんの一瞬でも思い浮かべたことを懺悔します。

いっぱい寝るみね子


実家特有のニオイと音を感じながら眠るみね子。この感覚は、誰しも体験あるはず。
ああ、わかる〜という感じがモノローグでじっくり語られる。ちなみに、モノローグに文学性があるところに“連続テレビ小説”なのだ、「ひよっこ」はと改めて感じさせられる。初期の朝ドラのナレーションはかなり重要で、文学的なものが多い。ラジオドラマの名残もまだあるだろうし、テレビで小説を、という主旨によるものであろう。例えば、「ひよっこ」のタイトルバックの最初のカットには、60年代の朝ドラのタイトルがそこここに描かれているが、そのひとつ、林芙美子の人生を描いた「うず潮」(64年)を例にあげてみると、「海は夜でも眠っていないのであった」なんてナレーションがある。これは、ヒロインの心情をナレーターが語っているものだ。もうひとつ、いまの朝ドラのスタイルを確立したと言われる「おはなはん」(66年)では「天才でもない。偉人でもない。迷ったりつまずいたりしながら生きてきた平凡な女の一生が・・・」なんてナレーションが入る。こちらは客観的なナレーションだ。
「ひよっこ」のナレーションは、この回、走ってくる田神先生(津田寛治)に、「なかなかいい走りですよ」というのがあった。元マラソン選手の増田明美だから説得力あるナレーションだなと思う。

話を戻して。寝ているみね子を見ながら「どっかで気ぃ張ってるんだ」と美代子がつぶやく。
宗男叔父さん(峯田和伸)は、「なんだかかっこいいな」「いや、なんか都会的な感じがするわ。カラダだけでなく心もつかってるなんてよう、都会的だっぺ」とへんに感心する。気を使うのは都会的という発想が鋭い。

みね子のファッションが


実家で英気を養って、すっかり元気になって東京に戻ってきたみね子は、新しそうなコートを着て、ジーパンを履いている。心機一転という感じ。
前がボタンになっていて、裾が広がっていて、ハイウエストなのが60年代後半ぽい。足が細くて長い有村架純だから似合う。
70年代になると、ベルボトムが流行る。これからの「ひよっこ」の衣裳も楽しみのひとつだ。
白石加代子の衣裳やヘアメイクもかっこいいし、シシド・カフカも登場するし、おしゃれぽくなりそう。島崎遥香にも期待している。
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